| やっぱりクルマは家族だ、とボクは思う |
フォルクスワーゲンが公式にて「ちょっといい話」を公開。
これは「ひとりの息子が、父親がかつて所有していたフォルクスワーゲンを38年かけて探した上で買い戻し、レストアして再び道路を走れるようにした」というもので、今回その内容を紹介してみたいと思います。
この物語の主人公はリン・フェニングさんという人物。
彼が幼少期を過ごした1960年代に、彼の父親は1965年モデルのフォルクスワーゲン・ビートルを所有。
その後残念ながらこのビートルは事故で廃車となってしまったそうですが、その後1967年にも彼の父親はフォルクスワーゲン・タイプ3ファストバックを購入したというので、父親は筋金入りのフォルクスワーゲンマニアだったのかもしれません。
それ以降、幼き日のリン・フェニング少年にとって「毎週日曜日、家族で教会に出かける前にクルマを洗う」のが彼にとっての初仕事、そして楽しい習慣となったそうです。
その後、フォルクスワーゲン・タイプ3は農作業車として売却される
その後さらに時は流れ、彼の父親はこのタイプ3ファストバックを地方の農家へと売却し、そこでこのタイプ3は実用車として使用されることに。
実用車としての役割を終えた後、このタイプ3はその農家の納屋に20年以上も保管されることになりますが、その間もずっとリン・フェニングさんはこのタイプ3がそこにあることを確認し続けたのだそう。
そして就学し、卒業して職を手にし、お金ができた頃にその農家に行って「タイプ3を買い戻したい」と申し出るものの、農家の答えは「NO」。
なお、リン・フェニングさんは彼の父親同様、生粋のフォルクスワーゲン・マニアであり、その時点ですでに1963年製ビートルを含むいくつかのコレクションを持っていたそうですが、そのタイプ3だけはどうしても入手できず、しかし根気強くこのタイプ3が売りに出される機会を待ち続け、2013年にこのタイプ3が市場に登場したのを発見し、売り主の言い値で購入した、とのこと。
ただ、農作業に使用されていた上に数十年間も納屋に保管されていたのでコンディションはかなり悪く、もちろん不動であった上にあちこちにダメージが見られた、と語っています。
もちろんリン・フェニングさんはこのクルマをレストアすることになりますが、かかった費用はおよそ440万円ほど(彼の父親が当時このクルマを購入したのは25万円くらいだったらしい)。
レストア作業は基本的に自分で行っていたため、週末には一日10〜12時間を費やすことになり、とくに時間がかかったのはサビを落としたり腐食した部分をカットして新しいパネルを溶接すること。
ただし状態をひとつひとつ確認しながら自分の思う仕様へと仕上げる楽しみもあったようで、全てのボルトやナットを新しくしたりエンジンを1600ccから1776ccへとボアアップしたり、ということも行ってきたようですね(クルマ好きが高じて自動車メーカーにて働いたこともあった)。
そしてレストアに費やすこと5年、ついに2018年にこのタイプ3ファストバックが完成することになりますが、ボディカラーは1930年代の人気カラー「キャンディ・ブランディ・ワイン」。
さらにこのクルマは、その年のノースダコタ・ステート・フェアにて1位を獲得したほか、様々なショーにおいても数々の賞を受賞することに。
ただしリン・フェニングさんいわく「どんなに権威のあるショーで受賞するよりも、「また父と一緒に、このクルマに乗れることのほうがずっと嬉しいし、価値のあることだ」とも語っていて、筋金入りのフォルクスワーゲンマニアぶりを見せています。
なかなか「父から子に受け継がれるクルマ」というのはそうそうなく、それだけ長きに渡り魅力を発揮できるクルマでないと、どだい無理な話。
こういったクルマの代表格はやはりポルシェ911ですが、フォルクスワーゲンもこの点においては負けてはいないようですね。
フォルクスワーゲンにしか語ることができない物語もある
なお、フォルクスワーゲンは非常に歴史の長いブランドであり、そのクルマ自体も高い耐久性を持っています。
そのためか、これまでにもいくつか「長きに渡り、クルマを家族のように扱ってきた人々」を紹介していますね。