|先天的要素を変えることはできないとぼくは考えている|
先天的要素と後天的要素、というものがあります。
ぼくは比較的この要素を重要視していて、過去にもなんどかエントリーを上げています。
たとえば、兄弟においてはギターを弾くときのポージングが同じ、など(ニッケルバックのクルーガー兄弟など)。
ギターを弾くポーズは、前かがみになるパターンや、逆に上体を反らすパターンなどありますが、不思議と兄弟の場合では同じポーズをとることがあります。
その場合は何か学んだと言うよりは本能的にそのポーズをとっていることが考えられますね。
生まれながらに行動パターンがある程度決まっている
猫さんにおいても同じで、たとえばトイレで用を足すときに、猫砂に前足と後ろ足の合計4本をついて用を足す猫さんもいれば、トイレのふちに手をかけて猫砂には後ろ足二本のみしか接触させない猫さんもいます。
これはなにか教えられたわけではなく、先天的にこういったポーズ、というDNAが組み込まれていると思うわけです。
そして、同じ環境で育ったとしても、狩りをまったくしたがらない猫さんもいれば、狩りが大好きな猫さんもいるわけですね。
とくに狩りが大好きな猫さんについては、ずっと家の中にいて狩りなどしたこともなく、教えられたものではないのですが、物心つくと外へ出たがり、隙を見て出て行っては何かを狩ったりするわけです。
人間でも同じで、閉鎖環境で変化を好まない人、常に知らない環境に身を置きたい人、などさまざま。
生まれてすぐに引き離された双子であっても、驚くほどよく似た人生を歩んだりといった例もあり、ぼくはその人を構成する要素としては先天性が非常に大きい、と考えています。
ぼくらはDNAの範疇を超えることはできない
体型、顔つき、髪の毛といった外見的特徴、高血圧や低血圧など内面的特徴も同じで、それらは個々の努力によって変えることは難しい、と考えています。
それと同様に、記憶力や想像力といった「脳の働き」についてもぼくは先天的要素が大きいと考えていて、努力によってそれらを変えることはできないのかもしれません。
身体と同様に脳を構成するのはDNAによるもので、大人が身長を伸ばすことができないと同様に、大人が脳の働きをより良くすることもできない、と考えています(身も蓋もありませんが、越えられない壁はある)。※ただしぼくは優劣を指しているのではなく、個々にあった活躍の場を探すのが人生の意味だと考えている。憧れている人など、他の誰かになろうとするのがその人の人生ではない
そして、その先天性はDNAによって定められており、ぼくらはやはり「DNAの乗り物」でしかないのだ、と考えたりするのですね。