| フェラーリはクローズドホイールレースで活躍を見せる一方、いち早くオープンホイールレースにも可能性を見出していた |
125GPC(125F1)は発表当初から高い戦闘力を見せている
さて、フェラーリ・オフィシャル・マガジンにて「フェラーリ最初のF1マシン」である1947年の125GPC(その後に125F1に改名)が紹介されることに。
フェラーリはもともと公式サイト内にて、これまでに製造したレーシングカーに関する情報を公開しているのですが、そこでは1950年の340F1、そして375F1がもっとも古いものなので、この「1947年の」レーシングカー、125GPC(125F1)に関する情報はけっこう珍しいかもしれません。
なお、フェラーリが最初に最初に送り出した”ロードカー”は「125S」で、こちらも1947年に製造が始まっています(現存するのはわずか3台)。
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フェラーリ125GPC(125F1)はこんなレーシングカー
フェラーリは1947年に設立されているため、このレーシングカーは創業年に登場したクルマということになりますが、「1.5リッター12気筒エンジンにルーツ製スーパーチャージャー」を組み込んだエンジンを搭載しています。
当初名付けられた125GPCの「GPC」はGrand Prix Compressor(グランプリ・コンプレッサー)を表しており、グランプリを走るスーパーチャージャー(コンプレッサー=過給器)つきマシンの意。
当時まだF1は発足しておらず、この(1921年にはじまった)グランプリは「フォーミュラ・グランプリ」と呼ばれており、これがF1の前身となっています(AIACR=Association Internationale des Automobile-Clubs Reconnus = 国際公認自動車クラブ協会が名付けたと紹介されている)。
フェラーリはこの125GPCにて1948年のグランプリを戦うことになりますが、それまでクローズドホイールの125Sで各種レースに参戦していたフェラーリが(オープンホイールで競われる)フォーミュラ・グランプリに目を向けるようになったのは「さらなる名声の獲得、そしてビジネス上の戦略」が理由であったといい、つまりはエンツォ・フェラーリによるブランディング政策のひとつであったのだと考えてよさそうです。
果たしてこの125GPCは1948年9月5日にトリノのパルコ・デル・ヴァレンティーノにて開催されたイタリア・グランプリで華々しいデビューを飾り、ここでは3台の125GPCを投入するも結果は4位と5位(それでも悪くない)。
しかしその後の10月27日にサロ・サーキットで開催されたレースでは参戦わずか3戦目にして(1台のみのエントリーであったにもかかわらず)初勝利をかざることに。
1949年、「F1グランプリ」の初開催がアナウンスされる
そしてフェラーリは1949年にもこの125GPCでフォーミュラ・グランプリに参戦し続け、同年にはついに「F1グランプリ」の創設が発表され、フェラーリは1950年に初開催されるこのレースに初年度から参戦し、現在に至るまで「途切れることなく」参加を続けているわけですね。
これと同時に125GPCは「125F1」と名を変えてF1選手権を戦うことになりますが、(シルバーストーンにて開催された第一戦には開催側とのトラブルで出走せず)初参加となる第二戦では2位でフィニッシュするという健闘ぶりを見せつけます。
ただ、このレースで優勝したのは(エンツォ・フェラーリが在籍していた)アルファロメオであり、エンツォ・フェラーリがこれに対抗するために開発したのが275F1、そして4.5リッターという大きなエンジンを積む375F1(下の画像)。
よって125F1はこれらに取って代わられる形で1950年には表舞台から姿を消してしまいますが、それでも現役時代には50ものレースに出場し優勝8回、表彰台獲得15回という素晴らしい成績を挙げており、フェラーリのF1における輝かしい歴史の「はじまり」としてその名を永遠に記憶されることとなっています(シングルシーターに関する伝統の命名法則もここからスタートしたと言っていい)。
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