| スーパーカー世代であれば、誰もが一度は見てみたいと思ったあのクルマ |
さて、ランボルギーニ大阪さんが新しくオープンさせたショールーム内に展示されている超レアカー、「ミウラ・イオタSVR」。
このミウラ イオタSVRは世界にたった一台しか存在しない車両で、「最も有名なミウラ」とも言われる個体です。
ランボルギーニが自社のレストア部門「ポロストリコ」にて19ヶ月をかけてレストアした後、ランボルギーニ大阪さんが最終の調整を行ったもの。
ランボルギーニ自身もプレスリリースにてこの「ミウラ・イオタSVR(ランボルギーニの用いる呼称はミウラSVRだが、日本ではミウラ・イオタSVRもしくはイオタSVRと呼ばれる)」のレストアを公表したり、米ペブルビーチにて開催されたコンクール・デレガンスにおいてはランボルギーニのデザイナーや、かつてテストドライバーを努めたバレンチノ・バルボーニ氏もしばし時を忘れて見入ったほど。
その個体が今まさに目に前にあるわけですが、「まさかこのクルマを自分の目で、しかも間近にて見ることができるとは」という驚きと感動とが入り混じった状態です。
ランボルギーニ「ミウラ・イオタSVR」はこんな背景を持っている
このミウラSVRはもともと「ミウラS」として生産されたもので、シャシーナンバーは3781(エンジンナンバーは2511、ボディナンバーは383)。
生産完了時はヴェルデ(グリーン)のボディカラーとブラックのインテリアを持っており、1968年11月30日にイタリアはトリノにあるランボルギーニのディーラーへとデリバリー。
その後50回目のトリノ・モーターショーへと展示され、イタリア国内で8人のオーナーの手を経たのちに1974年にドイツ人のハインツ・シュトラーバー氏がこのミウラを購入。
その後同氏はランボルギーニへとこのミウラを持ち込んで18ヶ月かけて「SVR」へとコンバートした、とのこと。
さらにその後1976年に東名モータース代表の伊藤広光氏がこれを購入し、漫画「サーキットの狼」に影響を与えて”潮来のオックス”の愛車として登場したことでも知られます(このときにイオタSVRとして漫画に登場したので、日本では”イオタSVR”として定着したのかも)。
ランボルギーニ・ミウラ・イオタSVRを見てみよう
そしてここからがミウラ・イオタSVRの画像。
さすがにレストアが施されたばかりとあって、新車といっても差し支えない美しさを持っています。
フロントカウル内はほとんどが燃料タンク。
フロントフードは相当に大きな面積を持っています。
給油口越しに。
燃料タンク。
レース用とも思える頑強なタンクで、ホース類はステンレスメッシュ。
ホーンはおそらく当時と同じ「FIAMM」製だと思われます。
冷却ファンが2基。
フロントカウルを閉じるとこう。
給油キャップが顔を出します。
ミウラに特徴的な「ルーバー」はなく、それがこのクルマの特別さを際立たせているようですね。
フロントカウルのサイドに設けられたダクトの周囲は「リベット留め」。
リアカウルを開くとこう。
横から。
V12エンジン。
V12ミドシップというところはカウンタックと同じですが、ミウラの場合(というか歴代V12ではミウラのみ)はエンジン横置きです。
視界確保のためにガラスを採用したかったものの、エンジンから飛び散るオイルでガラスが汚れてむしろ視界を悪くするために採用されたという「ルーバー」。
おそらくは軽量化のためだと思われますが、あちこちが丸く肉抜きされていますね。
あまりに太すぎるタイヤ。
カウルを閉じるとこう。
リアフェンダーの張り出しはあまりに暴力的で、よほどの覚悟とドライビングスキルがない者を拒絶するかのようですね。
美しく仕上げられたドアハンドル。
この車両はランボルギーニ大阪ショールーム移転記念イベントのサプライズとして用意されたものですが、本当にいいものを見せてもらったと思います。
ここではすべてのディティール、そしてミウラ・イオタSVRの魅力を伝えきることはできず、他の画像はFacebookのアルバム「ランボルギーニ・ミウラ・イオタSVR」に保存中。
ランボルギーニ・ミウラ・イオタSVRの様子は動画でも
こちらはミウラ・イオタSVRを収めた動画。