■駄文(日々考えること)

昔のボクは完璧主義で、「壊れるクルマ」が許容できなかった。だが今は違う

2021/04/02

ランボルギーニ・ディアブロ

| おそらくは自分なりの「完璧」の定義をうまく定めることができなかったのだろうと思う |

さて、ぼくは完璧主義かつ遵法精神が高いところがあるわけですね。

これがぼくを「生きづらく」していることは間違いなく、「何のこだわりもなく適当に生きて行けたらどんなに楽だろうな」と思うことも。

さらに「こだわりが強い」ところもあり、これがまたぼくの人生を難しいものとしているようです。

ボクは他人に興味を持てない

ただ、こういった「完璧」「遵法」「こだわり」ということについて、これは自分自身に対してのみ適用されるものであり、他の人に対してこれを押し付けることはまったくないわけですね。

たとえば、ぼく自身は「時間をきっちり守る」ものの、他人にそれを強制することはなく、他人が時間を守ろうが守るまいが気にしないという傾向もあります。

誤解を恐れずに言うならば、「そもそも他人に興味がなく、他人が何を言おうと気にならない」という性質もあり、よって昔から他人の動向には興味はなく、噂話についてもまったく興味がありません(そう考えると、ぼくは自己満足のためだけに生きているようだ)。

ただしいくつかの例外も

しかしながらぼくが「自分にしか興味が持てないのか」というとそうではなく、その例外となる興味の対象が「モノ」と「動物」。

その理由はいまだにわからないものの、たぶん「モノと動物は裏切らないが、人は裏切る」からだろうな、とも考えています。

いやいやいやいやモノだって壊れて人を裏切るじゃない、という意見もあるかもしれませんが、モノが壊れるのには相応の理由があって、つまりそれは裏切っているわけではない、とうのがぼくの認識。

そして今回はモノ、とくにクルマに対するスタンスについて述べてみたいと思います。

モノはそもそも完璧ではない

世の中には多くの、ぼくと同じく「完璧主義」の人が存在し、ときどき、そういった人たちから(クルマに関する)様々な相談を受けることがあります。

一例一例を挙げるとキリがありませんが、「こういった症状が出ていて、これは異常か正常か?」というたぐいのものですね。

正直言うと、ぼくもかつてはクルマに対して非常に神経質で、ちょっと異音が出たり、なにか妙な挙動や感触があると「トラブルではないか」と気が気でなくなってしまうことがあったものの、それを変えてくれたのがBMW Z3。

これはぼくにとってはじめての輸入車であり、とにかくよく壊れたクルマです。

可変バルタイ機能のダブルVANOSが壊れたり、ECUがエラーを出したり、ステアリングラックが壊れたりと「はしる、まがる、とまる」のうち「はしる」「まがる」に支障が出ていて、その他にも数多くのトラブルが発生しています。

それまでは「壊れない」日本車に乗っていたので、このBMW Z3での日常的なトラブルにはとにかく驚かされたものの、これによって「そもそもクルマは壊れるものである」という認識がぼくの中に芽生えたとも考えているわけですね。

BMWのキー

クルマのトラブルには必ず原因がある

その後いくつかのクルマを経て乗ったのが日産パオ。

これは購入当時ですでに「17年落ち」というクルマであり、(致命的なレベルで)壊れることはなかったものの、キャブ車ということもあってクルマとの付き合い方を再考させられた一台です。

たとえば、エンジンが暖まっていないうちにステアリングホイールを切るとエンジンが停止するワケですが、この理由は「エンジンが適温でないと燃焼効率が悪くトルクが出ない」「トルクが出ない状態でステアリングを切ると、エンジンから取っているパワステポンプへの動力が負担となり、エンジンストール」というものですが、こうやって考えてゆくと、単に「エンスト」といえどもちゃんとした原因があることがわかります。

そして理由がわかればあとの対処は簡単で、「エンジンが適温になるまで暖気すれば」問題が解決する、ということに。

現代のクルマは様々なテクノロジーが複雑に絡み合っていて、なんらかのトラブルが生じた際にはその原因を究明しにくくなっていますが、それでもひとつひつ解きほぐしてゆくとこういった「原因」が積み重なったり、もしくは相互に作用しているということも見えてきて、今までは正体不明だったものの正体も見えてきます。

つまり、正体がわかるともうトラブルはトラブルではなく(恐れる必要はなくなる)、それをそのクルマの「個性」として考えることができることになり、気持ちにも余裕が生まれます(ただ、ぼくはクルマについてはトラブルフリーであって欲しいと願っていて、トラブル自慢をするようなサディスティックなタイプではない)。

それ以来、ぼくは何が起きようとも、そのトラブルの理由を自分で考え、それを見つけ、個性として認識できれば「怖くない」とも考えるようになり、以降はクルマに「完璧」を求めることをやめるようになったという経緯も。

そして、ちょっとやそっと壊れたくらいでそのクルマの魅力が損なわれるわけでもなく、「なんだ壊れたって楽しいクルマは楽しいままじゃない」ということにも気づいたわけですね。

そもそも完璧とは何か、「自分の考える完璧がそもそも完璧なのかどうか」、自分の常識を疑うことになったきっかけだとも認識していて、そのため「ちょっとしたトラブル、変調が気になって仕方がない」と相談を受けた場合、ぼくは自分の経験から、「そもそも完璧ではないと思えるクルマに乗ってみて、完璧の定義を考え直してみてはどうか、そして完璧がそこまでの重要な意味を持つのかどうか見直してみては」と答えるようにしています。

ちなみに「完璧」の定義そして意味を考え直すのにオススメのクルマはやはり「空冷ポルシェ911」ですが、ちょっと価格が上がりすぎたのが困りものですね。

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