■駄文(日々考えること)

ボクは完璧主義者だと思われがちではあるが、実は「80点」で生きている。80点に到達するのは容易いが、80点から100点に向かうには時間と労力を要するから

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| 80点から100点へと引き上げるための時間と労力があれば、ほかのたくさんの「80点」を生み出せる |

ボクらの時間は有限であり、その限られた時間の中でどれだけのクリエイティブな活動ができたかが重要である

さて、ぼくの人生における考え方として「80%でOK」というものがあります。

ぼくは一般に「完璧主義者」だと捉えられることもあるのですが(それはそれで間違いではない)、一方で何でも「まあいっか」で済ませる適当さをもあわせ持っています。

そしてそういった自身の傾向も関係してのことなのか、ぼくは「100点ではなく、80点でいい」と考えているわけですね。

「80点」はぼくにとって難しいことではない

ちなみにですが、ぼくにとっての80点というのはさほど難しいことではなく、かなり楽をして到達できる範囲です。

ぼくは(以前にも述べたとおり)すこし特殊なところがあって、とくに小学生の頃だと学校のテストで100点以外の点数を取ったことがない時期があり、しかし100点のみの状況だと教師からも疎ましがられ、同級生からも距離を置かれたりいじめの対象になり可能性があるということに気づき、それ以降は意図的に68-73点の範囲に収まるよう答案を(ところどころ間違いを入れることで)調整していたわけですね。

この点数だととくに目立つことはなく、たまに”失敗”して80点を取ってしまったりすると教師からは「よく頑張ったねー」と褒められたりすることがあったりして、「100点よりも80点のほうが、世の中を渡るのに好都合である」と小学校低学年の時点で気づき、それ以降は目立たぬように過ごしてきた、という過去を持っています。※100点は多くの人にとって非現実的であり理解が及ばないものであるが、80点は理解の範疇である

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80点はある意味での「ベストな妥協点」である

そしてもうひとつぼくが考えるのは、「80点を取るのは容易ではあるが、100点を取るのは容易ではない場合がある」。

それは「80%まで仕上げることは容易だが、100%の仕上げを行うことは困難である」と置き換えていいかもしれません。

たとえば、なんらかの新しい技術を開発するとき(今だと自動車用のソリッドステートバッテリーがわかり易い例かも)、80%までの安全性を担保するレベルにまで開発を行うのはそう難しくないかもしれませんが、この安全性を「100%」にしようとなると、80%にまで持ってきた何倍もの時間がかかったり、挙句の果ては100%に到達できない可能性も考えられます(マセラティはじめ、いくつかの自動車メーカーは”100%の保証ができない”とし、この技術を放棄すると発表している)。

企業であれば、いかに困難なプロジェクトであっても「次世代に引き継ぎながら」それを開発することができるかもしれませんが、「個人」というくくりであれば時間は有限であり、死んでしまえば「無」になってしまいます。

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そういった環境において、100点を目指して時間を使うより、80点までに仕上げて「まあいっか」で終わらせ、そして次のことに取り掛かるというのがぼくの基本的なスタイルで、これはマーク・ザッカーバーグ氏の言った「完璧を目指すよりも、まず終わらせろ」に近い考え方。※完璧を目指していたら、いつまで経っても終わらない

加えて、100%というのは流動的であり、たとえば文学や音楽、芸術のように「判断がその人のように主観によって左右される」分野では”絶対的な100点”というものは存在せず、そこで完璧を追求するという行為は完全なる自己満足ということになります。

一方で「100点」をなんらかの基準で測ることができる分野があったとしても、新しい技術や理論が登場すれば、「今日100点であったことが、明日には100点ではないかもしれない」可能性も存在するワケで、こういった不確実性がある中で、人生における貴重な時間を費やして100点を追求することに意味や価値を見出すことは難しく、よってぼくは「やるべきことはさっさと80点で済ませ」、次のことに取り掛かるようにしているわけですね。

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ちなみに本ブログにおいて誤字や脱字を放置しているのは「そういった理由で、ぼくが気にしていないから」であり、そもそも誤字や脱字だと見る人がわかるのは、「それが間違っている=正しいものが何かを理解している」という判断に基づいたもので、要するに「まあそれでいいか」と考えている、ということに(致命的な間違いではない限り、それらを確認したり修正するよりは、前に進むための新しいコンテンツを多数生成するほうが有用だとぼくは判断している)。

さらには「未熟な技術であっても、学びながら前に進めば必ず上達する」「何事も最初から完ぺきに出来る人など存在しない」という考え方も持っていて、まずは100点を目指すのではなく、行けるところまで(つまりそれがぼくの中での80点)さっと行き、そこから先のことはその時になって考える、という「都合の良い棚上げ的思想」もぼくの行動原理のひとつです(実際のところ、何ともならないものは何ともできず、何とかなるものは何とかなる。考えても仕方がないことを考えるのは無駄なことで、考える時間は”考えて何とかなる”ことに充てるべきである)。

反面、100点を目指すべき分野も

ただ、なんでも80点でいいかといえばそうでもなく、上で述べた「自己満足」に繋がるところについてはときに100点を追求することがあり、これはある意味自分の自尊心を維持するための行動であるとも考えています。

つまり、ある一定の状況や事象において、「ここで妥協して80点でいいと考えてしまったら、自身の存在意義を失ってしまう」場合、そして「この場面で、いかに他人がそのレベルで十分だと考えたとしても、自分にウソをつき、偽ることでこのまま終わらせてはならない」と考える場面があり、そしてそれは他人に対してではなく(基本的にぼくは他人に対して多くを求めない)自分自身に対して”自分を許せるかどうか”という基準において判断がなされます。

こういった姿勢はある意味でストイック(あるいはエキセントリック、もしくはエキゾチック)だと他人の目に映ることがあり、そこがぼくを「完璧主義者」だと思わせてしまうのかもしれません。

簡単に言えば、外部との関わりにおいては「80点」にとどめ、自分自身で完結する行為については「100点」を求めるということなのだと理解しています(自分でも自分のことはよくわからない)。

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