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「スポーツカー」「スーパーカー」「ハイパーカー」とは何なのか?それらを隔てる境界線、その定義について考える

フェラーリ

| 曖昧ながらも、ボクはそれぞれについて自分なりの考えを持っている |

そしてそれは「時代の変化」によって常に更新されてゆく

さて、よく議論されるのが「スポーツカーとは」「スーパーカーとは」そして「ハイパーカーとは」。

つまりスポーツカーとスーパーカーの境界線やその定義は何なのか、どこからがハイパーカーなのかということですが、これは近年、エレクトリックパワートレインの登場によって「スーパーカーやハイパーカー顔負けの性能」を発揮するクルマが登場したことによってますますます曖昧になっています。

スポーツカーとは?

そこでまずは「スポーツカー」。

一般にスポーツカーとは広く「モータースポーツに参戦する車両」を指しているとされ、これはまだ(ミッレミリアなど)公道を使用したレースが一般的であった時代に、「ロードカーがレースに参戦した」事例が多かったことに由来するのかもしれません。

ただし現代において、そもそもモータースポーツへの参戦を前提に設計された車両は多くはなく、たとえばフェラーリだと「812スーパーファスト」や「ローマ」はレース参戦を目的としていないものの、誰がどう見ても「スポーツカー」だと認識するのではないかと思います。

そしてマツダ・ロードスター、GR86もやはり「スポーツカー」で、しかし強力なパフォーマンスを持つとしても、BMW M3を「スポーツカー」として捉える人はそう多くないのかもしれません。

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そう考えるならば、2ドアや2シーター、オープントップを持つクルマを主に「スポーツカー」と呼称するのが一般的で、しかし4座であってもポルシェ911のように「実用車とは明確に異なる流麗なクーペスタイル」を持つクルマもやはりスポーツカー。

なかなか定義が難しいものの、基本的にスポーツカーは、運転の楽しさとパフォーマンスを最優先にし、それ以外の要素(快適性や実用性)は二の次とされるクルマ」であるとも考えられ、そのルックスによって定義されることが一般的なのかもしれませんね。

さらに言えば、これはエンジンパワーによって左右されるものではなく、たとえばホンダS660も「スポーツカー」に分類して良いかと思います。

そしてもう一つ言及するならば、上述のM3、あるいはメルセデスAMG C63などは「もともと快適なセダンとして設計され」、そこへハイパワーなエンジンを押し込み、それを御すだけの足回りや制御系を盛り込んだクルマでもあり、そしてこれらをスポーツカーと表現することが難しいのは「その生い立ち」にあるんじゃないかとも考えています(そう考えるならば、やはり根幹にある概念としては、もともとのスポーツカーの定義でもある、モータースポーツ参戦を前提としているかどうか、というところに通じるのかも)。

参考までに、五木寛之の小説であったと思うのですが、弟に「スポーツカーを買った」という話を聞き、流麗なクーペスタイルのクルマを想像していた姉が(弟が購入した)ロータス・コーティナを見て「えぇ・・・」となったエピソードもありますね。

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スーパーカーとはどんなクルマ?

そして次は「スーパーカー」。

これもまたスポーツカー同様に「簡単なような、難しいような」分類ではありますが、ぼくとしては「スポーツカーをさらに尖らせたクルマ」だと考えています。

どういうことかというと、エアロダイナミクスや運動性能を完全なるトッププライオリティに置き、それ以外の要素は「無視」と言わんばかりのクルマであって、空気抵抗を低減するための非現実的な前面投影面積、重心を下げるための低い車高、旋回性能を向上させるためのミドシップレイアアウトなど。

これらはスポーツカーとよく似ているものの、スーパーカーの場合は「妥協がない」という点において異なり、よってスポーツカーとスーパーカーとは「似て非なるもの」。

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これらによってスーパーカーでは乗降性や居住性、日常的な走行(段差やスロープ超え)、積載性などが犠牲になるわけですが、「そんなのは知ったこっちゃない」という割り切りを見せるクルマがスーパーカーなんじゃないかと思うわけですね。

そして、その走行性能を担保するだけの「馬力」もまた不可欠であり、これもまた非現実的なレベルに達している必要があるとも考えていて、その意味ではいかにそのルックスがスーパーカー的であっても、小排気量エンジンを積むスポーツカーを「スーパーカー」とは表現できないのかもしれません。

参考までに、スーパーカーに乗っていて聞かれる質問トップ3は「これいくら?」「何キロ出るの?」「いい音する?」であり、ここから判断するに、「高くて、速くて、いい音が出る」のもスーパーカーの条件なのだと考えられます。

なお、その設計思想を視覚化する「スタイル」が重要なのは上述のとおりですが、それはフェラーリやランボルギーニに匹敵するパフォーマンスを誇るポルシェ911ターボ、911GT3 RSが「一般にスーパーカーとは見なされない」ことからもわかるかと思います(やはりスーパーカーには、車高の低さなど見た目の非日常性が必要である)。

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ハイパーカーとは何なのか?

そこで次は「ハイパーカー」。

これはいっそう定義が難しく、ぼくとしてはスーパーカーの上位互換だと考えていて、しかし「現実離れしたルックス」「億超え」「1,000馬力」「極端に少ない生産台数」「芸術性」「卓越したエンジニアリング」がある種の基準になるのでは、とも考えています。※必須ではなく、いずれかの組み合わせによって達成されるものである

そしてここで重要なのは「性能がハイパーカーを定義するわけではない」ということで、今では「1,000馬力を超え、0-100km/h加速がブガッティ・トゥールビヨンよりも速いクルマ」が(恐ろしいことに)いくつも存在し、その多くは「4ドアセダン」ではあるものの、これら4ドアセダンを「ハイパーカー」と称するのは難しいかと思います。

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さらにはサーキット走行性能も重要ではなく、たとえばパガーニ・ゾンダは(ルイス・ハミルトン曰く)「ハンドリングはクソ」ではあるものの、これは紛うかたなきハイパーカーというのがぼくの認識。

そしてこのゾンダをハイパーカーとして認識させるのは「芸術性」であり、自動車工学の限界を押し広げた「エンジニアリング」にあるとも考えているわけですね。

その意味においては、「単にハイパワーなエンジン(あるいはエレクトリックモーター)を積んで1,000馬力を達成し、何億円もする価格設定を持ち、しかし技術的に目新しいものもなく、クラフトマンシップも感じられない簡素な内装」を持つクルマ」をハイパーカーとは呼べないのかもしれません。

その意味ではやはり、いずれかの分野(スピード、パワー、エンジニアリング、芸術性など)において、それまでのクルマ(スーパーカーでさえ)が達成し得なかった、そして踏み込むことができなかった領域へと到達したクルマ、その時代のルールを覆しパラダイムシフトを引き起こしたクルマをハイパーカーと呼ぶのだろう、とも考えています。

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