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| 序論:ブガッティの不朽の遺産 |
ブガッティ創業者の魂はいまも製品に根付いている
ブガッティは、自動車の歴史において最も崇拝されるブランドの一つとして、比類のない豪華さ、精緻な職人技、そして画期的な性能の代名詞となっていることに異論を唱える人はいないと思います。
その車両は単なる自動車という範疇を超え、機能する芸術作品であり、工学的な驚異でもあると捉えられていますが、ブガッティの独特な地位は、自動車の世界で技術的に可能なことの限界を常に押し広げ、卓越性を追求し続けてきたことに由来していると捉えて良いかもしれません。
ブガッティは複数回の破綻を経るも、多くの企業が「再生を試みる」ほどの価値がある
ブガッティが複数回にわたる財政的な失敗や破産、休眠期間を経験したにもかかわらず、ロマーノ・アルティオリ、フォルクスワーゲンAG、そしてブガッティ・リマックといった様々な主体による買収や合併、復活を遂げてきたという事実は、このブランドが持つ計り知れない、ほとんど比類のないブランド価値と、人々の憧れの対象としての価値を際立たせていますが、これは、ブガッティというブランド名自体が非常に価値のある資産であり、その様々な形態における運営上の失敗を超越する存在であることを示唆する事実にほかなりません。
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そしてこの根底にある理由は、エットーレ・ブガッティによって確立された革新、豪華さ、突出した性能という歴史的遺産から派生する、「ブガッティ」というブランド名が持つ並外れた本質的価値にあるのだと考えられます。
この本質的価値は、愛好家やコレクターとの間に強力な感情的かつ憧れを抱かせるつながりを生み出すこととなり、この不朽の魅力は「度重なる運営上の失敗の後でもブガッティが多大な投資を引きつける」ことを可能とし、超高級ブランドにとって”遺産と名声が継続的な運営上の収益性よりも、強力で回復力のある資産となり得る”ことを示す端的な例でもあると捉えられています。
つまるところ、ブランドのアイデンティティが非常に強固であるため、新しい企業構造によって「再プラットフォーム化」できることを示しており、無形資産であるブランドの遺産が計り知れない重みを持つという、「ハイエンドの高級市場の独特なダイナミクス」を示しているわけですね。
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第1章:ブガッティの誕生 – エトーレ・ブガッティのビジョンと初期(1909-1947)
自動車メーカーとしての「ブガッティ」は、1909年にイタリア生まれのフランス人、エットーレ・ブガッティによってアルザス地方(フランス)のモルスハイムで設立されています。
この地はブガッティの精神的な故郷となり、そのアイデンティティをフランスの職人技とエンジニアリングに深く根付かせる一つの象徴となるのですが、エットーレ・ブガッティはエンジニアでもなくレーシングドライバーでもなく、つまるところ「自動車に関しての専門知識を持たない」一般人。
その一方で自身の家系からは多くの芸術家を輩出するというバックボーンを持っており、「自動車のことを知らなかったからこそ、自由な発想をもって、それを芸術的センスとともに形(自動車)にすることができたのだ」と言われています。
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事実として、エットトーレ・ブガッティの哲学は、芸術的なデザインと工学的な手腕を融合させ、技術的に進歩しているだけでなく、美的にも壮麗な車両を生み出すことにあったといい、初期の成功は、重要なレースでの勝利と、富裕層向けとして非常に排他的で、しばしば特注の自動車を生産したことによって特徴づけられることに(自動車業界のエンジニアであれば、性能と無関係な”芸術性”という要素には着目せず、不確実な新要素への挑戦を行わなかったかもしれない)。
とくにタイプ35(1924年~1930年)やタイプ57SCアトランティーク・クーペ(1936年~1938年)といった象徴的な初期モデルは、その革新的なエンジニアリング、軽量構造、そして独特のアールデコ調の美学が際立っていたモデルとして知られますが、これらの車両は性能と優雅さにおけるブガッティの評判を確固たるものにしています。
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100年前に発表されたブガッティ タイプ35と100年後に発表されたトゥールビヨンには意外な共通点があった。「いずれもボルト1本に至るまで目的志向であり、ドライバーとの機械的な繋がりがあります」
Image:Bugatti | ブガッティ「全てのパーツが明確な目的を持って設計され、独自のストーリーを語らなければなりません」 | ブガッティは「ブガッティ・リマック」へと耐性が変化したものの、ブガ ...
