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「そうだ、フロントにエンジンを積んでみよう」「911を生産中止から救った男」など、ポルシェ75年の歴史において転換期となった年、そして人物8選

ポルシェ

| ポルシェはこの75周年を時代のうねり、数々の転換期とともに過ごしてきた |

そして現在の成功は、いくつかの大きな判断の上に成り立っている

さて、ポルシェは今年でスポーツカーの生産を開始して75周年という節目を迎え、同時に911の60周年を迎えます。

よって今年は様々なイベントが世界中で開催されることになりますが(日本でも6月3−4日にかけてポルシェフェスティバルが開催される)、今回ポルシェが公式コンテンツとして「ポルシェの歴史において、とくに重要な8人とその瞬間」という記事を公開しており、ここでその内容をダイジェストとしてお伝えしたいと思います。

参考までに、ポルシェの第一号車である356が路上に送り出されたのは1948年6月8日。

そしてポルシェが設立されたきっかけは、創業者であるフェリー・ポルシェが、「いろいろと世の中を見回してみたが、自分の求める、小型で効率の良いスポーツカーがなかったので、自分で作ることにしてみました」というものです。

カール・ラーベ

まずは1948年5月27日とカール・ラーベ。

この日はフェリー・ポルシェが「夢のクルマ」として設計・製作した356スピードスターのテストドライブを終了させた日として記録されています。

カール・ラーベはこの356スピードスターを開発したエンジニアの一人であり、フェリー・ポルシェとは1913年にアウストロ・ダイムラー社にて出会ったといい、その後フェリー・ポルシェと志をともにすることとなりますが、この356のほか、ポルシェ・タイプ60、 550そして911の開発にも携わり、引退までの自身の人生をポルシェにささげています。

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ジルベルト・ティリオン

そして次はベルギー出身の女性レーシングドライバー、ジルベルト・ティリオン。

本業は秘書という変わり種で、父親に与えられた356SLを駆ってラリー・ フェミニン・パリ~サン・ラファエルをクラス2位でフィニッシュしたのを皮切りに、1954年のホイ12時間レース、1955年のステラ・アルピナ、1956年の第1回コルシカ・ラリーでの総合優勝、その他数々のクラス 優勝を果たしたと記録されており、女性解放運動家としても活躍するとともにポルシェのイメージを大きく変えた人物だとされています。

なお、当時相当に話題となった人物だそうですが、彼女について書かれた記事につき、ジルベルト・ティリオン本人は「全部読んだし、全部聞いたけど、別の人の話を聴いているような感じ」というクールなコメントを残しています。

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ラッセル・シュバイカート

その次は1969年、ラッセル・シュバイカート。

1969年3月にアポロ月着陸船9号の飛行士として、地球を合計151周した人物ですが、ポルシェにとって彼が重要人物であるのは「1969年に、アメリカで最も有名な人物の一人であった同氏が、ポルシェの納車を受けるため、わざわざポルシェ本社に出向いてくれたから」。

これによってアメリカでポルシェの名が広く知られるようになり、ポルシェがグローバルブランドとなる足がかりとなったうえ、「人々にとって、ポルシェが宇宙と同様のあこがれとして語られるようになった」とされています。

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アナトール・ラピン

ポルシェにとって1977年という年、そしてデザイナーのアナトール・ラピンも記録すべき瞬間と人物であり、というのも同氏がデザインしたポルシェ928がデビューした年だから。

当時のポルシェはポルシェ創業者一族がポルシェの経営から身を引き、エルンスト・フーアマンがポルシェの舵取りを行うことになるのですが、そこで決定されたのが「911の生産終了」。

それとともに新時代を迎えるに際し、エルンスト・フーアマンは「フロントにエンジンを積んでみよう」と言い出し、それに従いアナトール・ラピンがデザインしたのが928だったわけですね。

なお、アナトール・ラピンは964世代の911 のほか(991は、結局のところファンの強い要望によって生産終了を免れた)、トランスアクスルレイアウトを採用する924、 944、さらに959というエポックメイキングなモデルを手掛けます。

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ピーター・W・シュッツ

1981年1月に下されたピーター・W・シュッツによる判断ほどポルシェの方向を大きく変えたものはなく、というのもCEOに就任して3週間した経過していなかったにもかかわらず、ピーター・W・シュッツは、前CEOであるエルンスト・フーアマンが下した「ポルシェ911の生産終了」という判断を覆したから。

「神話は守らねばならない」と宣言して911の継続を決定し、さらにその後にはカブリオレの追加などモデルレンジをどんどん拡大することになりますが、その新体制下でポルシェは販売台数を3万台以上に伸ばして5年連続の業績伸長につなげ、ル・マンやF1での勝利などポルシェのひとつの栄光の時代を構築します。

1987年末には世界的な不景気による業績不振の責任を取って辞任する形となるものの、今日のポルシェ、そして911があるのはこの人のおかげ、ということですね。

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グラント・ラーソン

1993年にデトロイト・モーターショーにて発表されたボクスター(コンセプト)もまたポルシェの命運を大きく分けた一台。

これをデザインしたのがグラント・ラーソンその人で、このモデルが後にポルシェを救い、ここまでのヒットになり、さらにクーペバージョンの「ケイマン」が導入されることになろうとは誰も想像しなかったかもしれません。

当時このプロジェクトにはデザイン的な制限がなかったといい、そこでグラント・ラーソンは550スパイダーや718RS 60のディティールを取り入れた2シーターを描くことになりますが、これがポルシェの歴史に永遠の足跡を残すこととなったわけですね。

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ワルター・ロール

2002年にポルシェは大ヒット作「カイエン」を投入しており、この開発に大きく貢献したのがワルター・ロール(ヴァルター・ロール、ヴァルター・レアル)。

同氏はその(レーシングドライバーとしての)キャリアをポルシェのクルマと共に始めており、主にラリーにて数々の勝利を収めた後にポルシェのワークスドライバーに就任していますが、1993年にはブランドアンバサダー、そして開発ドライバーも担当することに。

もちろんワルター・ロールはカイエンの開発にも参加し、ポルシェらしいスポーツ性能に加え、卓越したオフロード走破性を兼ね備えるために自身の経験をいかんなく発揮しています。

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オリバー・ブルーメ

最後に紹介するのは、新しくポルシェCEOに就任した(現在はVWのCEOも兼任)オリバー・ブルーメ(オリバー・ブルーム)。

同氏はポルシェ初のピュアエレクトリックカー、タイカンを生産するに際し、ほかへと生産を委託するのではなくツッフェンハウゼンのポルシェ本社工場へと新しく生産ラインを設置することを決定し、2019年9月にそのラインを稼働させています。

このラインは1,500人の新規雇用を生み出し、ポルシェの新しい時代の幕開けとなりますが、ポルシェがカーボンニュートラルへと向かうひとつのパイロットケースとなっており、同氏のいう「シュトゥットガルト・ ツッフェンハウゼン の本社工場は、 伝統と未来が融合 される場所です」というメッセージを明確に示す事例となっています。

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参照:Christphorus

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