■駄文(日々考えること)

モハメド・アリの名言。「impossible is nothing(不可能は意味をなさない)」について考える

2016/06/27

| この言葉は意味を取り違えられる事が多い |

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以前にも記事にしたことがありますが、アディダスが数年前に「impossible is nothing」という標語を用いたことがあります。

これはモハメド・アリ氏が残した名言で、日本においては文法が間違っている、nothing is impossibleが正しいなどと言われることが多かったものの、impossible is nothingこそが当然アディダスの伝えたかったことであり、nothing is impossible=不可能なんて無い、ではあまりに普遍的で心に響かないわけですよね。

不可能なんて無い、というのは単なる日本的な(努力礼賛的ともいえる)きれいごとであり、「やればできる」みたいなニュアンスすら感じるわけです。

不可能というのは「やらないための言い訳」だ

アディダス(モハメド・アリ氏)がここでが言いたかったことは、impossible is nothing=不可能という言葉は無意味である、ということで、不可能だというのは努力を放棄した人、自分自身で勝手に自分の限界を決めて「もうダメだ」と自分を納得させる人のための”言い訳”にすぎない、ということです。

「できる、できない」を決めるのは本来自分ではないはずですが(やってみないとわからないし、そもそも限界なんてわからない)、多くの人が自分で「できない」と一定の所で線を引いてしまって、そこから先に進まないための言い訳にしてしまう、ということですね。

ちなみに原文はこちら。

IMPOSSIBLE IS JUST A BIG WORD THROWN AROUND BY SMALL MEN WHO FIND IT EASIER TO LIVE IN A WORLD THEY'VE BEEN GIVEN THAN TO EXPLORE THE POWER THEY HAVE TO CHANGE IT.
IMPOSSIBLE IS NOT A FACT. IT'S AN OPINION.
IMPOSSIBLE IS NOT A DECLARATION. IT'S A DARE.
IMPOSSIBLE IS POTENTIAL.
IMPOSSIBLE IS TEMPORARY.
IMPOSSIBLE IS NOTHING

こちらはアディダス・ジャパンによる日本語訳。

「不可能」とは、自らの力で世界を切り拓くことを放棄した臆病者の言葉だ。
「不可能」とは、現状に甘んじるための言い訳にすぎない。
「不可能」とは、事実ですらなく、単なる先入観だ。
「不可能」とは、誰かに決めつけられることではない。
「不可能」とは、通過点だ。
「不可能」なんて、ありえない。

こちらは中国大陸版。

“不可能”对于那些懒得靠自我力量去改变世界的小角色来说,只是他们安于现状的一个借口。
“不可能”绝非事实。而是观点。
“不可能”绝非誓言。而是挑战。
“不可能”是发掘潜能。
“不可能”绝非永远。
IMPOSSIBLE IS NOTHING.

これは香港版。中国版とほぼ同じ解釈です。

不可能從來是弱者甘於平凡的一大籍口。不做、不試,不轉變世界,不管一切依舊。
不可能絕非事實,純屬意見。
不可能亦非宣言,而是挑戰。
不可能是發揮極限。
不可能將成過去。
IMPOSSIBLE IS NOTHING.

これは台湾版。中国版や台湾版とはやや解釈が異なる部分があります。

「不可能」是沒膽的人最常用的字,以為說了就不干他的事,卻忘了他其實有能力去改變!
「不可能」絕非事實,只是個意念!
「不可能」不是嘴巴說說,是要你放膽去做!
「不可能」激發潛在鬥志!
「不可能」只是暫時!
IMPOSSIBLE IS NOTHING.
沒有不可能!

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