さて、ランボルギーニが「ミウラSVが50周年を迎えた」と発表。
ミウラシリーズ最初の市販モデルであるミウラ「P400」は1966年に発売されており、その後1968年には「ミウラS」、そして1971年には「ミウラSV」へ進化しています。
そしてミウラSVが発表されたのは1971年のジュネーブ・モーターショー(のベルトーネのブース)だったとされているので、「きっかり50年」が経過したということになりますね。
ミウラSVは「ミウラの完成形」
なお、ミウラSVは「ミウラの最後のシリーズ」で、150台ほどが生産されていますが、SVとは「スプリントヴェローチェ」を意味しており、日本語にすると「速くチューンされた」というニュアンスに。
ミウラの生みの親でもあるジャンパオロ・ダラーラとパオロ・スタンツァーニの両名はミウラを絶え間なく改良しており、ミウラSVだとエンジン出力が385HP/7850rpmへと向上。
トルクも40.7kg/5750rpmへと引き上げられたことで運転しやすくなったといいます。
メカニズム的な特徴だと、剛性が高められたシャシーを持ち、アンカーポイントとアームが異なる改良され、130ミリほどワイド化されたリアサスペンションが与えられることに。
これに付随してリアホイールの幅は7Jから9J(タイヤ幅は255)へと拡大され、ホイールのデザインもスポーティーに(ほとんどのオーナーが、ゴールドのホイールを選択したという)。
こういった改良に伴ってボディのデザインの改められ、デザイナーであったマルチェロ・ガンディーニは「ワイドリアフェンダー、新デザインのテールランプ、ラジエター用インテークを追加したフロントフード」をミウラSVへと与えています。
加えて、ミウラSVからは、ヘッドライト周辺の「アイラッシュ(日本では”まつ毛”として知られる)」がなくなっていますが、これは製造に手間がかかっていたためで、ランボルギーニ創業者であるフェルッチョ・ランボルギーニの命によって取り外されることになった、とのこと(ただし、フェルッチョ・ランボルギーニは、自身のミウラSVに対してのみ、このアイラッシュを取り付けさせたので、気に入っていたパーツではあったようだ)。
インテリアについては、各部にクロームメッキを施すなど豪華でモダンな雰囲気を持っており、ミウラSVはそのパフォーマンスのみならず、内外装も特別であったようですね。
「ミウラ」とは?
なお、車名の「ミウラ」とは、闘牛を育てる「ミラ牧場」に由来。
ランボルギーニによると、現代の闘牛の血統は「カブレラ」「ナバーラ」「バスケーニャ」「ビスタエルモーサ」「ガヤルド」の5つの血統に集約されるとのことですが、この例外としてガヤルドからの派生であるパブロ・ロメーロ(パルティード・デ・レシーナ)、ナバーラから派生した「ミウラ」という血統がある、とされています。
よって「ミウラ」というのは闘牛の血統の一つで、ミウラさん一家が運営する「ミウラ牧場(ランボルギーニ本社から600キロくらい離れている)」によってこの闘牛が育てられている、ということになりますね。
全くの余談ではありますが、イタリア語には「ミウラ」や「ムラーノ」など日本語の語感に近い名称や言葉がいくつかあり、食べ物に関しても、イタリアではカラスミを食べたり、欧州の他の地域ではあまり食べられないタコや生の魚、うなぎなどを食べるという、日本との不思議な共通点があるように認識しています。
ミウラはなぜ短命に終わったのか
なお、1971年に登場したカウンタックが1989年まで長きに渡り製造されたのとは異なって、ミウラの場合は1966年(納車は1967年)~1973年と非常に短命。
当時は相当な人気があったといい、生産を終了する理由はなかったはずですが、フェルッチョ・ランボルギーニのツルの一声で生産が終了されることになったというのが通説です。
パオロ・スタンツァーニの言によれば、ミウラの人気があまりに凄まじく、これによって客層が(あまり好ましくない方向へ)変わってしまいつつあったため、ブランドを守るための生産終了を決めたとも。
ミウラのデザインだけがちょっと特別?
そしてミウラはランボルギーニがこれまで発売してきたクルマの中でも高い人気を誇るものの、デザイン的にはやや異色。
ガンディーニの作品としては、ミウラのほかにランボルギーニ・カウンタック/ディアブロ、ランチア・ストラトス/ストラトス・ゼロ、フィアットX1/9、マセラティ・カムシン、アルファロメオ・モントリオールなどがありますが、いずれも直線や平面を用いたものばかりで、ミウラのように優雅な曲線、そして面構成を持つクルマは「稀」。
ただ、それには理由があって、一説によるとミウラのデザインにおけるインスピレーションは「アルファロメオ・カングーロ(AlfaRomeo Canguro)」であったから。
1964年開催のパリ・モーターショーにて、パオロ・スタンツァーニとジャンパオロ・ダラーラのがこのクルマを目にし、「ランボルギーニの新型車はこういったデザインを持つべき」と考え、そこでカングーロをデザインしたベルトーネにデザインを(おそらくカングーロのようにしてくれと)依頼した、という経緯があるようです。※ミウラのデザインを依頼した当時、マルチェロ・ガンディーニはベルトーネに在籍していたが、カングーロのデザイナーがベルトーネであったかどうかは定かではない。ただしガンディーニがベルトーネに入ったのは1965年なので、時系列的にカングーロはガンディーニの作品ではないと考えるのが妥当
合わせて読みたい、ランボルギーニ・ミウラ関連投稿
-
ランボルギーニ・ミウラの「あのルーバー」にはちゃんと”これでないとダメ”な理由があった!ほかにも今だからこそ話せる事実が公開に
ランボルギーニは昔からチャレンジ精神に溢れていた 「Octane」にて面白い記事があったので個々で紹介したいと思います。記事そのものは「ランボルギーニ・ミウラ誕生秘話」といったものですが、その中でもっ ...
続きを見る
-
50年間、コレクターたちが探し続けた「ミニミニ大作戦」に登場のミウラ。ついにそのミウラが発見され、ランボルギーニも「間違いない」と認める
| 映画には「走行用」「クラッシュ用」二台のミウラP400が使用されていた | 1969年に公開された映画「ミニミニ大作戦(原題:イタリアンジョブ/The Italian Job)」。この冒頭にランボ ...
続きを見る
-
ランボルギーニが「4台しか生産しなかった」ミウラSVJをレストアし公開。公の場にて展示されるのは「初」
| ミウラSVRはかの「イオタ」に触発されて製造されたオーナーのオーダーによって4台のみが生産 | ミウラはランボルギーニにとっても重要なヘリテージではありますが、その歴史の中には数々のバリエーション ...
続きを見る
参照:lamborghini