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フェラーリ250GTO生みの親、そしてランボルギーニを支えたV12エンジン設計者、ジオット・ビッザリーニが96歳で亡くなる。この人なしにスーパーカーの時代はやってこなかった

フェラーリ250GTO生みの親、そしてランボルギーニを支えたV12エンジン設計者、ジオット・ビッザリーニが96歳で亡くなる。この人なしにスーパーカーの時代はやってこなかった

| 類まれなる才能、そして情熱を持った人物がまた一人失われる |

とくにランボルギーニ最初のモデル、350GTからムルシエラゴにまで積まれるV12エンジンを設計した功績は大きい

さて、ランボルギーニにとって「最初の」V12エンジン設計担当者にしてフェラーリ250GTOを生み出した伝説のエンジニア、ジオット・ビッザリーニが死去(享年96歳)。

発表を行ったのは「ビッザリーニ」の名称使用権を獲得しハイパーカーの開発を進めているビッザリーニデザインです。

フェラーリやランボルギーニでV12エンジンを設計した伝説のエンジニア、「ビッザリーニ」の名がハイパーカーとなって蘇る!デザインを担当するのはジウジアーロ親子
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ジオット・ビッザリーニはフェラーリにてこういった功績を残している

ジオット・ビッザリーニは1953年にピサ大学を卒業し、同年にテストドライバーとしてアルファロメオに入社しますが、その4年後にはフェラーリへと移籍し、250TRテスタロッサ、250GT SWBほかを開発するなど頭角をあらわすことでチーフエンジニアまで上り詰めます。

上述の通り、ジオット・ビッザリーニの代表作は250GTOといって良く、この250GTOは当時表彰台を獲得できずに苦しんでいたエンツォ・フェラーリが「これ以上、モータースポーツの場において恥をかかなくていいよう」「ジャガー Eタイプに勝てるように」とジオット・ビッザリーニに命じて作らせたクルマです。

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フェラーリが公式にて「もっとも人気のあるフェラーリ」、250GTOについて語る。製造された36台すべてが現存し、中には77億円で落札された個体も
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ただしジオット・ビッザリーニは「まったくのニューモデルとして」このクルマを作ることは許されず、当時”古い”250GTボアーののシャシーを1つだけ渡されたと後に語っていて(しかし社内に残る記録は250GTパッソコルトである)、1961年9月のモンツァに(テストのため)現れた際には「簡素に組まれただけ」のボディパネルが異形の怪物に見えたのか「イル・モストロ(怪物)」のニックネームを頂戴することになるわけですね。

ただしいざ走ってみると、スターリング・モスのドライブにてコースレコードを叩き出すなど優れた資質を見せ、その後の開発段階においては「空気抵抗でスピードが落ちる」問題を解決するためにボンネットの長さを長くして前面投影面積を小さくし、これによって高速走行時のフロントリフトとドラッグを低減することに成功。

さらには(エンジン搭載位置の調整による)重量配分の改善、ドライサンプ潤滑システムの導入など多数の改良を行って戦闘力を高めてゆくものの、同年11月にはカルロ・キティはじめフェラーリの古参メンバーがクーデター(”宮廷の反逆”と呼ばれる)を起こすことになり、同じようにフェラーリの運営方針に疑問を持ったジオット・ビッザリーニも(ほか7名の主要メンバーとともに)フェラーリを去ってしまいます。※そのため、250GTOのボディについては、スカリエッティが最終的に仕上げを担当することになる

その後、ビッザリーニは(組織の中で働くことに嫌気がさしたのか)独立したエンジニアとしていくつかの重要なプロジェクトに関わる傍ら、1962年にはソシエタ・オートスターを設立し、イタリアの自動車メーカーであるイソ社のリヴォルタとグリフォの開発に携わるのですが、この2社の間で紛争が起こり(イソ社の資金的問題だと言われている)、提携が解消されるといった出来事も。

なお、このリヴォルタは1965年にビッザリーニ名義「5300GT」として世に出ていますね。

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ジオット・ビッザリーニはランボルギーニのエンジンを設計した

そしてジオット・ビッザリーニはランボルギーニにとっても欠かせない人物であり、というのもランボルギーニのために「同社最初のV12エンジンを設計したから」。

フェルッチョ・ランボルギーニにその才能を買われ、ジオット・ビッザリーニは自身の会社であるソシエタ・オートスターを通じてV12エンジンの設計委託を受けますが、このエンジンはランボルギーニ初の市販車である350GTはもちろん、ムルシエラゴ世代まで改良されながら搭載されています。

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この偉業はランボルギーニ公式コンテンツとしても紹介されており、フェルッチョ・ランボルギーニがジオット・ビッザリーニに対し、「(設計段階で)エンジンの出力を10馬力上げるごとに」ボーナスを支給していたという秘話も公開済み。

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参考までに、ランボルギーニは当時「モータースポーツには参戦しない」ことを社是の一つとしており、これは「モータースポーツにバックボーンを持つフェラーリとの差別化戦略のひとつであり、快適なGT路線を強調するため」だと言われていて、しかしもう一つの説として「ジオット・ビッザリーニが、モータースポーツ活動は企業を疲弊させるため、避けたほうがいい」と創業時のフェルッチョ・ランボルギーニに進言したというものも。

実際のところ、ジオット・ビッザリーニは、「1961年にエンツォ・フェラーリの息子、アルフレッド(ディーノ)が若くして亡くなり、その後エンツォの妻ラウラがフェラーリの経営(製造やレース運営)に干渉するようになったことからフェラーリの戦績や経営が芳しく無くなり、その方針に意義を唱えた8人をエンツォ・フェラーリが一斉にクビにした」宮廷の反逆の当事者でもあるので、この説については「事実なんじゃないか」とぼくは考えています。

なお、ランボルギーニのV12エンジン設計受託と並行し、ジオット・ビッザリーニは社名を「ソシエタ・アウトスター」から「ビッザリーニSpA」に改名していて、前出の「ビッザリーニ5300GT」が発売されたのもちょうどこの時期(1965-1968年にかけて100台くらいが生産されたと言われる)。

ただし市販車ビジネスがうまく行かなかったのか、1969年にビッザリーニ社は倒産を宣言して社歴に幕を閉じることになるのですが、ジオット・ビッザリーニ自身はその後も他自動車メーカーのコンサルタント業務を行ったり、ローマ大学で教鞭をとるなど積極的に活躍の場を広げることに。

その後2020年には新しく商標権を取得した新組織「ビッザリーニ」が誕生し、デザイナーにはジョルジエット・ジウジアーロを迎え、「ハイパーカーを発売する」という計画を立ち上げていますが、このハイパーカー「ジオット」のパワートレインは現代のスタートアップにありがちなピュアエレクトリックではなく「V12ガソリンエンジン」なので、この選択は文字通りジオット・ビッザリーニの功績に経緯を表したものだと考えて良さそうですね。

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参照:bizzarrinidesign, CARBUZZ

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