■駄文(日々考えること)

ボクにとってのスーパーカー購入とは「到達点」ではなく「はじまり」である。スーパーカーの購入によって踏み入れた新しい世界はやっぱり異次元である

フェラーリ

さて、スーパーカーに乗っていると時々言われるのが「これでもう頂点に到達ですよね」。

しかしながら実際のところ、スーパーカーに乗ってはじめて気付かされることも多く、たとえばスーパーカーの購入は「頂点」ではなく「単なる始まり」にしか過ぎないということ。

ランボルギーニ・エッセンツァSCV12
よく受ける相談のひとつ「自分のような人間がスーパーカーを購入してもいいものか」。スーパーカー購入に資格は必要ナシ、スーパーカーを買えばそれにふさわしい自分になる(とボクは思う)

| スーパーカーを買わない理由より、買う理由を探したほうがいい | スーパーカーを買おうと考えただけでじゅうぶんに「選ばれしもの」だと思う さて、スーパーカーを購入しようと考える人から相談を受ける内容 ...

続きを見る

改めてスーパーカーオーナーの懐の深さに驚かされる

スーパーカーに乗ると交友範囲がこれまでと大きく変わり、「スーパーカーオーナーとの付き合いが増える」わけですが、そこで驚かされるのがスーパーカーオーナーさんの資金力の桁違いっぷり。

スーパーカーオーナーさんの多くはスーパーカー(あるいはハイパーカー)を複数台所有しており、そのほかにも「5億円のタワマン買った」「腕時計は基本的にリシャールミル」といった例が少なくはなく、もしかするとそういったオーナーさんの環境においては「スーパーカーが一番安い所有物なんじゃないか」と思ったり。

そしてそんな中において、ぼくは「スーパーカーオーナーの中ではおそらくカースト最下層であろう」と認識させられることになり、しかしこれはぼくにとって「いい環境」だと考えています。

L1001793

なぜかというと、ぼくは自分よりも優れた人たちに囲まれることは自分を成長させる良い機会だと捉えていて、よってぼくはこれまでの人生において常に「新しい環境の最下層に自分を置く」ように心がけており、その最下層から少しでも上にゆこうと努力するのがぼくの人生であったから。

「鶏口牛後」ということわざがあり、これは「大きな牛の尻尾よりも、小さい鳥の嘴のほうがいい=大きな組織の末端よりも小さな組織のトップであったほうがいい」という意味なのですが、ぼくはむしろこの逆を好んでいて、小さな世界のトップにとどまるのは”井の中の蛙”でしかなく、たとえ末端であっても大海を知り、そのうえで自分の道を探すほうが人生として豊かになると常々思っているわけですね(小さな世界で満足したくはない)。

よって「自分よりも上の人しかいない」スーパーカーオーナーの交友関係はぼくにとって様々な刺激を与えてくれるもので、スーパーカーを購入して一番良かったのは、スーパーカーを運転する楽しさよりも、スーパーカーオーナーという立場になることで得られた新しい世界なんじゃないかとも考えています。

L1440681

合わせて読みたい、スーパーカー関連投稿

スーパーカーは新たな世界へのパスポート?購入後に出来るようになったこと、人生の変化を考える

lamborghini huracan スーパーカーを購入したことで何かが変わったか? 最近ふと「スーパーカーを購入して変わったこと」について考えることがあります。まず、スーパーカーを購入して何かが変 ...

続きを見る

ブルーのランボルギーニ・ウラカンEVO RWD
スーパーカーオーナー実録!スーパーカーに乗ると維持費以外にも「遊興費」「活動費」がけっこうかかるぞ

| スーパーカーは「買って終わり」「維持するだけ」ではない | スーパーカーを購入したことで広がる「新たな世界」に対応せねばならない さて、スーパーカーはけっこう維持費がかかることでも知られますが、そ ...

続きを見る

どうやればスーパーカーを購入できる?スーパーカー購入は金銭的障壁より心理的障壁のほうが大きい可能性

よく問い合わせをいただく、スーパーカーの購入について。 「どうやったら買えるのか?」「何をしたらいいのか?」というものが多いのですが、ぼくがいつも考えるのは「お金の計算ができれば買える」ということです ...

続きを見る

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

-■駄文(日々考えること)
-, ,