| 意外なことだが「下落率」だけを見るとクーペとオープンモデルとの数値は同じである |
そして新しいモデルほど「下落幅」が大きくなっている
さて、現在「スーパーカーの相場は下がり気味」だと言われていますが、これは機械式腕時計においても同様の傾向が見られます。
そもそも相場が下がる前には相場が大きく上昇していて、まずその理由は「コロナ禍に突入してロックダウンが行われ、モノの生産が滞り、モノの供給が少なくなったから」、そして「コロナ禍によってレジャー関連の支出が減り、そのぶんをモノの購入に充て、ますますモノが足りなくなったから」。
そしてスーパーカーの場合は急速に(かつ思ったよりも速く)進む電動化を背景に「もうガソリンエンジンを積むクルマに乗れなくなるのでは」「ガソリンエンジンを積んでいたとしても、どのスポーツカーもハイブリッド化されてしまうのでは」という懸念から現存するスポーツカーやスーパーカーを”買い急ぐ”傾向が強くなったと言われています。
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現在の相場下落は「コロナ禍によって高騰した相場の反動」だとも言える
ただ、その後には合成燃料の登場、そしてユーロ7の導入内容緩和といった「予定外もしくは予想外の」事情が出てくることになり、これらによって「急激に電動化が進み、ガソリン車が死滅するかのように思われたものの、内燃機関搭載車はなんだかんだ言いながら生き残るんじゃないか」という風潮も出てきていて、さらにはコロナ禍も終了し様々なことにお金を使うようになったり、投資先が多様化したために所有している、そして値上がり益を得られそうなスーパーカーを売却し「現金化する」人が増えてきたといい、よって市場に「売り物件」が多く出回るようになったと言われます。
そしてこのトレンドがコロナ禍初期の「需要が供給を上回る」という傾向を一転させ、「共有のほうが需要を上回る」ようになり、これが現在の「下落基調」といった流れを作り出しているということになりそうで、さしものフェラーリもこの例に漏れないと言われているわけですね。
フェラーリ各シリーズの中古車相場はこうなっている
まずこちらはF8系の価格推移ですが、ピークに比較するとクーペだと7.9%、スパイダーだと9.5%下落しているもよう。※アメリカ市場の数字ではあるが、スーパーカーの相場は世界共通なので、日本もこれと大きく差はないものと思われる
https://www.flickr.com/photos/110074903@N02/53416182764/in/dateposted-public/こちらは488系の価格推移。
やはり2022年中央をピークとしてクーペで8.7%、スパイダーでは8.2%相場が下落しています。
SF90系の価格推移はちょっと恐ろしく、クーペでは16.6%を失っていて、金額にすると17万ドル(現在の為替レートでは2420万円)も下がっているようですね。
そしてこちらは458系で、クーペだと5.4%、スパイダーだと3.9%の下落です。
ただし走行距離14,000マイル(22,530キロ)の個体はここ数ヶ月でやや上向いている(しかしピーク時の数字を超えているわけではない)という統計もあるもよう。
こちらはF430(F1 / クーペ)で、ピークからの下げ幅は3.9%にとどまり、過去のモデルというか自然吸気エンジンを積むモデルの価格維持率が比較的高いということがわかります。
こちらは360(F1 / クーペ)で、直近で大きく落ちている(ピークからは4.1%下がっている)のは過走行の個体が増えてきているためだと分析されています。
フェラーリのハードコアモデルはやはり「強かった」
しかしハードコアモデルの430スクーデリアの相場は上がる一方。
こちらは458スペチアーレ。
こちらは488ピスタ。
青いグラフで表されるクーペは(スパイダーほど)相場が上がらなかった一方で下落が小さく、(オレンジの)スパイダーは大きく値上がりしたぶん、反動があったという感じですね。
こちらは値下がり率を表したグラフであり、SF90系が「最大」となっています。
そしてフェラーリの値下がり率(355からSF90まで)は平均で7.4%ですが、ミドシップフェラーリの値下がりは(SF90系を除くと)かなり小さい、という統計結果となっているようですね。
ただ、フェラーリの中古相場が下がっているといえど(全般的には)コロナ前より高い水準にあり、「2022年が特別であった」と捉えるのが自然なのかもしれません(それを均せば、ゆっくりと右肩上がりとなっているとも解釈できる)。