| ボクは以前からこの問題に対し、真剣に取り組んでいる |
この現象は、その人が持っている「何か」に左右される可能性も大
さて、「くるまのニュース」にて、(駐車場が空いているのに)自分のクルマの隣にわざわざクルマを留める「トナラー」についての記事が掲載されています。
なお、このトナラーは、駐車場だけではなく、飲食店や電車、映画館、その他もろもろで発生しうる現象なのですが、正直ぼくはこれが気になるタイプ。
世の中には「さっぱり気にならない」という人も多いものの、人付き合いが苦手なぼくにとって、見知らぬ人が横に居座るのはかなりのストレスであり、自分のクルマに傷がつくことを極度に恐れる身としても、その横に他人のクルマが駐車している状況はそうとうに精神を圧迫します。
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ときどき発生する怪奇現象。「空いている駐車場に停めると、自分の車の周りにだけ他の車が集まってくる」
| なぜこういった状況が起こりうる? | ぼくがよく遭遇するのが、「がら空きの駐車場(周囲に車はいない)に車を停め、戻ってくると他にいくらでもスペースが空いているのに、なぜか自分の車の横にだけ他の車が ...
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なぜ人は他人のクルマの横に自分のクルマを停めるのか
そこで気になるのが「なぜ人は他人のクルマの横に自分のクルマを停めるのか」。
これには諸説があり、また状況によってもその心理状態が異なるようで、たとえば広場などで駐車枠がない場合、自分が一番にクルマをどこかに停めると、それを「基準」として他のクルマが横に並ぶ場合も。
これは「その場が広すぎてどこに停めていいのかわからない」という心理から来るものだと考えられ、この場合はまだ理解ができます。
そのほか、商業施設などで、入り口の近くに自分のクルマを停めると、その周囲にクルマが集まるのも「当然」ですね。
ただ、ぼくは商業施設にクルマを停める場合、もっとも入り口から遠いところに(他のクルマが自分のクルマの横に来ないよう)停めるのですが、それでも用事を終えて戻ってきてみると、その他の場所はいくらでも空いているのに、自分のクルマの横にクルマが停められていることも。
ぼくはスポーツカーを選ぶことが多く、その他の場合でも珍車であったり、カスタムカーに乗ることが多いので、横にスポーツカーが停まっているケースだと、同好の士が横に集まることになったのだと思われます。
そして、そういった人々はクルマを大事にする傾向があるので、横に停めたとしてもぼくのクルマを傷つける可能性は低く、むしろ「ブロック」してくれる可能性するあるわけですね。
よってこのケースも「理解はでき」「許容もできる」のですが、よくわからないのは「普通のクルマ」がぼくのクルマの横に並ぶシチュエーション。
どうみてもクルマに興味がある人が乗っているとは思えないクルマが横に停まっているということで、しかしこれももしかすると「クルマに興味があるが、様々な事情でファミリーカーに乗っていたり」「普段はフルチューンのランエボに乗っているが、今日は営業車」だったりするのかもしれません。
ただ、恐ろしいのは、一般の家族の乗るクルマがぼくのクルマの横に停め、子供にベタベタとクルマを触らせたり、クルマに腰掛けさせて撮影したりすること。
こうなるともう目も当てられない状況で(一度だけ経験がある)、こういった事態だけは絶対に避けたいと考えており、それ以降ぼくは自分のクルマを(高くとも)安心できる駐車場に停めるようにしています。
このような「トナラー」を気にする(ぼくのような)人に対して、「心が狭い」と断じる人もいるようですが、人によって大事にしているものは違いますし、守るべきものも異なるので、これは第三者にとやかく言われる筋合いはないとも考えています(逆に、ぼくは、自分と異なる価値観を持つ人に対して異論を唱えない)。
ただし中にはユニークな例も
ただ、隣にクルマが停まっていても、ぼくにとって「おもしろい」と感じた例もあり、ひとつはホンダ・エレメント(日本では2000台くらいしか売れてない)に乗っていた頃、駐車場にクルマを停め、戻ってきてみると横にエレメントが並んでいたこと。
これはかなり珍しい例でもあり、「仲間がいたんだな・・・」という感じでちょっとうれしかった例(なんかこう、孤独が癒やされたような気がした)。
そのほか、ポルシェ911に乗っていたとき、やはりガラガラの駐車場のすみっちょにクルマを停め、戻ってきてみると、アウディTTとフォルクスワーゲン・ビートルが並んでいたこと。
この3車は無縁ではなく(TTはもともと”新しいポルシェ”としてデザインされたボツ案をアウディでリバイバルしたものでもある)、よってぼくとしては「自動車の歴史が凝縮された」その光景を見て、わざわざぼくのポルシェ911の横に停めてくれた人たちに感謝したくなったわけですね。
そのほかにはこんな事例も
参考までに、スポーツクラブに行った際にも「トナラー」がいて、たとえばぼくがプールで泳いでいると、ぼくのいるレーンだけが人で満たされるという例があります。
そのプールは5レーンあり、自分のレーンに人が多くなると別の(空いている)レーンに移ったりするのですが、そこでまた自分のいるレーンに別の人が入ってきて、ぼくのいるレーンが「常にもっとも混雑するレーン」となるわけですね。
ただ、これには「自意識過剰なんじゃないの」という見方もあると思われ、やはりそう考える第三者の手を借りて計測したところ、ぼくがプールにいる40分の間、ぼくのいるレーンがもっとも「人の多いレーンであった」時間は36分、そして新たにプールに入ってきた人がぼくのレーンにて泳ぎ始める確率は100%(その間、ぼくはもっとも人が少ないレーンに移動し続けている)。※新しくぼくのいるレーンに入ってきた人に、「なぜこのレーンを選んだのか」と一度聞いてみたい
この結果には「疑念を抱いていた第三者」も驚くことになり、ぼくとしては「やっぱりな」という感じ。
このプールの例は非常に顕著であり、ほかにもサウナに入っているとぼくの周りだけが密集し、まるでブロックされたような「ポケット状態」になってしまってなかなか出ることができなくなるといった事例も多々ありますが、これも見方を変え、ポジティブに「ぼくは人を惹き寄せる力を持っているのだ」と考えるようにしています。
ちなみに、この逆のパターンもあって、以前に努めていた会社で「加茂ピー」というあだ名の先輩がいたのですが、飲食店だろうとどこだろうと、その加茂ピー先輩がやってくると、蜘蛛の子を散らすように人がいなくなってしまい(とくにルックスが悪いわけでも、悪臭がするわけでもない普通の人)、これを会社では「加茂ピー現象」と呼んでいたことも。※つまり、社内にて公に認められた怪奇現象であり、社をあげての花見イベント等において、場所取りに重用されていた
そしてぼくの場合は「逆」加茂ピー現象ということになりそうですね。
コロナ禍によって人びとの心情に変化も
なお、トナラー現象にはコロナ禍による人々の心情の変化もあると思われ、ぼくはこれを「分離不安症」からくるものだと推測しています。
これは「愛着のあるものから離れることで不安を感じる」症状で、そして現在のコロナ禍によって人と接する奇怪が減った人々が、「あそこに人(クルマ)がいる・・・」と、わずかな灯火を見つけた遭難者のように、すでに停まっているクルマに群がるんじゃないかと考えているわけですね。
ちなみにこの分離不安症は犬や猫といった動物に多く、我が家の猫さんの一匹もこの分離不安症を抱えており、ぼくと離れると強い不安を覚え、毛をむしってしまったり膀胱炎になったりします。
参照:くるまのニュース