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718ケイマン / ボクスターの祖先でもある1950年代の「718 RSK」が中古市場に登場!ル・マン、パイクスピークなど数々のレースを走って入賞を経験した由緒ある個体

2022/08/23

718ケイマン / ボクスターの祖先でもある1950年代の「718 RSK」が中古市場に登場!ル・マン、パイクスピークなど数々のレースを走って入賞を経験した由緒ある個体

| 最近は「モータースポーツに参戦し、入賞した経験のあるクラシックカー」の存在が非常に高く評価されている |

このポルシェ718RSKは細部に至るまで1959年の「ル・マン仕様」に

1950年代末に圧倒的な強さを誇ったポルシェ718RSKが中古市場に登場。

その名から分かる通り現代の「718(ケイマン / ボクスター)シリーズ」命名のもととなったレーシングカーですが、この718RSKは1957年にタイプ550の後継として登場しています。

550に比較して近代的で流線型を持つボディが外観上の特徴であり、さらにはエンジンのパワーアップ、ブレーキ性能の向上、サスペンションの改良など全域に渡って(550に比較して)パフォーマンスアップが図られています。

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このポルシェ718RSKはこんな経歴を持っている

まずポルシェ718RSKについて説明しておくと、1958年からレースに参戦し、セブリング12時間、ル・マン24時間、タルガ・フローリオで表彰台に上るなどすぐさまそのポテンシャルを開放することになりますが、RSKの最も印象的なパフォーマンスは1959年のタルガ・フローリオにおいてであり、ワークス参戦のマシンがレースを制し、ここではポルシェの1-2-3フィニッシュを達成しています。

ポルシェ718RSKは1.5リッター4気筒(160馬力)というレース用としてはいささか非力なエンジンを積み、しかしその軽量性を活かしてアストンマーティン、フェラーリ、ジャガー、マセラティといった大排気量勢を相手に戦って勝利を収める文字通りの”ジャイアントキラー”となり、製造された718RSKはわずか34台であったものの、様々な国際規格のレースにおいて、その後数十年にわたるポルシェの支配的な地位を確立することとなっています。

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今回中古市場に登場するポルシェ718RSKはシャシーナンバー「024」で、ポルシェオリジナルの718スパイダーのうち特別な一台であり、豊富なレースヒストリー、十分な資料、そしてこの分野の第一人者による見事なレストアが施されている、とのこと。

まずは1959年3月、この718RSKスパイダーはポルシェのレーシングショップであるヴェルク1で製作され、プライベーターRSK仕様として、1500ccの改良型タイプ547/3エンジンが搭載されています。

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工場の記録によると、当初はエンジンNo. 90216、トランスアクスルNo. 718-017、コンチネンタル製レーシング・タイヤが装着され、ボディはシルバーにペイントされ、ベージュのシートが張られており、アメリカの有名なレーシングカー・ドライバーであるエド・ヒューガスに(新車で)納車されることに。

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エド・ヒューガスはペンシルバニア州ピッツバーグを拠点としており、1950年には自らのMGディーラー、ヨーロピアン・カーズを設立したカーエンスージアストであったといいますが、1951年にSCCAに加盟し、翌年にはスポーツカーレースに初参戦しています。

当時はジャガーXK120からレースキャリアをスタートしたエド・ヒューガスは、その後ドライビングスキルを向上させ、より速く、よりエキゾチックなマシンに乗り換えてゆき、さらには1956年から10年連続でル・マン24時間レースに参戦し、1965年にはルイジ・チネッティ率いるノース・アメリカン・レーシング・チームからフェラーリ250LMを駆って出場し、総合優勝を果たしたこともあるほどです。

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1957年には、アメリカの伝統的なレーシングカラーである白地に青のツインストライプを施したポルシェ550Aにスイッチし、フロントフェンダーに「ルーシーベル」の文字を記して走ることになりますが、この「ルーシーベル」とは、ビジネスパートナーであるパーカー・H・デイビスの妻、ルシール・デイビスの愛称であった、とのこと。

1958年になるとエド・ヒューガスはフェラーリ250テスタロッサの新車を手に入れ、このポルシェ550Aと同じカラーリングを施し"ルーシーベルII "と命名しますが、1959年にエド・ヒューガスはくだんのポルシェ718RSKを手に入れ、これを「ルーシーベルIII」として走らせることに。

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白地に細いブルーのストライプが車体中央を走り、テールには小さな赤いハートが描かれていたことが特徴ですが、練習走行とレースの間に地元のボディショップで(簡素に)ホワイトに塗装されたため、ダッシュボードやインテリア、ホイールハウス内などはもともとのシルバーのままだったようですね(おそらくは分解して塗る時間がなかったのだと思われる)。

1959年のル・マン24時間レースに於いて、エド・ヒューガスのコ・ドライバーを務めたのは、シカゴ出身のアーニー・エリクソンで、同氏は1950年代から60年代にかけてSCCAミッドウェスト部門の常連だったといい、自身もさまざまなスポーツカーに乗り、ウィスコンシン州のウィルモットヒルズサーキットで勝利を重ね、「ウィルモットの王」と呼ばれていたようですね。

