| ややレトロな雰囲気も漂うSF映画でもあり、ハードSFのファンも納得できる一本だと思う |
細かい設定については語られず、その判断はすべて観る人に委ねられている
さて、ぼくは年間だいたい150本くらい映画を観るのですが、2024年4月時点で「今年最高」という評価を与えている「SPACEMAN(スペースマン)を紹介したいと思います。
監督はミュージックビデオの製作で有名なヨハン・レンク、主演はコメディ俳優のアダム・サンドラー、そしてその妻役として「わたしを離さないで」「ドライヴ」での演技が印象的だったキャリー・マリガン。※原作はチェコの小説、「ボヘミアの宇宙飛行士(ヤロスラフ・カルファシュ著)」。東欧には秀逸なSF小説が少なくない
なお、コメディ俳優のアダム・サンドラーを起用しつつも「一切笑いがない」という非常にシリアスな映画です。
「SPACEMAN」はこんな映画
ここでざっとSPACEMANの内容に触れておくと、4年前に突如宇宙の彼方に紫色の雲が出現し、そしてその後に発足した国家規模の調査プロジェクト遂行のため、たった一人で片道186日をかけてその雲へと向かう宇宙飛行士ヤクブ(アダム・サンドラー)の物語。
このヤクブは過酷な少年時代を過ごしたことで自身の殻に閉じこもる傾向があり、そのせいで他人を理解しようとせず、また他人に理解してもらおうともしないという性質を持っています(だからこそ長期単独ミッションに選ばれたのだと思う)。
ただ、さすがに186日も一人でいると孤独を感じるようになり、地球に残してきた妊娠中の妻のことを思い出したりするのですが、その妻は「自分のことしか頭にない」ヤクブに愛想をつかしてしまい、それまで定期的に行っていたヤクブとの交信を絶ってしまうことに。
これによっていっそうヤクブの孤独が深まることになるのですが、そこに登場するのが一人の宇宙人。
この宇宙人は蜘蛛とタコを合体させたような薄気味悪い外観を持つのですが、ヤクブに危害を一切加えず、しかし地球の軌道上を周回しながら地球の文化を学んでいたということもあって人類の言語を理解し、しかも人類より遥かに高い知能を持っています。
さらには自由に宇宙船を自由に出入りしたり宇宙空間でも生存できるうえ、数百年生きているかのような描写もあるので、まさに人知を超えた存在ということになりそうですが、この宇宙人にヤクブは「ハヌーシュ(天文学上の偉人)」という名前を与えるわけですね。※この宇宙人の種族は名前を持つという習慣がない
もちろんヤクブとハヌーシュは最初から打ち解けたわけではなく、「ヤクブの孤独を感じ、この宇宙船に侵入し、ヤクブの孤独を癒そうとした」というハヌーシュに対してヤクブは心を閉ざし続け、しかし徐々にヤクブはハヌーシュに対して心を開いてゆきます。
この過程がなかなかユーモラスに描かれていて、ハヌーシュが「人類の間で評価の高い鳥類の卵を食べてみたい」と言ったり、ヤクブがハヌーシュにヘーゼルナッツバターを与えると「ううむ・・・濃厚でクリーミー。故郷で食べるシュトーマの幼虫のようだ」と唸って見せ、以降はヘーゼルナッツバターの容器を抱えて歩くようになったりというお茶目な一面も。
そうやってヤクブとハヌーシュは徐々に心を通わせ、その過程でヤクブはいかに自己中心的であったのか、そしてなぜ妻が自分から去ろうとしているのかを悟り、宇宙の果てまでやってきて”はじめて自分自身と向き合う”ことになるのですが、そこでハヌーシュが言うのが「お前は浄化されたのだ」。
つまりこの物語は「宇宙空間」という非日常的な状況を借りた、ある一人の男の再生の物語であると要約することが可能です。
ただ、ハヌーシュがヘーゼルナッツバターを食べることで「私の孤独は癒やされた」と語るように、ハヌーシュ自身もまた孤独を抱えており、それは「故郷の星をゴラムペッド(詳しく解説はなされていない)に滅ぼされ、自分の種が自分以外すべて滅びてしまった」から。
実際のところ、心に孤独が棲み着き、癒やしを求めていたのはヤクブではなくハヌーシュのほうであったのかもしれません。
そしてそれを示すかのように、最初は「肉体は不可侵の領域であり、接触は我々の種の慣習にはない」として、触れ合うことを頑なに拒んでいたハヌーシュが最後にはヤクブと抱擁するまでとなり、ハヌーシュもまた助けが必要であったこともわかります。
なお、SPACEMAN全編を通じて回想シーンや、ヤクブの心理状態を表す抽象的な映像が多数盛り込まれ、ある意味では現実とヤクブの空想との境界線とが非常に曖昧になっており、もしかするとハヌーシュは実在せず、「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日(2012年)」にて、トラが少年の心に隠れていた生存本能のメタファーとして描かれたように(これは見解が分かれている)、ハヌーシュもまた、ヤクブの心が(生きてゆくのために)作り出した幻影だと考えることもできそうです。
SF映画といえど戦ったり爆発したりすることはなく、ただ淡々と宇宙船という閉鎖空間の中で物語が進行して行き、雰囲気としては「ソラリス(2002年)」「月に囚われた男(2009年)」のような、美しくも悲しい映画だという感じ。
かなり地味な作品ではあるものの、異なる種族である2人が心を通わせるさまが素晴らしく、観たあとは「蜘蛛を大切にしよう」と思うようになる一本だと思います。
「SPACEMAN」予告編はこちら
参照:Netflix