| 今でももういちどフェアレディZに乗りたいという気持ちは常に心の底にある |
さて、ぼくはかつてフェアレディZ(Z32)に乗っていたことがあるのですが、これはぼくが「もっとも改造にお金をかけたクルマ」。
乗っていたのはおよそ4年ではあるものの、これはぼくにとってはかなり長く、ランボルギーニ・ガヤルド(4.8年)、ランボルギーニ・ウラカン(4.9年)、ミニクーパーS(4.8年)についで歴代四位を記録し、つまり非常に気に入っていたということになりますが、ここでこのクルマについて少し触れてみたいと思います。
当時の日産は本当にスゴかった
ぼくが乗っていたのは1995年式のフェアレディZで、マイナーチェンジによって登場した「バージョンS」。
Z32型フェアレディは1989年に(R32 GT-Rとほぼ同時期に)国産車初の自主規制枠”280馬力”ギリギリのクルマとして誕生しています。
バブル景気に乗ってかなりな人気を博するも、バブル崩壊とともに人気が下降し、そのテコ入れとして登場したのが「バージョンS」なる廉価バージョン。
これは様々なところでコストダウンが図られ、シート素材はもちろん遮音材、スペアキーといったところにまでコストダウンが及んでおり、かなり「求めやすい価格」に設定されたグレードです(おそらくは、それまでの設定に比較して50万円くらい安かったんじゃないかと思う)。
ぼくが購入したのはそのバージョンSの「2+2、Tバールーフ」ですが、Z32には「2シーター(鉄板ルーフのみ)」と「2+2(鉄板ルーフとTバールーフがある)」という2つのボディ形状が存在し、実際にホイールベースや全長、全幅が異なります。
現在の日産では信じられないことですが、当時のシルビアやスカイラインしかり、とにかくお金をかけまくり、様々なバージョン、そしてグレードごとに専用の仕様を与えていたワケですね(さすがバブル。当時のシーマには純金のキーや、段通マットなどのオプション設定もあったと記憶している)。
そしてお金がかかっていたのはボディや足回りも同様で、その性能や耐久性は特筆すべきものがあり、だからこそS13シルビアやR32スカイラインが今でも多くの人に愛され、かつ実際に”走って”いる(ときにはチューンナップによる大パワーにも難なく耐えている)わけですね。
当時の日産は「901運動」として、90年代に技術において世界ナンバーワンになることを標榜しており、その成果がスカイラインやフェアレディZ、シルビアのほか、Y32セドリック/グロリア、A31セフィーロ、初代インフィニティQ45(これもいいクルマだったな・・・)。
実際にR32スカイラインGT-Rは多くの自動車メーカーの「ハイパフォーマンスカーに対する認識」を変えさせ、はじめてチューニングをビジネスとして成立させるなど自動車業界そのものを変えてしまい、ポルシェが「高価になりすぎて市販車には採用できない」としていたトルクスプリット4WDを500万円以下のクルマに突っ込むことに成功しています(そのアテーサ開発チームは、現在ホンダが引き抜いてNSXはじめとするSH-AWDに生きているという)。
さらに日産は「MID4」なるコンセプトカーも製造していますが、これはその名から推測できるとおり「ミドシップ4WD」で、もしこれが発売されていたら、日産はさらに大きく業界を変えていたのかもしれません。
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【動画】この一台が日産の運命をすべて変えた!GT-Rの駆動システム、フェアレディZのエンジンの基礎を持つ1985年のコンセプトカー「ミッド4」
市販に至らなかったのは残念だが、その技術は後の自動車業界を大きく変えた ニスモ(NISMO)の公式Youtubeチャンネルが突如として日産が80年代にリリースしたコンセプトカー「MID4(ミッド4)」 ...
