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ポルシェは過去に「カイエンのオープンモデル」を検討したことがある。初代の発売後、その人気に後押しされ試作車を作るもプロジェクトが終了となった理由とは

ポルシェは過去に「カイエンのオープンモデル」を検討したことがある。初代の発売後、その人気に後押しされ試作車を作るもプロジェクトが終了となった理由とは

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| ポルシェはカイエン発売後、すぐに「オープン」「ロングバージョン」「クーペ」の市場投入を考え始めている |

当時、SUVには様々な可能性があると考えられていた

さて、ポルシェは過去に様々なコンセプトカーを製作していることでも知られていますが、ポルシェにおけるコンセプトカーは「技術の見本」というよりは「実際に市販化するクルマの試作」といった意味合いが強く、よって比較的「現実的」なクルマが多くなっています。

そして今回、ポルシェが公式コンテンツとして紹介するのが「カイエン・コンバーチブル」。

この奇妙な「オープンSUV」がなぜ企画され、なぜ市販化されなかったのかを見てみましょう。

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2000年代初頭、SUV市場は急成長を遂げており、BMWやメルセデス・ベンツといったプレミアムカーブランドがこぞって(レンジローバーのような)既存のオフローダーに対抗するためにSUV市場へと参入し始め、この成長市場に乗り遅れまいとポルシェが企画したのがカイエンです。

ポルシェを復活させたのはボクスターだが、ポルシェの経済基盤を盤石にしたのはカイエンだった。両者ともに適切な時期に登場し適切な役割を果たしている
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ポルシェは単に911のオフロード版を作るのではなく、カイエンを本格的なオフロード車として開発しており、ポルシェは本気で他のオフロードブランドに対抗しようとしながらも「ポルシェらしさ」を同時に追求。

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結果としてカイエンはオンロードでも楽しめる走行性能を兼ね備えており、ポルシェ・トラクション・マネジメントや、WRC(世界ラリー選手権)車に採用されたものと近いセンター・ロッキング・ディファレンシャルを備え、さらに強力なVR6エンジンやV8エンジンを搭載たこともあり瞬く間にヒットを記録しています。

実際のところ、ポルシェは当初年間2万5000台の販売を目標にしていましたが、カイエンは初年度で年間3万5000台を売り上げ、大きなヒットとなったわけですね。

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2025年現在もカイエンはポルシェのラインナップに欠かせない存在ではあるものの(ポルシェでもっとも売れているモデルである)、ポルシェはリリース後のヒットを受けてすぐにモデルバリエーションの拡充を検討することに。

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ポルシェは「いくつかの」カイエンのバリエーションを考える

まず考えたのは、全長を約20cm延ばしてシートを増やした大型版、次にクーペバージョン。

最終的にクーペバージョンは実現しましたが、「大型版」については今も実現しておらず、しかし「J1」と呼ばれるフラッグシップSUVがこれに該当するのかもしれません。

そして更にポルシェが思い至ったのが今回のストーリーの主人公である「カイエン・コンバーチブル」。

当時、コンバーチブルSUVは人気がなかったものの、ポルシェは未開拓の市場にアプローチし、利益を得られる可能性があると感じていたといい、しかし「大きな車両にソフトトップを装着し、どれだけコンパクトに収納できるのか」「(4ドアオープンは現実的ではないので)2ドア化され長くなったドアが日常的に使えるのか」という疑問もあったもよう。

そこでポルシェは3D CADを駆使して「電動で折り畳める」ソフトトップを開発し、トランク内に収まるルーフの設計に成功します。

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さらにポルシェは2種類のリアエンドデザインを使用し、実際にそのメカニズムの動作を試すところまで進むものの、最終的にはこの計画を放棄することに。

そして計画放棄の理由は「オープンSUVの需要に対する見通しが厳しい」つまり売れないからというもので、パッケージ機能モデル(PFM)が作られたのみでプロジェクトが終了されることとなったわけですね。

参考までに、PFMとは市販車両を改造して特定の機能やアイデアをテストするもので、専用のプロトタイプを作らずに検証する方法であり、ポルシェは通常のカイエンからルーフを切り取ってリアエンドの再設計やルーフメカニズムの検討を行っています。

ただ、このカイエン・コンバーチブル「PFM」ではシャシーの強化は行われなかったため、車両は自らの移動が(オープン化によってシャシー剛性が落ちていたので)難しく、移動の際にはトランスポーターが必要だったのだそう。

ポルシェの判断は正しかった?

ポルシェがカイエン・コンバーチブルのアイデアを見送ったのは正しい判断だったと考えられ、というのも市場には非常に少数のコンバーチブルSUVしか存在せず、そのいずれも商業的な成功を収めていないから。

例えば、日産ムラーノ・クロスカブリオレやレンジローバー・イヴォーク・コンバーチブルは短命に終わり、ほとんど売れておらず(オープンSUVの需要があれば、数少ないこれら選択肢に人気が集中するはずである)、市場が非常に小さいことがわかります。

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なお、「SUV」と「オープン」という人気の組み合わせ(しかも自然の中をオープンで走れる)が成功しない理由は謎ですが、これは「大きな折りたたみルーフを収納することで実用性が損なわれるから」だとも見られており、さらには少量生産にとどまるという想定から「高額」となってしまう値付けにもあったのかもしれません。

いずれにせよ、ポルシェにとって「オープンSUV」というジャンルはすでに過去のものとなり、現在のポルシェはより実用的で人気のあるモデルに焦点を当てる他製品開発を行っています。

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参照:PORSCHE

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