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フェラーリが公式にそのエンブレム誕生を語る。エンツォとミラノの芸術家によって作られ、文字の上で「馬が跳ねているように」というのはエンツォの指示だった

2023/09/17

フェラーリが公式にそのエンブレム誕生を語る。エンツォとミラノの芸術家によって作られ、文字の上で「馬が跳ねているように」というのはエンツォの指示だった

| フェラーリが公式にエンブレムについて語るのはおそらくこれが初だと思われる |

フェラーリの「馬」は現在に至るまでに「スリム」になっていた

さて、フェラーリは自動車業界でもっとも印象的なエンブレムを持つブランドの一つですが、今回はフェラーリ自らがそのエンブレムの由来に焦点を当てるコンテンツを公開しています。

そしてこのコンテンツでは3人の人物「イタリアの撃墜王、フランチェスコ・バッカラ」「その母親であるコンテッサ・パオリーナ・ビアンコリ」「天才彫刻家のエリジオ・ジェローザ」に焦点を当てており、つまりあの有名な説を支持しているということになりますね。

フェラーリの「跳ね馬」エンブレムはどうやって誕生したのか

そこでこのその鮮やかな色彩と馬のアイコンの組み合わせを持ち、興奮、パワー、自由を感じさせるエンブレムの由来について紹介したいと思いますが、まず時は1923年にまで遡ります。

この1923年に何があったかというと、当時25歳であった若きエンツォ・フェラーリが北イタリアで開催されたサーキット・デル・サビオ・グランプリにて記念すべき初優勝を飾っており、ここでトロフィーを授与したのが(その5年前の1918年に)戦争で戦死した息子を持つコンテッサ・パオリーナ・ビアンコリ。

その息子とはすなわちイタリア空軍の撃墜王、そして英雄でもあったであるフランチェスコ・バッカラ伯爵で、このトロフィー授与の際、その母親がエンツォ・フェラーリに対して「亡き息子が愛機に掲げていたエンブレムを車体に使用してはどうか」と語ったと記されています。

つまりは母親として亡き息子の遺産を守り続けたいと考えたのだと思われますが、正確には「どう語ったのか」がわからないのも事実なのだそう(これは当人同士のみが知るところである)。

なお、下の画像はアブダビのフェラーリ・ワールドに展示されているフランチェスコ・バッカラ伯爵の愛機のレプリカです。

ちなみにですが、このフランチェスカ・バッカラ伯爵の機体に描かれていた「馬」は敵国であったドイツ・シュトゥットガルト市の紋章(ポルシェのエンブレムの中央部分)に由来すると言われ(敵機を撃墜した際、その機体に描かれた馬を見て、戦利品代わりに自身の愛機にもこれを転用したという説がある)、しかしながら尻尾の向きが異なることから実際にはシュトゥットガルト市の紋章とは無関係だという説も。

ポルシェ

シュトゥットガルト市の紋章に見られる馬の尻尾は「上向き」、しかしフランチェスコ・バッカラ機の馬の尻尾は「下向き」という明確な相違があり、さらにはいかなる事情があろうとも「敵国のいち都市の」紋章を自国の軍用機に用いるとは考えられず、よって「フランチェスコ・バッカラ機とシュトゥットガルト市の紋章は無関係説」の信憑性は高いのかもしれません。

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そこから24年、エンツォ・フェラーリはようやくこの「馬」をエンブレムに採用

なお、フェラーリは今回のコンテンツにて「フランチェスコ・バッカラ機の紋章とシュトゥットガルト市の紋章とが同一説」については触れておらず、しかしフェラーリのエンブレムの原型となった「馬」がフランチェスコ・バッカラの母親によってエンツォ・フェラーリにもたらされたということについては明言しており、しかし実際にエンツォ・フェラーリがこの「馬」を自身の名を冠したクルマに取り付けるのはそのおよそ19年後。

フェラーリの創業年である1947年に先駆けること1945年、エンツォ・フェラーリは「自身の名を冠したクルマ」に特徴的なエンブレムを装着することに決め、その際にデザインを依頼した先が20世紀イタリアで最も偉大な芸術的彫刻家のひとりさとされたミラノ在住のエリジオ・ジェローザ(1978年に他界)。

創業前のフェラーリが、モデナから離れたミラノの芸術家に声をかけたあたりから想像するに、エンツォ・フェラーリはエンブレムに対して相当なこだわりがあったと言えそうですが、これは「エンブレムにとくにこだわりを持たずに創業した」ポルシェとはある意味で対照的です。

