| 初代マツダ・ロードスターはアメリカで企画され、アメリカと日本のデザイナーがその形を磨き上げた |
外装には能面や分銅、内装には畳といった日本的なモチーフも
さて、初代(NA)マツダ・ロードスターは1989年のシカゴ・オートショーにて発表されていますが、シンプルで運転が楽しいコンパクトなオープンカーとして独自の地位を獲得し、現在までに累計100万台を超える販売を誇ります。
現在のNDロードスターに至るまでは4世代を経ているものの、いずれも初代ロードスターからインスピレーションを受けたデザインやコンセプトを持ち、とくに現行ロードスターは「軽量コンパクト」という、マツダ・ロードスターの原点に立ち返ったクルマだとして高く評価されているのは誰もが知るところでもありますね。
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初代ロードスターのデザイナーが亡くなる
この初代ロードスターのデザインを担当したのは田中俊治氏をメインとするチームだといわれますが、このたび田中俊治氏が今月始めに75歳で亡くなったと報じられており、しかし親しい友人によると、最後の言葉は「人生に悔いはない」というものだった、とのこと。
なお、マツダは世界各地のデザインスタジオが考えたデザインをコンペにかけ、その中から優れたデザインを選んで製品化するという手法を採用することが多く、しかしその中から「ひとつ」を選ぶのではなく、複数の案を選び、それらをミックスしながらひとつのクルマを作り上げてゆく、といいます。
実際にこの初代ロードスターについてもカリフォルニアのデザイン(俣野務氏が率いるチーム)と横浜のデザイン(田中俊治氏が率いるチーム)とが最終的に残り、それらをブラッシュアップしたのが製品版のデザインということになりますね。
開発途中の画像にはMGが映っていますが、これはもともとロードスターの企画自体が「MGみたいな小型スポーツカーがあれば」ということから始まっているためで、ひとつのベンチマークとされていたのだと思われます。
初代ロードスターには「日本らしさ」が盛り込まれていた
なお、ロードスターのデザインに際しては日本を意識した要素が多数取り込まれ、能面(小面 / 若女)や分銅をモチーフとした内外装に「畳」モチーフのテクスチャを用いたシートなどが採用されていますが、同時期にデザインされたセンティアもやはり「能面」をモチーフにした、と言われています。
そして田中俊治氏は外装だけではなく内装も同時に手掛けることが多く、これは一般的なカーデザイナーとは異なるところであり(多くの場合、エクステリアデザイナーとインテリアデザイナーとに分かれる)、しかし同氏の場合は内外装を同時にデザインするため、NAロードスターのような統一感のあるクルマを作り上げることができたのでしょうね。
参考までに、田中俊治氏はなぜかマツダを退社し、その後はカワサキに移って二輪車のデザインを手掛けていますが、カワサキで最初にデザインしたのは「Z1000」だとされ、この際にはカワサキらしい顔つきを作ろうということで「ファミリーフェイス」なる概念を導入しています。
マツダ、そしてカワサキにも大きな変革をもたらしたことは疑いようがなく、田中俊治氏のあまりに大きな功績に敬意を表しつつ、謹んでご冥福を申し上げます。
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参照:Carbuzz