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ブガッティのテストドライバーはこんな人。「私は常に、自分はサーキットとマシンとともに人生を歩む運命にあるとわかっていました」

2023/10/13

ブガッティのテストドライバーはこんな人。「私は常に、自分はサーキットとマシンとともに人生を歩む運命にあるとわかっていました」

| 自分の存在意義を感じ取り、それを実感できる人生を歩む人は幸運である |

ブガッティのテストドライバーにとってでさえ、ブガッティの飛躍は「思った以上」だったようだ

さて、ブガッティがそのテストドライバー(ブガッティではピロート・オフィシエル=オフィシャルパイロットと呼ぶ)に焦点を当てたコンテンツを公開。

ブガッティはラインナップする車種が少なく、よって本来であれば(そうそう新型車が出るブランドではないので)非常にニュースが少ないはずの会社であるものの、その歴史やライフスタイルグッズ、そして人物などに焦点を当て、むしろ他の自動車メーカーよりも高い頻度、さらには濃い密度にてニュースを届けてくれます。

ブガッティのピロート・オフィシエル、ピエール-アンリ・ラファネルとは

そして今回ブガッティが紹介するのは現在のブガッティにおける初代ピロート・オフィシエル、ピエール-アンリ・ラファネル氏。

同氏は13歳のときに初めてカート大会に出場し、集中力と天性の才能に恵まれていたピエール-アンリ・ラファネル氏は、すぐ頭角を表してフランス選手権で優勝、世界選手権でもトップ6に入る活躍を見せることとなります。

21歳になるとフォーミュラ・ルノーに誘われ、フォーミュラ3000とフォーミュラ3で戦うことになりますが、後者ではフランス選手権を制し、F3モナコGPでの優勝を獲得したことも。

07 BUGATTI Pierre-Henri Raphanel_Monaco F1 1989

もちろん実力あるピエール-アンリ・ラファネル氏をF1チームが放っておくはずはなく、1989年にはついにF1モナコGPへと参戦。

その後同氏はル・マン24時間レースや全日本選手権GTシリーズなど耐久カーレースの世界へと挑戦することとなりますが、世界最高峰の耐久レースであるル・マン24時間レースには14戦参戦し3度の表彰台と1度のクラス優勝を記録しています。

06 BUGATTI Pierre-Henri Raphanel_LeMans 1997

人生の転機は思ってもみない形で訪れる

ピエール-アンリ・ラファネル氏は2000年代初頭にレース活動を休止するものの、思いがけないタイミングで自身のスキル、知識、情熱を自動車業界に革命を起こす新しいプロジェクトに注ぎ込むというチャンスが訪れることになり、そのチャンスとはもちろん「ブガッティのテストドライバーへのオファー」で、ピエール-アンリ・ラファネル氏は当時を振り返ってこのようにコメントしています。

レースをやめた時点では、その重要な時代が終わったように感じていた。しかし、その章が閉じると同時に、別のエキサイティングな章が開かれたのです。

そのオファーは当時のブガッティの社長がじきじきにピエール-アンリ・ラファネル氏へと行ったもので、当時ブガッティはちょうどヴェイロンの開発を進めていたところであったといい、しかし当時ブガッティというと「しばらく休止していたブランド」という印象が強く、かつヴェイロンが掲げていた「自動車業界初の1,000馬力オーバー、時速400キロで走れる市販車」というコンセプトが知られておらず(開発段階であったので当然といえば当然である)、しかしピエール-アンリ・ラファネル氏はこのプロジェクトに興味を惹かれ、ブガッティ本社のあるアルザスへと向かうことに。

02 BUGATTI Pierre-Henri Raphanel_Veyron Super Sport

そこでピエール-アンリ・ラファネル氏が目にしたのがヴェイロンのプレシリーズだったといい、当時の様子をこう語ります。

彼は私をモルスハイムに招き、ヴェイロンについて選ばれた人々にプレゼンテーションを行った。当時、ブガッティ・ブランドの再生とこのまったく新しいスーパーカーについては、まだあまり知られていませんでした。当然、私はもっと知りたいと思っていたので、トーマスの招待を快く受け、アルザスまで足を運びました。

そこで見たヴェイロンは本当に衝撃的でした。ヴェイロンは、自動車の世界では他に類を見ないもので、私はこのクルマとブランドに魅了されたたのです。クルマから一歩も出たくなかったことを覚えている。文字通り、7時間くらいずっとクルマの中に座っていた。その瞬間、私はこの息をのむような冒険の一部になりたいと思ったのです。

