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「そのとき、歴史が動いた」。ランボルギーニが創業から今までに製作したワンオフモデルやコンセプトカーを一挙公開(1)。まさかのミニバンも存在

2023/08/10

「そのとき、歴史が動いた」。ランボルギーニが創業から今までに製作したワンオフモデルやコンセプトカーを一挙公開(1)。まさかのミニバンも存在した

| ランボルギーニは1960〜1970年代に様々なワンオフモデルを活発に製作していた |

加えてスポーツカーやスーパーカー以外の可能性も積極的に模索していたもよう

さて、ランボルギーニが「1963年の創業以降に製作したワンオフモデル」なるコンテンツを公開。

ランボルギーニによれば、「1960−1970年代のワンオフモデルはデザインや技術的なプロトタイプとしての性格が強く、しかし現代でのワンオフとは「特定の顧客のための特別なモデルを指すことが多くなっている」。

そして現代のワンオフモデルについては「基本的に、最も忠実な顧客のための限定生産車であり、後年の市販車に採用される最先端の技術的ソリューションを先取りしたり、強化したりするものである」という定義づけを行っています。

ランボルギーニはこんなワンオフモデルを作ってきた

そこでランボルギーニが製作してきたワンオフモデルを紹介していますが、まずは1963年の350GTV。

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現代のランボルギーニからは想像もできないレトロかつエレガントなクルマですね。

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その後の1965年にミラノのカロッツェリア・ザガートが350をベースに作成した350GTZへを作成(2台作られている)。

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そして1965年にはオープンモデルの350GTS。

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同じく1965年には350GTと400GTのチューブフレームを生産していたカロッツェリア・ネリ&ボナチーニが400モンツァを製作。

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1966年にはカロッツェリア・トゥーリングが生産した400 GTフライングスター。

これは「シューティングブレーク」ボディを持っており、のちのエスパーダへと発展することになるのだそう。

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1967年には4人乗りの "グラス "カー、マルツァルが登場。

これは純粋なコンセプトカーではありますが、「4人が快適に座れるシート」「フラットでシャープなフロントエンド」「ヘキサゴン」が採用されており(これらはいずれもランボルギーニ創業者、フェルッチオ・ランボルギーニの要望だったそうだ)、のちのエスパーダやその他のモデルにも継承されています。

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ちなみにこのガルウイングドアについては「エンジニアのパオロ・スタンツァーニが全力を尽くしたが、どうやっても実現できなかった」とのこと。

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ランボルギーニは「ミドシップ」の時代へ

そして1968年のブリュッセルモーターショーに登場したのがミウラ・ロードスター。

この市販が実現しなかったのは「技術的に不可能に近かった」ため、そして当時のランボルギーニが別のプロジェクトを2つ進行させていたためだとされています(エスパーダとウラッコを開発していた)。

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1970年にはランボルギーニのテストドライバーであったボブ・ウォレスが伝説の「イオタ」を世に送り出します。

イオタは、ツーリングカー選手権のアペンディックス(附則)J項のレギュレーションに準拠したレーシングカーで、「レースに参戦しない」という信念を持っていたフェルッチオ・ランボルギーニの目をごまかすためにミウラに近い外観を持たせていたと言われます。

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ただ、フェルッチオ・ランボルギーニは、ボブ・ウォレスが空き時間を利用して(ランボルギーニのコンポーネントやパーツを使って)作ったこのクルマに対し技術的な未来を感じたとも言われており、実際のところ顧客の要望に応え、イオタにインスパイアされたミウラをSVJを4台製造することとなったわけですね。

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1971年になるとカウンタックLP500がジュネーブ・モーターショーにてコンセプトカーとして発表され、当時は「未来的なクルマに対する大衆や潜在顧客の反応を試すために作られた」のだそう。

そして反響の大きさから市販化のための開発が進められ、1973年には市場へと投入されますが、マルツァルのときとは異なり、シザースドアを維持したままでの発売となっています。

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1973年になると、ボブ・ウォレスが「ミウラ・イオタと同じ基本コンセプトを維持し」当時シルエットと呼ばれていた新しいグループ5レーシングレギュレーションに準拠したウラッコラリー(ウラッコ250をベースにエンジンを3リッターボアアップ)を製作。

1974年には市販車としてデュアルオーバーヘッドカムシャフトとチェーンドライブ配分を備えた3リッターエンジンを搭載したウラッコP300が、そして1976年にはウラッコ300をベースにしたオープントップ仕様のシルエットが誕生することになり、そのエアロダイナミクスはラリーにインスパイアされたものであったと言われます。

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1973年のハラマ・ラリーは、ボブ・ウォレスの最後の作品であり、しばしば「ハラマ・ボブ」とも呼ばれたのだそう。