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ブガッティ タイプ35は現役時代に2,500もの勝利を収め、月に12のレースで優勝していた。このクルマによってモータースポーツが再定義されたと言っていい
| ブガッティは常に独自の発想にてよって新しい時代を築いてきた | そしてその基本的な思想は今日のブガッティにも息づいている さて、ブガッティはたびたび「タイプ35」に関するコンテンツを公開しています ...
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創業者、エットーレ・ブガッティの死によって転機が訪れる
しかし、特に第二次世界大戦の影響による激動の地政学的状況は、ヨーロッパの製造業と高級市場を深刻に混乱させるとともにブガッティの事業に多大な課題をもたらし、決定的な転換点となったのは「1947年8月25日のエットーレ・ブガッティの死(65歳、肺感染症による)」。
エットーレ・ブガッティの死は、リーダーシップと創造的な方向性に大きな空白を残してしまい、これによりブガッティは”最終的に克服できない財政難”のために1952年に事業を停止してしまいます。
これはその創業期の終わりと、ブランドにとって長期にわたる不確実性の時代の始まりを告げる一つの転機ではありますが、ブガッティという会社が「いかにエットーレ・ブガッティのビジョンとリーダーシップへ深く依存していたか」を示す事例なのかもしれません。
参考までに、エットーレ・ブガッティの長男であるジャン・ブガッティは、父親のエットーレから経営を引き継ぎ、1936年には27歳で会社の全責任を任されていたものの、残念ながら1939年、ブガッティのレーシングカー「タイプ57Cタンク」をテスト中に悲劇的な事故で亡くなってしまいます。
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今年はブガッティのデザインの基礎を作った創業者の息子、ジャン・ブガッティの生誕115周年。「センターライン」「Cライン」をタイプ57シリーズで確立
| さらには「ダブルトーン」を取り入れるなど現代にまで通じるデザインを100年以上前に構築していた | ブガッティ一族はまさに「天才」揃いである さて、ブガッティ創業者であるエットーレ・ブガッティは芸 ...
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ジャンの死は、エットーレと会社にとって壊滅的な打撃となり、明確な後継者が不在となったことが会社の存続を妨げたのだとも考えられますが、もし「ジャンが事故死していなければ」ブガッティの運命はまた異なるものとなっていたのかもしれません。
もう一つ参考までに、ジャンの死後、彼の姉妹であるリディア(Lidia)とレベ(L'Ebé)が一時的に工場運営を手伝っていた時期もあったとされ、しかし最終的には会社の閉鎖を食い止めることはできず、家族による経営を続けることが困難となり、事実上閉鎖に至っています。※レベについては、その名を冠したシロンベースのワンオフモデルが製作されている
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ブガッティ創業者の息子、ジャン・ブガッティは会社を受け継いでわずか3年後、30歳にてこの世を去っていた。しかし彼が残したデザインの多くは現代のブガッティに受け継がれる
| もし、もっと長生きしていたならば、ブガッティの歴史、そして自動車業界すらも今とは違ったものとなっていただろう | わずか短期間の間に、「Cライン」「ツートンカラー」など象徴的なデザインを考案するこ ...
