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知られざるランボルギーニの事実7つ。「80年代にバイクを発売したことがある」「今までに27車種しか発売してない」「一番高価なモデルはヴェネーノ」など

知られざるランボルギーニの事実7つ。「80年代にバイクを発売したことがある」「今までに27車種しか発売してない」「一番高価なモデルはヴェネーノ」など

| ランボルギーニのオーナーは現在のアウディで「8代目」である |

それでも一貫してスーパーカーメーカーであり続けたことは称賛に値するだろう

さて、コロナ禍にてマクラーレンやアストンマーティンなど多くのスポーツカーメーカーが「困難な時代」を過ごすこととなりましたが、そんな中でも影響を受けず、むしろ販売を伸ばしたのがフェラーリとランボルギーニ。

フェラーリは「わかる」としても、ランボルギーニの強さはある意味で意外であったとも考えていて、しかしこの現実を見るに、「ついにフェラーリと比肩しうるブランドにまで成長した」と言って良いのかもしれません。

実際のところ、ランボルギーニは大人気につき「2年以上の」受注を抱えており、つまりこれは、今から新車を注文したとして、実際に届くのは「早くても2年後」ということを意味します。

ランボルギーニの2023年第1四半期は「売上、利益、納車台数」すべてが過去最高に。受注においても「2024年分までの生産枠が埋まっている」
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もともとランボルギーニはフェラーリに対抗して作られた自動車メーカーである

ランボルギーニの創業者、フェルッチオ・ランボルギーニは1916年4月に生まれ、イタリア空軍の車両整備監督者として従軍した経験を持ち、戦争が終結した後は群から余剰物資(主に車両)を買い取り、これをトラクターにコンバートし販売することで財を成します。

ランボルギーニのルーツである「トラクター」の歴代モデルはこうなっている!なお現在もトラクターは販売中、お値段はスーパーカー並み

| 現在はスーパーカーのランボルギーニとは別の会社となっている | さて、ランボルギーニの歴史はトラクターから始まったことは広く知られているものの、現在でもそのトラクターが製造されているのはあまり知ら ...

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そのほかにもエアコンや冷蔵庫などを製造する家電会社を興して成功を収め、裕福になった後には「お決まりの」コースとしてフェラーリを購入することとなるわけですね。

そこでフェルッチョ・ランボルギーニはこれまたお決まりのトラブルに遭遇することになり、自身がエンジニアでもあったことから自分でフェラーリを修理してみたところ、様々な構造上の「欠陥」を発見し、これをもってエンツォ・フェラーリに改善策の提案、そして提携を持ちかけたものの無下に断られ、そこで「フェラーリを超えるGTカーを作る」ことを目的にランボルギーニを立ち上げたというのが通説です(諸説ある)。

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ランボルギーニの真実が今ここに。「フェルッチオはフェラーリに抗議に行かなかった」

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「スーパーカーを発明した」のはランボルギーニである

なお、当時フェラーリは(エンツォ・フェラーリがそれがベストだと信じていたため)フロントエンジン車を製造していましたが、ランボルギーニのエンジニアたちは「今後のスポーツカーの進む道はミッドシップである」と考え、ジャン・パオロ・ダラーラ、パオロ・スタンツァーニ、ボブ・ウォレスらが先導しプロトタイプを製作することに。

フェルッチョ・ランボルギーニは「ワンマン経営者」ではなく、部下の意思を尊重するタイプであったといい、よってエンジニアたちに「自由に」開発を行わせていたそうですが、一方で「ミッドシップエンジン車が優れたマーケティングツールになる可能性がある」とも認識していたと言われます。

ここで重要なのは、フェルッチョ・ランボルギーニはスポーツカーを「ビジネス」として捉えていたということで、こういったスポーツカーを作っているという事実は「自身がすでに経営してる他の会社の宣伝に役立つ」と考えていたようですね(実際に、”スーパーカーと美女”を広告に使用し、既存ビジネスをより広く周知させようとしたとも言われている)。

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そして(フェラーリとピニンファリーナとの関係に対抗してか)ベルトーネとの契約によって車体デザインを行うことになりますが、ここで誕生したのが「ミウラ」。

リアミッドに大排気量エンジンを搭載する世界初のクルマであり、ミドシップカーでしか実現できないスタイリングをもって「自動車史上初のスーパーカー」であると認知されています。

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ちなみにこのミウラのデザインの「元ネタ」というかインスピレーション元は「アルファロメオ・カングーロ(やはりベルトーネのデザインで、これを見たランボルギーニ側がベルトーネに契約を持ちかけたとされる」)。

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参考までにですが、フロントエンジンを貫いていたフェラーリも1968年代中盤以降にはモータースポーツにおける「ミドシップの優位性」を無視できなくなり、結果としてミドシップへとシフトを進め、一方の市販車でもミドシップスーパーカーを発売したほか、「ディーノ208GT4」ではピニンファリーナではなくベルトーネにデザインを依頼するなど、強くランボルギーニを意識していたこともわかります。

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ランボルギーニは今までに27モデルしか発表していない

集計方法によって差があるものの、ランボルギーニは現在のレヴエルトに至るまで「27車種(モデル名ベース)」しか発売しておらず、(ぼくが数えた範囲だと)89モデルも発売しているフェラーリに比較するとかなり少ない数字です。

ただ、ランボルギーニはモデルあたりのバリエーションが多く、約900台しか生産されていないディアブロだと18ものバリエーションがあり、そしてフェラーリは伝統的に排気量やシリンダー数にちなむ命名を行うので、同じ車体であってもエンジンが変われば「別の名前」が与えられることになるという傾向には留意する必要があります。