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ボクは平べったくウェッジシェイプのクルマが大好きだ
なお、ぼくがフェアレディZを購入したのは「カッコいいから」。
昔から平べったくウエッジシェイプを持つクルマが好きだったようで、ホンダに乗ることが多かったのも同じ理由です。
ボディカラーはプラチナホワイトパールで、これもぼくの「ホワイト好き」を表していると言えそうですね(ランボルギーニ・ガヤルド/ウラカンもホワイトを選んだ)。
ちなみにこのミニカーは、ホイールや内装など、ぼくが乗っていたフェアレディZに近い仕様へとカスタム済み(奥のガヤルド、ウラカンもカスタム済み)。
とにかくフェアレディZは改造しまくった
そしてこのフェアレディZには上述の通りかなりの費用と手間をかけていて、まずホイールは2セット交換し、それぞれヨコハマAVS F7(パールホワイト)、その後にBBS-LM(ゴールド)。
サスペンションも2セット変えていて、最初はAPEXi製のローダウンサス、その後はTEINの車高調整式。
エキゾーストシステムも2セット交換し、最初はBLITZ、次はAPEXi。
そのほか機能系としては強化ATフルード、サブコン追加、その後にはフルコンへの入れ替えを行い、エアクリーナーも最初はK&N製のフィルター交換そしてその後にHKS製のキノコ型へと交換しています。
こういった過程において、「どこをどうすればどう変わる」ということを学んでいったわけですが、一番変わったのは「フルコン」。
燃調をリーンにするととんでもなくパワーとトルクが増加したのは今でも驚きとして記憶に残っています。
マフラーについては、抜けを良くすると背圧が足りずにトルクがスカスカになったり、よってその後に背圧を確保できるマフラーに交換したりということを試行錯誤していて、足回りについても車高や減衰力の調整によってクルマの挙動がどう変わるかということを試しに試し、とにかく当時はチューニングショップに入り浸り、ほかの仲間とケンケンガクガクしながらパーツや調整を試し、その後に走って効果検証、というのがぼくの毎日であったように思います。
今考えると、そういった「何かを掴み取ろうとして運転する」という姿勢が現在の「試乗好き」に繋がり、また短い試乗であってもそのクルマの特性を掴み取ろうとする性質を養ったのかもしれません。
そしてパワーを上げたり足回りを固めるとボディがヤワに感じられるようになってきて、そこでフロントへとタワーバーを入れると今度はリアが不安定になるためリアにもタワーバーを入れ、そうなると車体が中央で捩れるようになるのでサイドシルには禁断の「ウレタン補強」を行い、さらにはロータスよろしくエポキシ樹脂で接着したり(ホームセンターと東急ハンズにも入り浸りだった)。
ただ、当時のぼくはお金がなかったので(年収350万円くらい)ほとんどのパーツ装着やカスタム、改造を自分で行なっており、ここで整備や加工、塗装などのスキルが磨かれたワケですね。
クルマを「ほぼ全部」分解する勢いで軽量化も行い、キノコ化によって不要となったインテーク、電動アンテナ、リアワイパーも取っ払い、軽量バッテリー装着やウォッシャー液も抜いてしまうなど、いらないものは全部取り払い、それらの重量も記録していたものの、現在見当たらないのがちょっと残念。
そのほか、ヘッドライトのHID化(解体屋でバラストとバルブを探してきて自作した)、LED灯火類(これも電気屋街で抵抗などを買ってきて自作)、ぼくはこのころ黒いパーツが嫌いだったのでバンパーやドアミラーベース、リアガーニッシュなどのボディ同色化(もちろん自家塗装)、シート張り替えと内装各部の張り替え/ペイント(シート以外は全部自分で)、ほかメーカー/車種からのパーツ流用、ヘッドライト/テールランプの殻割りなど、今考えると本当に「よくやってたな」という感じ。
そしてパーツの個人輸入などをはじめたのもこの頃で、いかに安く、効率的に改造やカスタムを行うかを常に考えていたように思います。
ボクがたどり着いた結論とは
こういった感じで、「フェアレディZはぼくのルーツでもあり、今に到る基礎を作ってくれた」クルマ。
そう考えると感謝の念しかありませんが、様々なことを学んだ反面、たどり着いた結論が「クルマは弄るとバランスが壊れる」「最初から速く走ることを目的に設計されたクルマにはかなわない」。
前者については補強の例で挙げたように、どこかを補強すれば他に負担がかかり、パワーアップにしても同様で、出力が向上すればその分負担も増加し、ブレーキの容量も足りなくなるわけです(速く走るには、最短距離で止まることが必要だということも知った)。
つまりチューニングとは「キリがない世界」だと言え、まさにハマると抜け出せない泥沼であり、それだけお金をかけたクルマであっても、いざサーキットに行って、ノーマルのポルシェ911(当時は993世代)と走るとまったく歯が立たず、「今まで自分がやってきたのは何だったんだ・・・」とちょっと虚しくなったという経験も。
つまりクルマは弄れば弄るほどバランスを損ない収集がつかなくなるということ、そして速く走りたければ、妥協なく作られたスポーツカーを買うのがもっとも安上がりだということを身をもって知らされたということになりますね(よほどそのクルマが好きではないかぎり、そのクルマのチューニングにお金と時間を突っ込むのは得策ではない)。
ぼくがフェアレディZにかけた費用については記録が残っておらず算出は不可能ですが、記憶の範囲だとざっと400万円くらいは突っ込んだ可能性が大きく、しかし多くの作業を自分で行なったり、解体屋でパーツを安く購入してきたりしたので、仮にこれらをショップに依頼していたり、新品パーツで賄っているとさらに金額が膨れ上がります。
当然ながらこういった費用は生活を著しく圧迫することになり、当時は洗車するお金もなかったので、大雨が降ると当時借りていた月極駐車場へと出向き、雨水でもって洗車をしていたほど。
その後、「あれだけ手塩にかけたクルマがあっさりポルシェに敗れた」ことがぼくを奮い立たせ、そしてフェアレディZの改造にて培った経験が様々な方面で生きることで今のぼくがあるということになり、そのおかげでランボルギーニやポルシェに乗れているのであれば、「あれだけ改造にお金と時間を突っ込んだのは、ぼくの人生において、大きな意味があった」のかもしれません。
日産はフェアレディZを「S30風の」レトロルックにて復活させると発表していますが、「あの頃、自分の全てだった」フェアレディZにもう一度乗ってみたいという気持ちもあり、新型が出たらいちど見にいってみよう、と思います。
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