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【フェラーリの哲学】なぜ“需要より1台少なく”しか作らないのか?エンツォ・フェラーリの信念と成功の理由

2025/05/28

【フェラーリの哲学】なぜ“需要より1台少なく”しか作らないのか?エンツォ・フェラーリの信念と成功の理由

はじめに:伝説の言葉「フェラーリは常に需要より1台少なく作る」

フェラーリは常に「ブランド価値の最大化」を優先させてきた

エンツォ・フェラーリは数々の名言を残していますが、最も有名なのはこの一言かもしれません。

「フェラーリは、常に市場の需要よりも1台少なく生産する」。

 この言葉を聞いて、どんな財務責任者(今風に言えばCFO)も青ざめることは間違いなく、というもの”通常”自動車メーカーは“多く売って多く稼ぐ”のが原則だから。

よって「少なく作る」というのは業界の常識に反しており、しかし、フェラーリは常識の真逆の戦略を採用することによって自動車業界では「もっとも高い」ブランド価値を形成しています。

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「少量生産」がフェラーリを伝説にした

より多く作ればより多く儲かる——この常識に逆らい、フェラーリは「台数を絞ることで価値を上げる」戦略を貫いてきましたが、その結果、フェラーリは世界で最も希少性が高く、最も“欲しい”と思われるブランドに成長しています。

つまり、創業者であるエンツォ・フェラーリは、まさに「金の卵を産むガチョウ」を作りあげることに成功したと言っていいのかもしれません。

フェラーリが公式にそのエンブレム誕生を語る。エンツォとミラノの芸術家によって作られ、文字の上で「馬が跳ねているように」というのはエンツォの指示だった
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エンツォ・フェラーリの信念:大量生産には「NO」

フェラーリ125 Sが誕生した背景

エンツォ・フェラーリは1929年にレーシングチーム「スクーデリア・フェラーリ」を設立し、1947年には初のロードカー「フェラーリ125 S」を世に送り出します。

しかし、彼は当初から「大量生産はしない」と決めていたといい、周囲の反対意見や財務的懸念にも屈せず、「限定された台数のみを作り、プレミアム価格で売る」というビジネスモデルを主張し続け、この哲学こそが、その後のフェラーリの成功の礎となったわけですね。

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レースで勝てば、クルマは売れる

勝利こそ最大のマーケティング

フェラーリの販売戦略は非常にシンプルで、「レースに勝てば、クルマが売れる」。
実際に125 Sはレースで勝利し、限定2台のみのロードカーとして販売された極めて希少な例ですが、この希少性によって熱狂的なファンの注目を集めています。

この“勝利=販売”の方程式は現在でもフェラーリのDNAに刻まれており、よってエンツォ・フェラーリはレースにおいて「無理をしてクラッシュしリタイヤするよりも、安全にポイントを持ち帰る」ドライバーを嫌悪したといい、たとえレース終了間際に2位を走っていたとしても、安全に2位でフィニッシュするのではなく、クラッシュ覚悟で1位を狙うようなドライバーを好んだ、とも伝えられていますね。

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組織の混乱と危機、そしてフォードとの衝突

1960年代初頭、フェラーリ社内で“宮廷の反乱”と呼ばれる謀反と大粛清が発生し、これはエンツォ・フェラーリ夫人の経営介入を巡って8名の上級スタッフが一斉解雇されたもの。

もう少し詳しく説明しておくと、この「宮廷の反乱」とは、1961年にフェラーリ社内で発生した重要な事件で、主にエンツォ・フェラーリの経営方針に対する反発から生じており、この事件の中心人物には、営業部長のジローラモ・ガルディーニ、チーフデザイナーのカルロ・キティ、エンジニアのジオット・ビッザリーニなどが含まれています。

この反乱は、エンツォ・フェラーリがガルディーニを解雇したことに端を発しますが、ガルディーニは、エンツォの妻ラウラの経営介入に異を唱え、これが社内の緊張を引き起こしてしまい、結果としてガルディーニを支持する幹部たちが一斉に退社することになり、その一連の過程が「宮廷の反乱」と呼ばれるようになったわけですね。

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この事件の結果、退社した幹部たちは新たに「アウトモビリ・トゥーリズモ・エ・スポルト(ATS)」という会社を設立し、このATSはフェラーリの競合として活動し、特にモータースポーツの分野で注目を集めることに。

