■駄文(日々考えること)

なぜ日本人はネガティブ傾向が強いのか。自分のスタンスもあわせて考える

2015/02/28

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日本人は一般に、なにかに対して80%ほどはネガティブな意見を持つと言われます。
これは欧米と逆の数字と言われますが、たとえばYoutubeにかわいい猫ちゃんの動画がアップされていたとしますよね。

欧米人は「なんて可愛いんだ!マイガー!マイガー!」とか「それはどこで手に入るんだ?」というコメントが多いようですが、一方で日本人は「わざとやらせてるんだろう」「動物虐待じゃないか」という斜に構えたコメントが多い、ということです。
なお、別の国では「それくらいならどこにでもある」「珍しいことじゃない」というかもしれませんね。

とにかく日本人はネガティブという傾向があるようで、それはたとえばアマゾンや価格.comのレビューを見ても分かるかもしれません。
ある製品について、それを褒めるレビューには「参考になった」という数はさほどついていなくても、同じ製品をこき下ろすレビューには「参考になった」が山ほど付いているケースが多々見られます。

つまり、日本においてはネガティブなコメントに賛同しやすいという傾向もここには見られ、「他人の不幸は蜜の味」ではないですが、悪いニュースほど喜ばれるのと同様だと思います。

ある人が善い行いをしてもそれはニュースにならず、悪いことをするとニュースになる、という感じですね。
ただ、ぼくはこれを一方的に日本人がネガティブということはできない、とも考えます。

たとえば日本は民度が高い、日本製品は品質が高いと一般的に言われ、そのために「いいことをして普通」「製品は品質が高くて当たり前」という共通意識があると思います。
だからこそ「期待を下回る」場合はネガティブに振れるのかもしれません。
逆に民度が高くない国、自国の製品の品質が高くない国においては、善い行いや優れた製品に対して逆に驚くことになるのかも、と考えたりします。
※よく画像として”日本は電車が時間通りに来ないと日本国民は驚くが、またある国では電車が時刻通りに来ると逆に驚かれる”ものがアップされていますが、そんな感じです

そんなわけで「基準」が高くなるとそれに満たないものに対してネガティブな意見を持ったり反応をしがちですが、できるだけぼくは公平であろうとし、その製品が自分の期待に沿わなくても「なぜそうなっているんだろう」と考えるようにはしています。

どんな製品にも、その製品画素の製品である理由というものがあり、できるだけその理由は理解したい、と考えているのですね。。

なお、否定的な意見のほうが好まれる傾向を鑑みると、その製品を批判したりこき下ろすほうがサイトにアクセスが集まるのだとは思いますが、特定の製品や事象、他人の行動ををこきおろせるような資格はぼくにはないですし、何かを貶めるということは、同時に自分も貶めることになると考えているので、できるだけネガティブなことは考えない、記載しないようにしています。

それでもときどき否定的なことを記載したりもしますが、出来る限りポジティブに、その製品や事象の良い所だけを見たいと考えています。
どうしても否定的なことを記載せざるを得ない場合は、代案をしめしたり、建設的に物事を考えたい、と思うのです。

なお、政治も同じで、本来国を良くしてゆくはずの政治家が「足の引っ張り合い」をしていて、イスラム国に関する人質殺害についても、その責任を安倍政権に問うことで政権交代を狙うという、「相手を引きずり下ろして自分がその地位を奪う」様子が目につきますね。

要は人質のことはどうでもよくて、それが一部の人達にとっては「安倍政権のせい(ぼくは特に支持しているわけではないです)」にするのに格好の材料であった、というだけだったのだと思います。

自分の努力で相手を越えようとするのではなく、相手の弱みに付け込んで相手を貶め、相対的に上に立とうとする行為は傍で見ていても気持ちの良いことではなく、やはり同時に自分も貶めているのだと感じるのです。

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