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マツダRX-7(FC3S)が「プアマンズ・ポルシェ」と呼ばれたの当然の帰結だった。当時のデザイナーが「FCデザイン時のスタジオにはポルシェ944が祀られ、944の神殿のようでした」と語る

マツダRX-7(FC3S)が「プアマンズ・ポルシェ」と呼ばれたの当然の帰結だった。当時のデザイナーが「FCデザイン時のスタジオにはポルシェ944が祀られ、944の神殿のようでした」と語る

Image:Mazda

| さらにこのデザイナーは「日本と中国とのデザインプロセスの類似性」つまり模倣についても触れている |

加えて後継モデルのFD3Sのデザインプロセスについても触れる

さて、マツダRX-7(FS3S、FD3S)のデザインプロセスに関する興味深い記事が公開に。

まずはFC3Sについてですが、このクルマはそのスタイリングをして「プアマンズポルシェ」を揶揄されており、しかし実際に「ポルシェ944を称えるクルマ」として誕生したことが明かされています。

これについて語ったのはデザイナーのトム・マタノ氏で、同氏は日本で生まれ育ったのち海の向こうへと渡り、GMやBMWでのデザイン業務を経て欧米での感覚を培った人物です。

そしてこのトム・マタノ氏は1983年にカリフォルニアの新設された「マツダリサーチ・オブ・アメリカ(MRA)」のデザインスタジオを率いることとなるのですが、これに際して広島のマツダ本社を訪れ、そこでデザインスタジオに足を踏み入れたときの驚きについて以下のように語ることに。

「そのスタジオはまるでポルシェ944を祀る神殿のようでした。ポスター、雑誌、そして実際のクルマまでがスタジオ内に展示されていたのです。当時のマツダの論理として、新型RX-7はポルシェ944の競合車であるべきだと考え、そのためには944を基準にデザインを進めるべきだというものがありました。日本人の考え方、特に中国人と似ているのは、考えているのではなく、コピーしているということです。西洋では、それは盗作だとか、他人の努力をコピーしていると捉えますが、日本人の場合は、”これを尊敬しているから自分たちのものにしよう’”という考え方なんです。それは創造的なプロセスではありません。私は他人の仕事をコピーすることに強い抵抗を持ち、創造的なプロセスを重視しています。」

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FD3S世代のRX-7ではFC3Sとは異なるアプローチが採用される

こうした経緯もあって、FC3S世代のRX-7がポルシェ944に似ていることにも納得がゆきますが(トム・マタノ氏の修正を待たずして世に出ることになったのだと思われる)、それだけに同氏はFD3Sのデザインプロセスにおいて全く異なるアプローチを取っていて、それでもやはり「インスピレーション元」の設定がなされ、それはフェラーリ275GTB。

ただしそれは「フェラーリ275GTBを真似る」という(FC3Sで用いた、ポルシェ944を模倣するという)ことを意味するわけではなく、「時代を超える美しいクルマを作る」という目的においてであったといい、FD3S世代のRX-7のデザイン作業が1987年に開始されることに。

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Ferrari

その過程では広島と横浜の(マツダ自社の)スタジオ、イギリスの独立系デザイン事務所、そしてマツダリサーチ・オブ・アメリカ(MRA)が競い合い、最終的にマツダは8つのスケールモデルから、広島とMRAの2つに絞り込むこととなり、広島本社のデザインは、マツダのスポーツプロトタイプレースカーにインスパイアされたキャブ・フォワードのプロポーションを特徴とした現代的なもの、その一方でMRAのデザインは、まったく異なる性質を持っていたのだそう。

「私の個人的な願い、目標は、時代を超えたデザインを作ることでした。これがマツダがこんなクルマを作る最後のチャンスだと思っていたのです。新型RX-7は、前モデルのRX-7 Turbo IIとも似た機械的レイアウトを使用する予定で、前軸の後ろに搭載されたターボチャージャー付きのツインローターエンジン、2人乗りのキャビン(日本市場向けには小さな後部座席が設定された)、後輪駆動。そして、間もなく新型ロードスターの登場が予想されていたため、FD3Fの後継モデルとしてのRX-7はミッドエンジンになるだろうと考えていました。」

なお、ここで注目に値するのは「FD3S後継モデルが”ミドシップ”となった可能性があったということですが、これは当時バブルの絶頂期を迎えていたこと、急成長する経済により自動車メーカーはクルマに対し多大な開発リソースを投じていたことが背景にあり、実際にマツダは3ローターエンジンを採用するユーノス・コスモ、ガルウイングドアを持つオートザムAZ-1、さらにはアマティという高級ブランドまで、積極的に新しい挑戦行っていたわけですね。

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さらにトム・マタノ氏は「自分が何かを証明したいという思いを持っており、「時代を超えたデザインがどう作られるべきかをマツダに示したかった」「それは単なるデザイナーのビジョンではなく、少し違ったプロセスだったのです」とも語っています。

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参照:Motor1

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