1970年のハラマ2+2をベースとし、エアロダイナミクスの見直し、そして全体的な軽量化、最も重要なのはフロントV12エンジンをコックピット側にシフトしてバランスと重量配分を改善して走行性能を大幅に向上させたこと。

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ランボルギーニは常に「未来」を見ていた

1974年、ベルトーネがウラッコP300をベースにしたブラボーを発表し、リアシートをなくすことでホイールベースは20cm短縮され、より角ばった極めて未来的なライン、そしてカウンタックLP400Sの特徴的なスタイルのひとつとなる「フォーンダイヤル」ホイールを備えていたことが大きな特徴。

なお、このブラボーは、ガヤルド(2003年)とウラカン(2014年)といった、ランボルギーニの歴史の重要な一部でもある”小型のリアマウント・エンジン(12気筒エンジンではない)を搭載した2シーター・ベルリネッタ”の最初のモデルだということも注目すべきポイントです。

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1978年になるとランボルギーニの忠実な顧客であり、外部コンサルタントとしてジャンパオロ・ダラーラにサポートされていたウォルター・ウルフのために特別なカウンタックLP400が製造されます。

ホイールアーチを拡大するエクステンションが装着されて大径ホイールとロープロファイルタイヤが収められ、ダウンフォース獲得のためリアには大型のウイングが装着されるなどの変更が加えられることになり、翌年にはこのカウンタック・ウルフをベースにした(市販モデルとしての)カウンタックLP400Sが登場しています。

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1980年にはランボルギーニの指示のもと、カロッツェリア・ベルトーネが完全オープントップのシルエットの実現可能性を研究するために「アトン」を製作していますが、今でもそのスタイルは先進的で、当時「わずかな改良を加えるだけで生産が可能だった」と言われます。

ちなみにベルトーネはクルマの構造や製造に関する知識が豊富であったと見え、いかにコンセプトカーであっても、そして一見して奇抜に見えたとしても「実現が可能な」クルマをデザインしていたようですね。

そしてこのアトンはのちのランボルギーニの「ロードスター」につながるコンセプトを持っていたといい、のちのランボルギーニが作るロードスター、そしてスピードスター(アヴェンタドールJなど)はこのクルマが元祖であったと考えていいのかもしれません。

そして当時のランボルギーニは「拡大路線」を採用しており、新しいセグメントへと乗り出すために「LMA」を製作。

当時のランボルギーニは(他の自動車メーカーよりもずっと早く)スポーツ性能を備えたオフロード車に対する新しい市場の需要を察知していたといい、これがのちのLM002へ、そしてウルスへと繋がる元祖ということに。

このLMAはチューブラーフレーム、フロントマウントのV12エンジン、最高速度200km/h以上という、それまでのオフロード車にはなかった特徴を備えており、ランボルギーニの先見性も伺えます(ただ、残念ながら会社の経営状態が不安定であった)。

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ランボルギーニは「V12の終焉」を迎えるにあたり過去のV12モデルを振り返るコンテンツをいくつか公開していますが、今回は「カウンタックとLM002」という、一見すると真逆の位置にあるように思える二台に焦点を当てています。
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1985年になるとランボルギーニは新開発素材の実験を開始し、このプロジェクトを主導したのは後にパガーニを創業するオラチオ・パガーニ氏。

これを多用したクルマがカウンタック・エボルツィオーネで、カウンタック・クアトロバルボーレのメカニズムをベースにしながら、ボディワークをすべてカーボンファイバーで作ったワンオフモデルです。※カウンタック・クアトロバルボーレよりも400kgも軽い

当時からカーボンファイバーは「スポーツカーの製造方法に革命をもたらす」ことがわかっていたものの、この素材を扱うには大きな制限があったために市販化に至らず、しかし素材としてのカーボンファイバーはのちのカウンタック25thアニバーサリーに採用されています。

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1988年のトリノモーターショー、カロッツェリア・ベルトーネのブースに登場したのがまさかのミニバン「ランボルギーニ・ジェネシス」。

LM002に加わる新しいラインナップとして企画されており、V12エンジンをフロントに縦置きするワンボックスというレイアウトを持っています。

ランボルギーニらしい特徴的なドアを持っており、市販後の利益が有望視されたものの、当時は開発リソースが限られており、V12スポーツカー開発を優先させるために「お蔵入り」となったのだそう。

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こうやって見ると、「ワンオフモデル」誕生の背景はそれぞれではありますが、のちの市販モデルに繋がる思想や構造を持つものも多く、中には現代のランボルギーニの礎となったクルマも存在しており、市販化されなかったといえど「無駄になったモデルはひとつもない」のかもしれません。

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参照:Lamborghini

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