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■駄文(日々考えること)

お金とその遣い方、捉え方、意味について考える。「お金のためにお金は稼がない」

2018/04/04

| 人は誰でも、人生をより良くしようという願望がある |

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人は、常により良いものを求め、まいにちを過ごすわけです。
より良い給料、より良い恋人、より良い住居、よりおいしい食べ物、より良い車、ひとつづつ挙げればそれはキリがありませんが、とにかく人の欲望には限りが無く、そういった限りない欲望が現在の文明や科学を築いたとも言えます。
そして「より良い人生」を過ごすのに必要なのは「お金」であるのは間違い、ともぼくは考えているのですね。

日本ではお金儲けは嫌われる

ただ、日本では古来よりお金に執着することは良いことではなく、むしろ清貧を美徳とする習慣があります。
しかしながらビジネススタイルの変化、欧米思想の流入(お金儲けのHowto本など)、投資の一般化、起業の敷居が下がったことによってそれも変わりつつあり、サラリーマンでも副業を持ったり、投資に励んだりと、世の中ちょっと変わってきた感じに。

「お金が必須」と考えてはいるものの、ぼくはお金に執着することは好きではありませんし、お金でお金を購入することもあまり好きではありません(かつて証券会社にいたので、お金は最も頼りになると同時に最も頼りに出来ないものであることも身をもって知っている。同様に人はお金でいとも簡単に変わることも)。
ぼくにとってお金とは、あくまでも「好きなものを購入するための手段」「好きなことをするための資本」であって、お金を儲けることを目的に何かをする、という気はあまりおきません(お金は手段であって目的ではない)。

「人それぞれお金持ちになる方法は違う」、とは「金持ち父さん」の著者であるロバート・キヨサキ氏の言ですが、海外の人が書いた「お金持ちになる本」と日本人が書いたものも決定的に違いがあって、日本人の著書の場合は「節約してお金を貯める(お金を遣わない)」方式であるのに対し、海外の人は「積極的に投資を行う(お金を遣う)」スタイルが多いようですね。※ぼくはその手の本を好んで読む方ではありませんが、周囲が貸してくれたりすることもあって、いくらか読んだりすることも

日本式のやり方(節約)については、かねてからぼくは疑問を持っていて、いくら節約しても絶対的インカム(収入)が少なければ、いくら貯金してもランボルギーニ・アヴェンタドールは買えないわけです。

何度か書いたことがありますが、ぼくは「お金は天下の回りもの」であって遣わなければ自分のところへ戻ってこないと信じていますので、無用に貯め込むことはしません。
ぼくにとっての貯めたお金は(遣わなければ、また遣う意思がなければ)紙同然であって存在しないも同様であり、やはりお金は「遣ってナンボ」なわけです。
いくらお金を持っていても遣わなくては意味がない、と考えているのです。

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ただし要はその遣い方が問題なのであって、将来自分のところへ(増えて)戻ってくるように遣わなくてはならない、ということですね。
その遣い方は人それぞれであり、株や仮想通貨を購入しても良いですし、人に投資しても良いかもしれません。
自己の知識やスキルを向上させるのに遣うのも良いでしょうね。

とにかく、「自分のためになるようなお金の遣い方をする」ということ重要で、ここで無駄なお金の遣い方、つまり正確な投資ができないと「無駄遣い」になってしまうわけです。
そういった正しい投資というのは時として難しく、いかに自分の能力、自分のポジションを正確に把握できているかにかかっているのかもしれません。

正確に投資を行い、投資の結果としてさらに能力が向上したり、元手が増えたりといったお金の遣い方が必要なのですが、風俗やギャンブルにお金をつっこんで、結果その道の達人になって不労所得を得る人だっているので、一概に他人が「その人にとって何が正しい投資で何がムダか」を判断することはできない、とも考えています。

彼らは彼らの信じるものに対して投資を行っており、ぼくもまた、自分が信じるものに対してお金を遣うわけですね(よって、ぼくはぼくのお金の遣い方に口出しされるのが好きではない)。

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