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1959年のル・マン24時間レースでは一時ポルシェ勢のトップを走る

この年のル・マン24時間レースにおいて、エド・ヒューガスはレースナンバー37を装着して決勝を走り、好調なスタートを切った後も安定したペースで走行しつづけ、19時間目にはクラス1位、総合4位となり、一時はポルシェ勢の頂点に立ったものの、20時間目にクランクシャフトの破損によりリタイアを余儀なくされています(1959年のル・マン24時間レースでは、ポルシェが完走することはなく、すべて何らかのエンジントラブル等の理由にてリタイアしている)。

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ル・マン24時間レースの後、このポルシェ718RSKスパイダーは数ヶ月の間ヨーロッパに留まり、というのもポルシェが1959年のFIAヨーロッパ・ヒルクライム選手権で優勝したばかりのファクトリー・ドライバー、エドガー・バースを祝う特別な式典のためにこの718RSKを借用したからなのだそう(つまり、ポルシェにとってもこの718RSKは特別な一台だったようだ)。

このポルシェ718RSKは、アメリカに到着して間もなく、コロラドのスポーツカー愛好家、ドン・アイブスに売却されますが、1960年から1961年にかけて、ドン・アイブスはデンバーとコロラドスプリングスを結ぶコンチネンタルディバイドサーキットでポルシェを走らせるなど精力的にレース活動を続け、1962年にはパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムで16分45秒を記録し、翌年のアスペン・レースウェイズでは総合4位に入賞しています。

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1970年代には、アリゾナ州のウィリアム・フランクリンがこのポルシェ718RSKを手に入れ、レストアを行った上でラグナセカでのモンテレー・ヒストリックレースを含むヴィンテージイベントに参戦し、1978年から1986年にかけて少なくとも3回出場した、という記録が残ります。

その後1980年代後半、ウィリアム・フランクリンは、カリフォルニア州ペブルビーチの著名なコレクターでありヴィンテージレーサーのドン・オロスコに718RSKを売却し、その次のオーナーはカリフォルニア州アーバインに住むグレッグ・ジョンソン博士で、やはりこの718RSKをヴィンテージイベントにて走らせることに。

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1994年、このポルシェ718RSKは、最高級のヨーロッパのスポーツカーとレーシングカーで構成される(アメリカの)プライベートコレクションに加わり、1998年のアメリア島コンクール・デレガンスに参加してロード&トラック賞を受賞しますが、そこからこのポルシェ718RSKは表舞台から姿を消しています。

現在のオーナーはアメリカ東海岸の個人コレクターで、2018年にグッディング&カンパニーのペブルビーチ・オークションにてこのRSKを入手しており、この718RSKの初期の歴史に興味を抱いたころから、レアドライブ社のマーク・アリンに依頼し、この718RSKを初期の「エド・ヒューガス仕様」へと忠実にレストアすることに。

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そのレストアは困難を極める

なお、初期の仕様にレストアするに際し、当事の写真を参照するより他に手段はなく、まずは1950年代の調査から始まったそうですが、その後の実際のレストアに際してはボディをベアメタル状態にまで剥がしてその状態を確認した、とのこと。

その段階では基本的にすべてオリジナルで無傷であることが判明し(これだけのレースを走ったにしては奇跡的だったといえる)、よって718RSKのチューブラーフレームには手を加えずそのまま残すことが決定され、新車製造時の溶接や製造技術がすべて保存されることに。

その上でシルバーにペイントされたのちに完全に組み立てられ、そこからル・マン24時間レース前と同じようにホワイトラッカーで(外板だけが)ペイントされています。

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メカニカルな面では、トランスアクスル、燃料系、ブレーキ系、電気系をリビルドし製造時の状態に戻したほか、エンジンはドイツの著名な4カム技術者であるカール・フロッホがリビルドした547/3型を(かなりの費用を投じて)入手して搭載しています。

レストア作業終了後は、手書きにて「ルーシーベルIII」の文字、ARCFのステッカー、ル・マン審査のスタンプに至るまで細部を忠実に再現されていますが、これは当時の写真やル・マンのカルネ・ド・ペサージュのコピーによって実現したもので、さらには(入手が非常に困難な)ソフトトップ、ファクトリースパイダーミラー、マーシャル製ドライビングライト、ツールキット、ジャッキ、16インチホイールなど、希少なオリジナル部品を調達するためにあらゆる努力が払われたといいます。

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2021年にようやくレストアを終えて以来、このポルシェ718RSKは厳選された場所のみで公開され、ペブルビーチ・コンクール・デレガンスではクラス3位を獲得し、その後すぐにオードレイン・ニューポート・コンクール・デレガンスでクラス1位を獲得。

そして新車時から今までル・マン24時間やパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム他様々なレースに参戦し、しかも無事故を誇る奇跡の個体ということもあって、「450万ドル」という販売価格にもかかわらず多くの人が購入に名乗りを上げるのかもしれませんね。

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参照:Gooding&Co

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