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さよならボクの人生の一部。地震で修復不能になったミニカーやフィギュアなどを捨ててきた

2018/06/19

| 一瞬にしてコレクションがゴミの山に |

さて、地震によって家屋内外の様々なものが破損しましたが、とりあえず破損した中でも修復不能なものを思い切って処分することにしました。
とにかく家の中が散らかっているので「捨てるものを捨てないと」片付かないためですが、修理が不可能と思えるミニカーやフィギュア、その他コレクションしていたもの、何か改造に使おうと考えて保管していた自動車用パーツなどは極力この機会に捨てよう、と考えています。

そんなわけでアウディTTにゴミを積んで(思ったよりもたくさん載る)居住地区指定のクリーンセンター(有料でゴミを引き取ってくれる)へとゴミを持ち込んだのですが、とにかくその量が多くて二往復するはめになり、2回分をあわせるとトータルで220キロものゴミを捨てたことに(排気量はキロあたり金額×何キロ、という計算になるのでゴミの量が明確に出てくる)。

人生の一部を捨ててきたようだ

ぼくが長い時間とそれなりの金額をかけて収集したものが一瞬でゴミの山になってしまったわけですが、今回捨てたものは上述のようにミニカー、フィギュアやそれを収納していたコレクションケースなども(これらが落下してその破片が家中に散乱している)。

ほかだとエンジンのパーツ(ピストンやコンロッド)、その他色々な部品もあり、ぼくはこれらを加工して色々なものに再利用しているのですね。
たとえば以前に乗っていたシビックのタワーバーは「タオルかけ」になっていますし、

フェアレディZのボアアップ用に仕込んでいたピストンは結局エンジンに組み込まれることはないままに「ペン立て」に、

日産パオのルームミラーステーは「ハンガー」にといった具合。

とにかく「なんでも何かの役に立つ」と考えていて色々と集めてきたわけですが、こういったもの、そしてCD、レコード、書籍を「6割くらい」処分してゆこうと考えています(今回捨てたものもあるが、ある程度状態を維持しているものはオークションにでも出して換金しようと思う)。

なお、すでに捨ててきた「220キロ」はぼくの人生の一部とも言えるものたちで、しかしいざ捨ててみるとそれらがぼくを縛っていたようにも感じられ、今はある意味で「すっきり」。
今は身軽になったところで新しい人生でもはじめてみるか、とすら考えるほど清々しい気持ちだとも言えるかもしれません。



スーパーやホームセンターは買い占めにあって品切れ状態

その後、家の破損した部分を補修するための材料でも買いにゆくか、ということでホームセンターへ。
地震当日はまだ店を閉めていたところも多く、翌日からはちらほら開店するところも。
ただ、開店早々に客が殺到したようで、水やコンロなどはこのように「売り切れ」状態となっています。
スーパーやコンビニも似たような感じで、水やカップラーメンの類は軒並み「売り切れ」。

ちなみにぼくは阪神大震災を経験しているので、自宅にはある程度の「常備」「備蓄」があります。
食料や水、医薬品はもちろんで、発電機やろ過装置、ボンベ/コンロなども保有しており、そのほかタンクやテントといったものたちも。
自宅が崩壊してもその敷地内にテントを建てて生活できるようにと考えているためで、そういった「仮設住宅用」の装備に加え、家が火事などになった時に「すぐ持ち出せるよう」コンパクトにまとめたセットも(猫さん用もあわせて)用意しているのですね。
加えてそういった荷物を楽に運べるように「トレーラー(リヤカーの小さい版みたいなやつ)」も準備しているので、地震が発生したからといって新たに買い足す必要はない状態を保っています(野菜などを栽培するための種子も保管している)。

なお、同じ日本でこういった事態が発生しているとは大阪府北部以外では信じられないと思いますが、こういったときに思い出すのが映画「ホテル・ルワンダ」。
これはルワンダ大虐殺を描いたもので、その中で現地の一人が、海外メディアがやってきてルワンダでの虐殺の悲惨な様子を世界中に報道してくれれば、「どこかがきっと助けに来てくれる」と希望を抱くわけです。

しかし、別の一人はこう言います。「いや、助けは来ない」。
「他の国の人々は、ディナーの最中、ニュースでルワンダ大虐殺を見て『怖いね』と言い、そしてまた彼らの食事に別の話題とともに戻る」という趣旨のことを言うのですが、まさに”そのとおり”だとぼくは思うのですね。

ただ、これは誰かを批判できる、または批判すべき事情ではなく、「これが世の中」。
実際に大阪で地震が起きる前の日に、ぼくはオープンしたばかりのシェイクシャックでハンバーガーを食べていて、そのとき何気なく見たスマホには「群馬で地震」。
そのときぼくは「群馬で地震か。珍しいな」と思って残ったハンバーガーを片付けにかかり「食べ終わったらコンビニでも寄ってスイーツ買ってくか」と考えたりしたのですが、その翌日には自分が被災者に。

人生何があるかわからない(いくつかのことは決して前もって知ることも、予測することもできない)とぼくは考えていて、だからこそそのために「準備」を日頃から行なっていることになりますが、まさに”人生の転機はいつも突然訪れる”という感じですね。

加えて、自分が当事者でなければ「(誰にとっても)起きている事件は他人ごと」であるのは間違い無く、だからぼくは「いつも自分で問題を解決できる」しかないのだ、とも考えています。

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