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第1章-2:ブガッティの分岐点~航空機事業
ここで触れておかねばならないのが「もうひとつのブガッティ」の存在。
エットーレ・ブガッティは、第一次世界大戦中に航空機エンジンメーカーとして航空事業に本格的に参入していますが、これは「第一次世界大戦が勃発し、航空機エンジンの需要が高まった」ため。
- 1915年には、まず250馬力の水冷直列8気筒エンジン(排気量12,000cc)を開発
- さらに、このエンジンを2基並列に連結した16気筒エンジン「U-16」(排気量24,000cc、400馬力)も開発するも、当時のフランスにはそこまでの大型エンジンを必要とする航空機が存在しなかったため、広く採用されることがなく終わる
- これらの航空機エンジンのライセンス料は、戦後モルスハイムでの自動車生産再開のための重要な資金源となる
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1930年代後半には、速度記録の更新を視野に入れた「ブガッティ 100P」と呼ばれる画期的な飛行機を開発しています。
- これは、エットーレ・ブガッティが才能ある航空エンジニア、ルイ・ドゥ・モンジュと協力して製作したもので、2基のブガッティ製直列8気筒エンジン(各450馬力)を搭載していた
- 軍との契約獲得を目指していた可能性も指摘されているが、第二次世界大戦の勃発(1939年9月)により開発途中で終わってしまい、実際に空を飛ぶことはなく、しかし、その先進的な設計は現在でも高く評価されている
第二次世界大戦後(1945年~)、ブガッティは自動車生産の再開にも苦心する状況に陥ってしまい、上述の通りエットーレ・ブガッティの死去を間接的な原因として会社を閉じてしまうのですが、「閉じられた」のは自動車製造業のみで、第一次大戦中に参戦した航空機事業については「そのまま継続」されていたようです。
この航空機事業がどのようにし、誰が運営していたのかは明確な記録がないものの、自動車製造業の「ブガッティ」とは分社化され、ブガッティ一族の手を離れていたと考えるのが妥当です。
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実際のところ、1952年の「(自動車製造業)廃業」の後もこの航空機事業を営むブガッティは存続し続け、しかしこちらも1960年代には事業を縮小し、買収を経ながらも現代まで「もうひとつの、自動車製造業とは別のブガッティ」として存続しています(このあたり、ロールス・ロイスとよく似ている)。
- 1968年にブガッティの航空機関連事業(特に航空機用過給機など)は、フランスの航空宇宙エンジンメーカーであるスネクマ(SNECMA)に吸収される
- その後、スネクマは他の航空関連企業と統合を繰り返し、最終的に現在のサフラングループ(Safran Group)の中核を成す企業へ。これにより、ブガッティの航空機関連事業はサフラングループ傘下にてメッサー・ブガッティ(Messier-Bugatti)として、航空機のブレーキやホイールなどを製造する形で存続している(自動車製造業のブガッティとは完全に別資本の、そして関係性のない会社である)
第2章:休眠期間と短い復活の試み(1947-1987)
1952年の(もともとのブガッティ)の閉鎖後、ブガッティブランドは長期にわたる休眠期間に入りましたが、ブガッティの名は多くの尊敬を集めており、この間、様々な個人や小グループによってブランドを復活させようとする散発的な、しかしほとんど成功しない試みがあったと言われます。
これらの努力は、高級自動車ブランドを成功に導くために必要な、実質的な資本、戦略的ビジョン、および産業インフラを欠いており、「ブガッティというビッグネームを復活させることがいかに困難であったか」を物語ります。
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つまり、いったん廃止されたブランドが復活し成功するには、単なる(過去の)名声だけでなく、多大な資本、明確な戦略的ビジョン、そして複雑な運営および製造能力の再確立、なによりも優れた製品が必要であることを示しています。
- 莫大な設備投資: 研究開発、製造施設、サプライチェーン、マーケティングのため。
- 技術的専門知識: 新しいエンジニアリングおよび設計チームの再編成または開発。
- 市場再参入戦略: 非常に排他的で目の肥えた顧客層を理解し、再関与させること。
- 運営インフラ: 工場の建設、品質管理の確立、流通ネットワークの構築。