03 BUGATTI Pierre-Henri Raphanel_Veyron Super-Sport_WR

かくしてブガッティはピエール-アンリ・ラファネル氏を唯一無二のピロート・オフィシエルに選び、ブランドを代表して世界中の顧客にブガッティのクルマが持つ素晴らしさを紹介することを任せることになるわけですね。

ブガッティ・オトモビルのクリストフ・ピオション社長は当時を回顧し「2005年のヴェイロンの発表で、ブガッティは他の自動車メーカーが踏み込んだことのないパフォーマンスとスピードの世界へと到達しました。ブガッティは、このクルマのあらゆる能力をお客様に示すことができる非常に優秀なドライバーを確保するだけでなく、エンジニアリングの革新とブガッティ・ブランドのストーリーを、情熱をもって複雑に説明できる人物を確保する必要があったのです。ヴェイロンに初めて触れたときから、ピエール-アンリ・ラファネルはすぐに私たちのクルマのビジョンを理解し、それ以来、ブガッティの完璧なアンバサダーとして活躍してくれています」とコメント。

11 BUGATTI Pierre-Henri Raphane

ピエール-アンリ・ラファネル氏は就任から約18年経った今日に至るまで、この職務に大きな誇りを抱き続けており、「2005年に初めてヴェイロンを見たときには、このようなことを言うことは想像もできませんでした。当時の私にとって、ヴェイロンはまさに頂点を象徴するものでしたが、ブガッティのDNAの一部は、何度も何度もレベルを上げ続けることであり、それこそがヴェイロンに続く、シロンファミリーによってブガッティがが成し遂げたことなのです。このような稀で魔法のような旅に参加できることは、夢にも思っていなかったことです」とも。

ブガッティでの長いキャリアにもかかわらず、ピエール-アンリ・ラファネル氏は、ブガッティのハイパースポーツカーが、常に対照的な特性、感情的な特性、エンジニアリングの特性を見事にバランスさせ、そのレベルを高め続けていることにも驚きを禁じえないと語り、それについては以下のようにコメントしています。

ヴェイロン、そして現在のシロンは、圧倒的な美しさを誇る傑作ですが、その軽やかな一面は、比類ないパワーとパフォーマンスから生まれる深い個性を持っています。私はブガッティを "美女と野獣 "と呼びたいのですが、それはブガッティがパフォーマンスと俊敏性、パワーと快適性、そしてユニークな外音と豪華な室内音響を完璧にバランスさせていることを表現しています。ブガッティのノウハウは、時速20kmでの巡航であろうと、それ以上であろうと、これらまったく異なる側面を1台のクルマで提供できることです。

05 BUGATTI Pierre-Henri Raphanel_Veyron

ピエール-アンリ・ラファネル氏そは2010年7月、ブガッティ・ヴェイロン・スーパースポーツを駆り、ドイツ・ニーダーザクセン州のレシエン(VWの持つテストコース)において最高速度431.072km/hの世界記録を樹立し、ブガッティ・ブランドと自分の名前を永遠に結びつけることとなりますが、これについては「ブガッティとともに歩んだ素晴らしい18年の歳月を経てもなお、ブガッティでしか味わえないあの感覚には慣れることができません。永遠の思い出を作り、お客様やブランドのエンスージアストである世界中の人々と一生に一度の瞬間を共有することは、ブガッティを世界のどのブランドとも比較できないものにしているストーリーの一部です。私は、ブガッティの驚くべきドライバビリティだけでなく、ブランドを支える比類なき歴史とクラフツマンシップを、このような人々と分かち合うことが大好きなのです」と述べており、この瞬間、そしてブガッティでの体験がいかにかけがえのないものであったかがわかろうというものですね。

ブガッティは、アルプスの峠道、中東のサーキット、東京の大都会、カリフォルニアのワインカントリーなど、どんな場所でも完璧なパフォーマンスを発揮します。これこそ、エットーレ・ブガッティがブランドを創設して以来、その卓越性を支えてきた妥協のない理想なのです。そして個人的なことではありますが、私の心の奥底では、ブガッティが世界で最もエレガントでパワフルなハイパースポーツカーであるだけでなく、深く豊かな伝統を持つブランドでもあることは本当に魅力的であり、誇りに感じることなのです。

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参照:Bugatti

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