スーパーカーを欲しいと考える人はけっこう多いと思います。
ですが、実際に購入する人は非常に少ないわけです。
なぜか?
それは金銭だけの問題ではない、と思うのですね。
現在は車の技術や耐久性が向上しており、10年前のフェラーリやランボルギーニでも普通に乗れます(10年は言い過ぎたかもしれない。8年前くらいであればOK。ガヤルドの2006年モデル以降やフェラーリ360/F430あたり)。
そのあたりであれば価格もこなれていますし、新車のポルシェやメルセデスAMGを購入することを考えると十分に手がとどく範囲なのですね。
かつ、今はほぼゼロ金利ですし、元手が少なくとも借金すれば長期ローンで購入することは可能です。
8年落ちくらいのスーパーカーであれば、今買っておくとおそらく値下がりはほとんどないと考えられ、新車のポルシェ/メルセデスAMGを購入するよりはずっと分が良い買い物だとぼくは認識しています。
それでも(買いたいと思っているのに)手を出さないのはなぜか?
それは本気で自分で買おうとしていないから、とぼくは考えています。
本当に欲しければあの手この手で手に入れようと画策するはずですが、手に入りそうでも手を出さない、ということは心のどこかでそれ(スーパーカーを買うこと)を否定しているのだと思うのですね。
壊れたらどうしよう。
まだ自分には似合わないかもしれない。
頭金が貯まったら買おう。
そういった自分自身に対する言い訳によって、自分自身がスーパーカーの購入を遠ざけているのでは、とぼくは考えるのです。
もしかすると、夢は夢のままとっておきたい、夢が現実になると急に夢から覚めてしまうのではないかと恐ろしい、という心理もあるかもしれません。
パウロ・コエーリョ著「アルケミスト」に以下のようなくだりがありますが、まさにこの通りなのだとぼく考えているわけです。
「あそこにパン屋がある。あの男も子供の頃は旅をしたがっていた。しかし、まずパン屋をしてお金を貯めることにした。そして年をとったらアフリカで一ヶ月過ごすつもりだ。人は、自分の夢見ていることをいつでも実行できると、あの男は気づいていないのだよ」。
実際のところ、スーパーカーは「意外と手がとどくということを知らない」場合も多いのかもしれませんね。
あまりに高いところにありすぎると思うあまり、見積もりすら取得をためらうのかもしれません(見積もりを取ると意外と買えることもわかると思う)。
そして、「アルケミスト」にはもうひとつ、印象的な一節が出てきます。
「人は、自分の必要と希望を満たす能力さえあれば、未知を恐れることはない」。