| フェラーリはその激動の歴史の過程において様々なサイドストーリーを作り出している |
現在ATS 2500GTが何台生存するのかはわかっていない
さて、レアな車ばかりを紹介するYoutubeチャンネル、その名も「Rare Cars」が「ATS 2500 GT」を紹介する動画を公開。
このクルマは1963年のジュネーブ・モーターショーにて発表されたスーパーカーで、217馬力を発生させるDOHC 2.5リッター・フラットプレーン・クランクV8エンジン(レッドゾーンは9,000回転!)を搭載し0−100km/h加速5秒、最高速は257km/hというスペックを誇ります。
ただ、このクルマを特別たらしてているのはその性能ではなく「誰が作ったか」。
ここでその歴史を見てみましょう。
「ATS」はこんな自動車メーカー
まず、このATSの正式名称はアウトモビリ・ツーリスモ・エ・スポルト(Automobili Turismo e Sport)といい、これを略してATS。
設立は1962年で、この際の主要メンバーはフェラーリに反旗を翻した「宮廷の反逆」の中心人物です。
この宮廷の反逆について、1961年にはエンツォ・フェラーリの息子、アルフレッド(ディーノ)が若くして亡くなり、その後エンツォの妻ラウラがフェラーリの経営(製造やレース運営)に干渉するようになったことからカルロ・キティ、そしてジオット・ビッザリーニはじめフェラーリの古参メンバー8人(元セールスマネージャー、元スポーツカー開発チーフ、元チーフエンジニア、元スクーデリア・フェラーリ・マネージャーなどが含まれる)がエンツォ・フェラーリに抗議文を送り、しかしエンツォは逆にこれら8人をクビにしたという一連の騒動を指しているわけですね。
ATS 2500GTは「フェラーリを負かすために」誕生
そして当然ではありますが、ATSはフェラーリに戦いを挑むことになり、その第一弾がこのATS 2500GT。
フランコ・スカリオーニとカロッツェリア・アレマーノによる斬新で美しいデザインを持ち、1963年のジュネーブモーターショーでデビューしていますが、4輪ディスクブレーキ、4輪独立懸架サスペンション、5速マニュアルトランスミッションという当時としては画期的な仕様を持っています。
なお、画像を見ても分かる通り、このATS 2500GTにはいくつかのバリエーションがあり(2500GTSも存在)、軽量アルミボディを装着したバージョン、そしてよりパワフルなバージョンも存在したそうですが、ATSには資金面を支えるパトロンが存在せず、かつモータースポーツ面での実績もなく、よってわずか12台のみを生産したのみでその歴史を閉じてしまい、F1への参戦も叶うことなく終わっています。
ただ、このATS 2500GTのエンジンはのちにアルファロメオ ティーポ33(レーシングカーのほう)に受け継がれたといい、さらにティーポ33はレーシングカーとして成功したことを鑑みるに、ある種の高い評価が(ATS 200GTに対し)なされていたと考えていいのかも。
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このATS 2500GTは成功したとはいいがたい存在ではあったものの、エンツォ・フェラーリへの対抗心からフェラーリの中心人物が作り上げたクルマということになり、当時彼らがフェラーリの中では「作ることができなかったクルマ」なのかもしれません。
その意味では「フェラーリよりもフェラーリらしいクルマ」だと捉えることもでき、こういった「生い立ち」がこのATS 2500GTを特別な存在たらしめているわけですね。
ATSはその後何度か再起動を図ったことも
なお、一度は志が潰えたものの、このATSは過去にも何度か復活を試みており、2012年にブランドを再度立ち上げた後、2017年には「ATS GT」としてサロン・プリヴェで発表されたことも。
ちなみに限定台数は12台だとされていたので(おそらくは1台も納車されていない)、この数字は当時のATS 2500GTをイメージしたものであったのかもしれません。
さらにその後、トリノ・デザインが「ATS ワイルド・トゥエルブ・コンセプト」を発表したことがあり、これもやはりトゥエルヴ=12。
こういった流れを見るに、一部ではATS 2500GTは「伝説」となっているのかもしれませんね。
超希少スーパーカー、ATS 2500GTを紹介する動画はこちら
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参照:Rare Cars