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ランボルギーニによって製造された「イオタスペック」、ミウラSVRとはいったいどういったクルマなのか?どうやって改装され、どうやって日本にたどり着いたのか

ランボルギーニによって製造された「イオタスペック」、ミウラSVRとはいったいどういったクルマなのか?どうやって改装され、どうやって日本にたどり着いたのか

| 現在このランボルギーニ・ミウラ「SVR」は日本のオーナーによって保管されている |

もともとはミウラSVとして誕生するも事故をきっかけに「SVR」へ

さて、自動車愛好家が何十年にもわたって「最も美しく、歴史的に重要なクルマ」の名を挙げるとき、必ず出てくるのが「ランボルギーニ・ミウラ」。

その印象的な、かつ時代を先取りしたデザインにより、ミウラは1960年代後半から1970年代前半にかけて瞬く間に自動車業界のアイコンとなり、映画「ミニミニ大作戦」のオープニング シーンで主役を演じたことでポップ カルチャー面においても大きな評価を得ることに成功し、また”史上初のスーパーカー”としても広く知られています。

そんなミウラの歴史には通常版のほか、「ミレキオディ」「(スチールではなく)アルミボディ」ほか様々な、そして知られざるバリエーションが存在しますが、たった1台だけ「ミウラSVR」と名乗ることができるクルマが存在します。

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ランボルギーニ・ミウラとはいったいどんなスーパーカーだったのか

このランボルギーニ「ミウラSVR」とはシャシーナンバー3681を持つ個体であり、ほかのすべてのミウラとも異なります。

そしてまずミウラそのものについて説明しておくと、このミウラは当初ランボルギーニによって正式に開発がスタートしたクルマではなく、ジャンパオロ・ダラーラ、ボブ・ウォレス、パオロ・スタンツァーニの3人によるサブプロジェクトとして開始されています(当時のランボルギーニでは比較的自由に企画ができたようで、フェルッチョ・ランボルギーニも「好きにやれ」といったおおらかさを持っていたとされる)。

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よって彼ら3人は業務時間外(主に夜間)にこのミウラの開発を行い、最終的に、フェルッチオ・ランボルギーニが彼らのアイデアを認め、正式にGOサインを出したわけですね。

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ただ、正式に開発がスタートしたいえど、クルマの開発には浮き沈みがあり、イタリアのデザイン会社であるベルトーネがスタイリングを担当し(アルファロメオ・カングーロを見たパオロ・スタンツァーニたちがそのデザイナーを探し求め、それがベルトーネだった。よってミウラとカングーロには共通点がある)、チームは24時間体制で作業し、1966年のジュネーブモーターショーでようやく発表できる車体を作り上げます。

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ただ、「自動車史上初の大排気量ミドシップカー」であったためかエンジンベイ内にエンジンを収めるのに十分なスペースがあるかどうかを事前に確認できず、よって発表時にはエンジンの代わりに「バラスト」を積んだモックアップに近いクルマであったとも言われていて、しかしその画期的なコンセプト、そして素晴らしいスタイリングによって予想を遥かに超えるオーダーが入り始めます。

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そして発売から3年後、ミウラは「ミニミニ大作戦」のオープニングシーンに登場し、ポップカルチャーでセンセーションを巻き起こすことになり、冒頭では俳優のロッサーノ・ブラッツィとスタントドライバーのエンツォ・モルッツィがアルプスのグラン・サン・ベルナール峠オレンジ色のミウラが駆け抜け、しかしこのミウラは数十年行方不明となっいたものの、数年前に発見され、その真正がランボルギーニによっても確かめられていますね。

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ミウラはまず「P400」からスタートし、1968年には改良されたバージョンのミウラS(P400S)がトリノモーターショーで発表され、このバージョンでは、クロームトリムやパワーウィンドウなどの外観と快適性の機能に加え、より大きなエンジン吸気マニホールドなどの機械的なアップデートでアップグレードがなされ、20馬力出力アップがなされています(365馬力)。

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3年後の1971年にはP400SVが登場し、ここではキャブレターの改造やカム タイミングの変更など、いくつかの機械的な変更によって380馬力の出力を実現し、さらにはエンジンとギアボックスに2つの独立した潤滑システムを実装したおかげで、このミウラSVは各コンポーネントに最適なタイプのオイルを使用でき、可能な限り最高の機能性を確保可能となったことも特筆に値します。

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伝説の「イオタ」がここに登場

ミウラの歴史においてはいくつかの「ワンオフ」が登場しますが、最も有名なのがやはり「イオタ」。

このイオタもまた、ボブ・ウォレスの個人的なプロジェクトとして(ランボルギーニ非公認のまま)スタートしますが、この「イオタ(Jota)」はスペイン語の”J”の発音にちなんで名付けられ、その理由は1970年に定められたFIAの付録Jレース規則に準拠するように作られているため(当時、ランボルギーニは社是としてレースに参戦しないと決めており、しかしボブ・ウォレスはこっそりモータースポーツ参戦を考えていて、しかしそれがバレないようにレーシングカーにミウラ風の外装を被せたものがイオタである)。

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よってこのイオタはミウラを改造したものではなく「ミウラのパーツを利用して新しく作られたレーシングカー」。