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ただしエンツォ・フェラーリがエリジオ・ジェローザに声をかけたのには理由があり、というのもエンツォ・フェラーリはアルファ・ロメオのレーシングドライバーとしてキャリアをスタートさせていて、エリジオ・ジェローザはアルファロメオにエナメルバッジ(エンブレム)を供給していたため。

エンツォ・フェラーリはアルファロメオを通じてエリジオ・ジェローザと知り合ったということになるものの、それでもわざわざエリジオ・ジェローザに依頼したということは、「フェラーリのエンブレムは、エリジオ・ジェローザでなくては作れない」と考えていたということになりそうです。

かくしてエリジオ・ジェローザはフェラーリのエンブレムのデザインに取り掛かることになり、下の画像はその初期スケッチ。

このスケッチではなぜか馬が右を向いていますが、エンツォ・フェラーリによる「馬の向きを変えるように」というメモも記されているのだそう。

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エンツォ・フェラーリは非常に強いこだわりをエンブレムにも反映させる

なお、フェラーリのエンブレムをデザインする過程において、エンツォ・フェラーリはエリジオ・ジェローザに任せっきりとしていたわけではなく、そこではエンツォ・フェラーリのアイデアを取り入れながら共同作業にて進められたといい、上述の「馬の向き」もその一つ(それ以来、フェラーリの馬はずっと左を向いている)。

そして背景や文字の配置、イタリアンカラーのアレンジについてもエンツォ・フェラーリの意見が反映されていて、まず背景はモデナ市のカラーでもあるイエローが採用され、それ以外のカラーはすべて「却下」。

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そして「Ferrari」文字とのバランスについては、馬が文字の上に立つようにアレンジされており、これもまたエンツォ・フェラーリのアイデアだと説明されています。

これについてはエンツォ・フェラーリがエリジオ・ジェローザに対して"me la faccia che voli"-私のために(馬を)飛ばせてくれ "と要求したと記録され、これによって馬が文字の上からジャンプしているように見える構図が採用されることに(さらには馬の尻尾の向きも下から上に変更されている)。

そしてエンブレム上のイタリアンカラーについて、一番右端のものは「ラウンド」していますが、これについてはエンツォ・フェラーリがエリジオ・ジェローザに「いや、曲線はいらない。ブガッティのグリルを連想させるから」と語り直線へと変更させることとなったもよう。

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フェラーリのエンブレムの「元ネタ」となった紋章は今も保護の対象である

なお、エリジオ・ジェローザとエンツォ・フェラーリは、コンテッサ・パオリーナ・ビアンコリ(フランチェスコ・バラッカの母親)から受け継いだ紋章を保護することに決め、実際にそのための「バッカラ協会」を設立。

その後エリジオ・ジェローザの事業は1949年にオフィチーネ・メカニチェ・エ・アルティスティケに引き継がれるも、エリジオ・ジェローザはそこでも働き続けることになり、オフィチーネ・メカニチェ・エ・アルティスティケのアーカイブによると、エンツォ・フェラーリは定期的にオフィチーネ・メカニチェ・エ・アルティスティケを訪れており、同社の会長であるエミリオ・カンディアーニもまたフェラーリを訪れていたのだそう。

その際にはフェラーリ本社の向かいにあるレストラン「イル・カヴァリーノ」にてよく食事をともにしたという記録が残っており(イル・カヴァリーノはもともとフェラーリのVIP顧客や関係者をもてなすため、エンツォ・フェラーリによって開設されている)、両者の関係が非常に強固であったことも示されています。

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そしてエミリオ・カンディアーニ会長の息子にしてオフィチーネ・メカニチェ・エ・アルティスティケ副会長のルイジ・カンディアーニによれば、「フェラーリのエンブレム製作の過程は、常にエンツォ・フェラーリ主導で行われた」とも。

つまりエンツォ・フェラーリはエンブレム一つとっても他人に任せることを良しとせず、自身が納得できるものを、納得できる品質によって再現できる人物を選び、そしてともに考えたということになり、ここにもまたエンツォ・フェラーリの強いこだわりを見ることが可能です。

参考までに、ルイジ・カンディアーニによれば、「デザインの進化により、馬は徐々にスリムになり、よりエレガントになりました。以前のもっとがっしりした馬から脱却したのです」とのこと。

変わっていないように見え、(マスタングの馬やグリコのランナーのように)実はフェラーリの馬もスリムになっていたわけですね。

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参照:Ferrari

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