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参考までに、(限定モデルを除き)もっともランボルギーニにて販売が少なかったモデルはシルエットの「54台」、もっとも売れているのはもちろんウルスです(記録更新中)。

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もうひとつ参考までに、仮に「27車種」から単一生産車(ワンオフ)、少量限定モデルを除くと17車種にまで減少し、この数字は「ランボルギーニが発表したトラクター」よりも少ない数字かもしれません(2010年代までに少なくとも14モデルのトラクターが発売されており、今でもニューモデルが登場している)。

ちなみにランボルギーニの車名については、その多くが「闘牛」もしくは「ギリシア神話」由来であることもよく知られていますね。

ランボルギーニ・エッセンツァSCV12
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ランボルギーニのエンブレムには色々な意味がある

ランボルギーニのエンブレムには「闘牛(雄牛)」が用いられていますが、これには様々な理由があると言われます。

ひとつはフェルッチョ・ランボルギーニが「牡牛座の生まれ」であったこと、それに加えて雄牛はランボルギーニにとってパワー、スピード、威信を象徴していたこと。

そしてウワサレベルではあるものの、フェルッチョ・ランボルギーニは「フェラーリの馬」に対抗して”牛”を用いたと言われており、これは上述の設立動機から考えても納得のゆく話です。

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そして当初からなにかとフェラーリを引き合いに出したりライバル視していたことも伝えられていて(息子のトニーノ・ランボルギーニによれば、しばしばフェラーリにストリートレースを挑み、それに勝つことでランボルギーニの性能を誇示していたそうだ)、全く新しい自動車メーカーであるランボルギーニの名を知らしめるために「フェラーリのライバル」という構図を意図的に作り上げ、ゴリアテに挑むダビデに自分をなぞらえた(そして世間にもそう認識させようとした)という話も伝えられていますね。

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なお、1963年~1972年当時のエンブレムはこういった「ブラックとレッド」の配色を持ち・・・。

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1972年から1974年にはブラックとゴールドへと変化し、「LAMBORGHINI」文字にゴールドの帯が付与されます。

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1974年(ロセッティ/レイマー時代)から1998年ではモノクロになり・・・。

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1998年(アウディ傘下)から現在のエンブレムへ。

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もっとも高価なランボルギーニは「ヴェネーノ」である

なお、意外な事実が「もっとも高価なランボルギーニはヴェネーノである」ということ。

ヴェネーノ(クーペ)はわずか3台が生産されその価格は新車で400万ドル、そしてヴェネーノ・ロードスターは9台のみの生産となっており450万ドルにて販売されています。

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ただ、これはあくまでも価格が公開されている範囲に留まるので、ワンオフまで含めると、「アヴェンタドールJ」「SC18」「SC20」「インヴェンチブル」「オウテンティカ」といったモデルのほうがずっと高価なのかもしれません。

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フェルッチョ・ランボルギーニはモータースポーツ活動を行わなかった

これはよく知られている事実ではありますが、フェルッチョ・ランボルギーニは(フェラーリと異なって)モータースポーツ活動に参加しておらず、これは「フェラーリとの差別化のため」という説が有力です。

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ただ、フェルッチョ・ランボルギーニ自身は若い頃にバイクを駆ってレースに参戦したことがあるので、モータースポーツに関心がなかったわけではなく、実際にいくつかのプロトタイプが作られたそうですが、V12エンジンを設計するために契約した元フェラーリのエンジニア、ジオット・ビッザリーニが「(フェラーリでの経験をもとに)いかにモータースポーツが企業を疲弊させるか」をフェルッチョ・ランボルギーニに語り、フェルッチョ・ランボルギーニがそれを聞き入れた、と言われます(当然、フェルッチョ・ランボルギーニは当時のフェラーリの状況、宮廷の反逆について知っていたはずなので、これについては好例が目の前にあったということになる)。

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一方でランボルギーニのテストドライバー、ボブ・ウォレスが「モータースポーツへの参加を画策し」イオタを作った例もあり、経営体制が変わった後の1989年から1990年代初頭にかけてはラルース、ロータス、リジェ、ミナルディ、モデナのチーム向けに F1 エンジンを製造したことも。

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加えて、最近では、ランボルギーニはモータースポーツ部門であるランボルギーニ・スクアドラ・コルセを通じてモータースポーツとの関与を強めていて、ル・マン24時間レースへの参戦を控えるなど、従来とはやや異なる動きを見せています。

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ランボルギーニはバイクを作っていたことがある

ランボルギーニはその経営元が8回変わっていますが、4番目のオーナーであるミムラン傘下で企画されたのがランボルギーニのバイク「デザイン90」。

当時の社長であるパトリック・ミムランはラインアップの拡充を目指しており、(同氏の母国であるフランスの)バイクメーカー「ボクサー」に依頼してこのデザイン90を生産に移そうと考え、カワサキのエンジン、そのほか日本のパーツを使用してこのバイクを発売します。

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そのデザインはカウンタック25thアニバーサリーにインスパイアされたもので(たしかに車体後部はそれっぽい)、50台の受注があったと言われるものの、実際には6台のみが生産されるのみで(現存するのは5台だとされる)プロジェクトが終了。

プロジェクトが終了した理由については定かではなく、しかし「5番目の」オーナーであるクライスラーがランボルギーニを買収した際に”切り捨てられた”という説が濃厚です。

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ちなみにですが、現在ランボルギーニはドゥカティを傘下に収めており、過去には2つのコラボモデルを発売したことがありますね。

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