また、ビッザリーニは後にランボルギーニのV12エンジンの設計にも関与し、自動車業界における影響力を持ち続けたことでも知られます。

こういった影響を見るに、宮廷の反乱はフェラーリの歴史において重要な転機となったばかりではなく、その後のイタリアの自動車産業にも大きな影響を与えた事件として記録されているわけですね。

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フィアットとの提携、そして再興

そしてこの宮廷の反乱によってフェラーリから優秀な人材が流出し、これが社内の混乱を招いたほか、品質低下や財務危機をもたらしたことでエンツォ・フェラーリは「身売り」を考えるようになりますが、その交渉相手のひとつが(映画『フォードvsフェラーリ』でも描かれた)フォード。

しかしこの交渉は契約書締結直前で決裂してしまい、1969年にエンツォはフィアットと提携してフェラーリの発行済株式のうち50%を売却してしまいます。

この資金をもってフェラーリは開発体制を立て直し再び躍進を遂げるのですが、こういった「危機」を経験したとしてもエンツォ・フェラーリの「少数生産」方針は一貫して維持され、エンツォは依然として「フェラーリは手の届かない夢であるべき(簡単に手に入れることができる存在であってはならない)」と信じていたわけですね。

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エンツォ・フェラーリ没後も続く「希少性」の哲学

そして興味深いのが、エンツォ・フェラーリが1988年に逝去した後もその信念が受け継がれたこと。

F40やF50、エンツォ・フェラーリなど、プレミアムで希少な名車が次々と登場し、しかしいずれも生産台数が厳しく制限されていて、フェラーリの限定モデルの生産台数が「(399台、など)~9台」に設定されるのも「顧客が求めるよりも常に一台少なく作る」というエンツォ・フェラーリの信念から。

ただ、F40だけは「当初399台の限定生産」予定であったものの、なぜか「求められるままに作ってしまい」、最終的に1,311台(1,314台とも、1,315台とも言われる)を生産することに。

参考までに、フェラーリは「非限定」つまりカタログモデルであっても生産台数をあらかじめ決めているといい(ただしその台数は公開されていない)、それらの中だと360モデナは比較的多くが生産されたものの、それでも16,000台程度にとどまるため、他社の製品に比べれば微々たる数にとどまります。

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上場企業になっても変わらない理念

2016年、フェラーリはついに上場企業となり、エンツォ・フェラーリの息子であるピエロ・フェラーリが10.5%の株を保有し続けたものの、その大半は市場に公開され、しかしそれでも「需要より1台少なく作る」という戦略は維持されたまま。

つまり株主もエンツォ・フェラーリの思想を支持している、ということになりますね。

実際のところ、フェラーリが販売を伸ばす計画を投資家向けに示した際には「株価が下がる」という事態が発生していて、通常の会社だと「販売台数増加」は歓迎されるべき計画ではあるものの、フェラーリの場合はそれが「ブランド価値を損なう」と判断されてしまい、投資家の多くが「フェラーリは販売台数を伸ばすべきではない」と理解していると考えていることがわかります。

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ただ、「顧客の要望に応えるだけの生産を行わない」からといってフェラーリは顧客を軽視しているわけではなく(しかしエンツォ・フェラーリは”顧客を徹底的にバカにしろ”と発言したことがあるらしい)、顧客のみが得られる恩恵も多々あり、そして顧客を「ランク付け」することでその恩恵を細かく分類していることもまた事実。

さらには「ごく少数の限られた顧客」のみにしか門戸が開かれないXXプログラム、フオーリ・セリエプログラムなども存在し、こういった限定的サービスがまたフェラーリの顧客内での競争心をあおり、そのブランド価値を高めることに一役買っていることも否めません。

まとめ:エンツォ・フェラーリの哲学は今も息づいている

エンツォ・フェラーリの言葉、「需要より1台少なく」。
それはただの美学ではなく、ブランド戦略として圧倒的な成功を収めた真理です。
時代が変わってもその信念は揺るがず、さらに現代のフェラーリは車両のみならずサービスすらも「求めるよりも少なく」提供するにとどめ、その結果としてフェラーリは今も世界で最も憧れられる自動車ブランドであり続けているわけですね。

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