いくつかのミウラのパーツはスチールからアルミニウムに置き換えられることでミウラに比較して360kgほども軽量化され、逆に出力は440馬力へ。

サスペンションからホイール、燃料タンクまで、あらゆる部分が作り直され、モータースポーツ用として最適化されるものの、残念ながらイオタは製造からわずか1年後に事故に巻き込まれ全焼し、本来のレースキャリアを歩むことはなくそのライフを終えています。

ただし短い間と言えどこの「イオタ」の存在はランボルギーニオーナー、ファンの間で広く知られるようになり、よってランボルギーニ公式 / 非公式にかかわらず、様々なトリビュートモデル、オマージュモデルが作られていることもよく知られていますね。

このほか、ミウラの特別モデルとしてはベルトーネ製の一台限りのロードスター バージョン、(ランボルギーニ製ではなくスイスのランボルギーニ輸入業者が制作した)オープンモデル、そのほか多数の(知られざる)モデルが存在します。

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ランボルギーニ・ミウラSVRとはいったいどんなクルマなのか

そして通常のミウラ、ミウラS、ミウラSVとして誕生しつつもその後に数奇な運命を歩み、他に類を見ない仕様へとコンバートされた個体も少なくはありませんが、「ミウラSVR」もそのひとつ。

これは1968年にシャシーナンバー3781のミウラSとして生を受け、当初は「ヴェルデ・ミウラ(グリーン)にペイントされて出荷され、何度か所有者が変わった後、最終的にドイツの(9代目オーナーである)ハインツ・シュテーバーの手にわたり、1974年に彼はランボルギーニの工場へと整備を受けるために自身のミウラを持ち込む際、軽度の事故に巻き込まれます。

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この事故によってフロントエンドの修理が必要となり、しかしハインツ・シュテーバーは以前にミウラ イオタについて聞いていたこともあり、これを機に「イオタバージョンへと」改造を依頼し、しかし、ミウラの生産は1973年に終了していたため、ランボルギーニは当初彼の協力に消極的であったもよう。

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それでもハインツ・シュテーバーはひるむことなく、ポルシェ917のブレーキ、BBS ホイール、高性能メーカーのコニのサスペンション部品など、部品を自分で調達して作業を行うこととし、こういった情熱を見るにつけランボルギーニは最終的に折れ、ここから「ミウラSVR」の製造作業が始まり、ついに1975年末には「SVR」 バッジをつけた唯一のミウラが正式に製造されることとなったわけですね。

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不思議なことに、ハインツ・シュテーバーは相当な情熱をもってこのクルマを改造したにもかかわらず、このミウラSVRを長く所有しなかったといい、というのもこのミウラSVRを登録しようとしたところドイツ当局とトラブルになったため。

そのためハインツ・シュテーバーはこのクルマを日本人コレクターに売却し、その後このクルマは数十年にわたって日本で保管されています。

折しも日本ではスーパーカーブームの真っ最中ということもあって「サーキットの狼」にも登場したほか、モデルカーメーカーの京商によってミウラSVRのダイキャストモデルが製作され、これはモデルカー愛好家の憧れのアイテムとなったことも(これは現在、相当なプレミアがついている)。

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その後2018年にこのミウラSVRは売りに出され、そこからイタリアへと輸送されますが、ランボルギーニが「ミウラSVR」として製造したときの仕様からはいくつかが変更され、かつパーツのいくつかも取り外されていたといい、そこでランボルギーニは同社のクラシックカー修復専門部門「ポロストリコ」によって大規模な修復が行われ、そしてこのプロセスには19か月を要し、その間にすべてのコンポーネントが丹念に修復され、再び組み立てられもとの姿を取り戻しています。※たしかに2015年の販売記録を見ると、現在のレストア後の仕様とはいくつかの点において差異がある

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「完全な修復には19か月かかり、通常とは異なるアプローチが必要でした。元の製造シート(スペックを記載したファイル)はあまり役に立ちませんでした。1974年の改造の仕様にほとんど頼っていたからです。ポロストリコチームにとっての課題は、部品はすべて揃っていて、かなりの改造が施されていたにもかかわらず、クルマがバラバラの状態でサンタアガタに到着したという事実によってさらに困難になりました。元の仕様から変更されたのは、4点式シートベルト、サポート力の高いシート、取り外し可能なロールバーの追加だけです。これらは顧客からの明確な要望であり、クルマのサーキット走行中の安全性を向上させることを目的としています。」

ランボルギーニ アフターセールス責任者兼ポロストリコ ディレクター パオロ・ガブリエッリ

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    このミウラSVRがランボルギーニによる集中的なレストアによって本来の輝きを取り戻した後、日本へと送り返されて新しいオーナーに届けられ、中山サーキットで数周のデモ走行が(ランボルギーニ公式として)披露され、そこから今も日本のオーナーによって保管されている、というのが現在までの流れです。

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    なお、このミウラSVRについて、過去に何度か取り上げた際に「ランボルギーニ公式ではない」という連絡を多数いただいていますが、上述の通り「もともとの生い立ち」「レストア」ともにランボルギーニ公式であり、中山サーキットでの走行に関しても「ランボルギーニが公式に」プレスリリースとして配信しています。

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    参照:CARBUZZ

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