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マツダは1998年、好景気のもと「レクサスのような高級ブランド」を”プロジェクト・ペガサス(のちのアマティ)”を立ち上げV12エンジン搭載車を発売する計画を持っていた

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| しかし開発費の高騰、さらにはバブル崩壊によってプロジェクトが完全に消え去る |

もうちょっと早く展開がなされていれば、今ではレクサスと並ぶブランドに成長していたのかもしれない

さて、マツダは現在「プレミアム」を標榜していますが、遡ること1980年代には「マルチチャンネル」展開を行っており、そこではオートザム(1989-1998年)、ユーノス(1998-1996年)「アンフィニ(1991-1997年)」といったチャンネル(ブランド)が展開されています。

その一方、実現しなかった戦略もあり、それが1980年代に計画された高級ブランド「アマティ(Amati)」です。

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マツダ「アマティ」とは何だったのか

そこでこのアマティについて掘り下げてみると、これは「トヨタにとってのレクサス」「日産にとってのインフィニティ」「ホンダにとってのアキュラ」と同様のポジションを意識した”新ブランド”で、1998年に「プロジェクト・ペガサス」というコードネームの下で始動しています。

最初のモデルである「アマティ1000」は1994年に発表される予定で、(当時)年収75,000ドル(現在の為替レートだと1100万円くらい、インフレを考慮すると当時ではかなりの高所得者である)以上の米国消費者をターゲットとし、アメリカ人のマツダ幹部であったディック・コリバーによってプロジェクトが先導されています。

1980年代半ばに日本経済は好景気に沸いており、その背景には1985年のプラザ合意があったわけですが、これによって主要な世界の通貨が均等化され日本円の価値が増大することに。

さらには1987年のルーヴル合意も同様に世界の通貨を均等化し日本円の価値をさらに押し上げており、「それまで」に比較すると日本の自動車産業は無限とも思える資金を手に入れています。

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そこでマツダは新たに4つのサブブランドを立ち上げることを思いつき、ここで誕生したのがアンフィニ、ユーノス、オートザム、アマティ。

アンフィニは高級指向のブランドで、オートザムは小型軽自動車を、ユーノスはスポーティな車両を提供し、アマティは1988年に設立された最初のサブブランドであり「高級車の販売」を目的とされていたわけですね。

つまり、当時アマティは実際に設立されており、具体的にBMW 3シリーズ、5シリーズ、7シリーズをターゲットとした「アマティ300」「アマティ500」「アマティ1000」といったラインアップが計画されていて、このうちアマティ1000にはV12エンジン(当時のマツダのV6エンジンを2つ連結したもの)を搭載する計画が進められ、実際に製造されたプロトタイプのエキゾーストサウンドは(元マツダの幹部であるボブ・ホールによると)「フェラーリV12のようだった」。

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さらにこのアマティ1000はデザイン面においても注意が払われ、ピート・バートウィスルがデザインを担当しますが(結果的にこれは実現せず、コンベンショナルなデザインになった)、こういった「マツダらしからぬ」数々の挑戦によって予算が尽きてしまい、ここで(1992年に)アマティブランドに対する「死刑宣告」がなされたとのこと。

なお、この死刑宣告には「バブル経済の崩壊」も関係していて、上述のアマティのラインアップが発表されるとほぼ同時に日本経済が持続不可能な高水準に達し、日本経済はそこから「失われた10年」と呼ばれる長期的な停滞に陥いることとなり、1992年10月26日に「アマティブランドの廃止」が公式発表されたわけですね。

参考までにレクサスの展開は1989年から、インフィニティも1989年から、アキュラは一足早い1986年から。

「もし」マツダが車両の開発に時間を取られず、”プロジェクト・ペガサス”発足の1年後つまり1989年に(レクサスやインフィニティと同じく)アマティブランドからクルマを発売できていたならば「死刑宣告」を回避できていた可能性もあり、現在のように「プレミアムブランドへの移行」に苦戦することもなかったのかもしれません。

あるいは、アンフィニ、オートザム、ユーノスが潰えてしまったように、アマティもまた(実際にクルマを発売していたとしても)同じ運命を辿ったのかもしれまず、しかしそれは今となっては永遠に知ることができない”別の平行線上にある未来”である、ということですね。

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参照:CARBUZZ

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