史実として、ブガッティの名を蘇らせることに成功した人物および企業が「35年間も登場しなかった」ことは、いかに(エットーレ時代の)ブガッティが卓越した存在であり、いかにブガッティが時代を超越していたか、そしていかに当時のブガッティを超えるヴィジョンや精神を示すことが難しかったかの厳しい例証として機能します。
第3章:イタリアでの再誕 – ブガッティ・アウトモビリS.p.A.(1987-1995)
しかしついに1987年、イタリアの起業家ロマーノ・アルティオリが(おそらくはブガッティ一族から)ブガッティブランドの権利を取得し、現代におけるブランド復活の最初の重要な試みを開始することとなりますが、彼はイタリアのカンポガリアーノにブガッティ・アウトモビリS.p.A.を設立し、目的達成のために最先端の工場を設けます。
ブガッティ創業の地であるフランスのモルスハイムからの移転は、ブランドの歴史的な運営拠点からの明確な離脱を示しはしたものの、「比類なき製品を作る」という革新の精神は維持され、ここで登場したのが「クワッドターボを装着する」元祖ハイパーカーとも考えられる「ブガッティEB110」。
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現代のブガッティを定義した、ロマーノ・アルティオリとはいったいどんな人物だったのか?「ブガッティを愛していたが、それよりも深くブガッティを理解していた」
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ロマーノ・アルティオリがイタリアに拠点を構えた理由はわかりませんが、自身の祖国であるということのほか、イタリアは「スーパーカーの製造拠点として栄えており、豊富なサプライヤーや人材を有していたから」なのかもしれません。
事実として、ロマーノ・アルティオリはEB110の設計に際してパオロ・スタンツァ―ニにジャンパオロ・ダラーラ、マルチェロ・ガンディーニといった「ランボルギーニ・カウンタックを誕生させた人物たち」を獲得することに成功し、さらにここには若かりし日のオラチオ・パガーニ(パガーニ創業者)も加わっています。
これら「ドリームチーム」のもとで誕生したEB110は、クワッドターボV12エンジンとカーボンファイバーシャシー、さらには4WDを特徴とする技術的に進んだスーパーカーであり、当時の自動車における技術概念の限界を大きく押し広げた存在としてその存在を世に問うこととなるのですが、ブガッティを自動車業界における”の性能と豪華さの頂点”に再確立することを目指した大胆な声明であるとして認識されています。
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果たしてその声明は大きな歓迎をもって受け入れられ、現代においてもその価値が絶えず上昇していることから、「いかに時代に先んじた存在であったか」「どれほど多くの限界を突破したクルマであったか」が理解できるかもしれません。
そしてこの「当時の常識を遥かに超えるエンジニアリングと性能」は紛れもなくエットーレ・ブガッティの精神の再現でもあり、単にパフォーマンスのみならず、ブガッティという存在の意味を再現したことが高く評価されたのだと思われます(つまりこのEB110はブガッティの名を借りたクルマではなく、ブガッティそのものであった。車名のEB110はエットーレ・ブガッティの生誕110周年を記念している)。
しかし、この革新的な製品と近代的な生産施設にもかかわらず、ブガッティ・アウトモビリS.p.A.は深刻な財政難に直面してしまい、その背景は「高い開発コスト、限られた生産量、そして1990年代初頭の世界的な景気後退」。
これらの壁に阻まれ、同社は最終的に1995年に破産を宣言し、ロマーノ・アルティオリの野心的な復活は突然の終焉を迎えてしまいます。
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このロマーノ・アルティオリの事業の失敗は、EB110のような技術的に進歩し、批評家から高く評価された製品を成功裏に生産したにもかかわらず、超高級自動車事業に内在する計り知れない財政的リスクと市場の変動性を浮き彫りにした事例として広く認識されています(実際のところ、その後も景気後退によって計画が潰えたスーパーカー / ハイパーカープロジェクトは後を絶たない)。
これは、情熱、革新、そして強力な製品だけでは、特に復活したブランドが自らを確立しようとする場合、堅固で豊富な資金力を持つ財政的支援と完璧な市場タイミングなしには不十分であることを示唆しており、同時に、超高級自動車市場が、製品の卓越性だけでは財政的成功を保証しない、ハイリスクな領域であるという重要な教訓としての教訓となっています。
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