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【動画】ポルシェは2008年にVWの買収を企てるも失敗し、逆にVWに吸収されることに。この裏にあったのはポルシェの「本家」と「分家」との確執だったようだ

ポルシェ911GT3

| ポルシェほどの家名になると、ボクらには想像もできないような世界があるようだ |

現在ポルシェがフォルクスワーゲングループ傘下にあることは多くの人が知る事実かと思いますが、これにはドラマのような逆転劇が存在し、今回ドーナツメディアが「これまで報道されなかった、ポルシェがフォルクスワーゲンの下に収まることになった舞台裏」について触れる動画を公開しています。

簡単に言うと、当時年間10万台程度の生産規模だった「小さな自動車メーカー」ポルシェが、年間600万台を生産する「巨人」フォルクスワーゲンの買収を試み、しかしあと一歩のところで資金が尽き、逆にフォルクスワーゲンに買収されてしまうという一連の「買収失敗」に関わる舞台裏ということになります。

もともとフォルクスワーゲンとポルシェとは非常に近い関係にあった

ここでまずポルシェの歴史について触れておく必要がありますが、ポルシェは1931年にフェルディナント・ポルシェによって設立されており、その後はその子孫たちもポルシェにて働くことになりますが、その後1960年代になると公共性を保つためにポルシェ一族を役員から排斥することを決める内規ができてしまい、これによってフェルディナント・ピエヒやフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェといった(3世代目の)一族が、まるで「ポルシェから追い出されるかのように」ポルシェをあとにしています。

ちなみにフェルディナント・ピエヒはその後メルセデス・ベンツやアウディを渡り歩き、その後はフォルクスワーゲングループ会長に就任し、この買収劇当時の役職は「監査役会会長」。

なお、ポルシェは1990年代(993が現役だった時期)に経営危機に陥り、しかしその後はボクスターや996型911といった「水冷モデル」の発売、カイエン(2002〜)の発売によって息を吹き返すことに。※ポルシェが危機に陥った際、ホンダとトヨタが買収に乗り出しており、トヨタはホンダの4倍ほどの金額を提案している

これによって当時のポルシェのCEOを努めていたヴァンデリン・ヴィーデキング氏は潤った手元資金を活用して、当時は崩壊寸前と言われ株価が低迷していたフォルクスワーゲンの買収に乗り出すこととなります。

買収の動機としては、「フォルクスワーゲンが、ベントレーやランボルギーニといった自動車メーカーを次々と傘下に収め、そにれよってポルシェとの関係を断ち切り、ポルシェと敵対するのではないか」という危機感から生じたものだとされ、であれば脅威を今のうちに手中に収めておこうということですね。※ポルシェ自動車持株SEがフォルクスワーゲンをコントロールし、その下にポルシェAGが存在していることでもわかるように、当時から両者は関係があった

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時はポルシェに味方をしなかった

そこでヴァンデリン・ヴィーデキングCEOはフォルクスワーゲンに対し、フォルクスワーゲンの株式20%の取得を申し出ますが、この際には「VWの独立性を外敵から守るため」と虚偽を語り、買収の意図はないと主張。※当時は、フォルクスワーゲンの買収を防ぐための”フォルクスワーゲン法”という法律があったほど。この法律は2007年に違法判決が出ている

ただ、実際の意図は「買収」だったので、ポルシェはフォルクスワーゲンの株式をどんどん裏で買い進め、最終的には75%まで所有比率を高めていますが、これはいわゆる「敵対的買収」。

もちろんほどなくしてこの事実はフォルクスワーゲンの知るところとなり、フォルクスワーゲンは怒り心頭となり、しかしここまで株式を買われるともうどうしようもない状態となってしまいます。

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ただ、そこで起きたのが2008年の金融危機、つまりリーマンショック。

これによってポルシェが持つフォルクスワーゲン株の価値が減ってしまい、銀行に対する担保としての機能をなし得なくなってしまったため、銀行はポルシェに追加で担保を要求することに。

当然ながら販売も大きく落ち込んでいるのでポルシェの手元には現金がなく、ポルシェはこのままだと「利子も払えずに倒産するしかない」状態となってしまい、そこでポルシェCEO、ヴェンデリン・ヴィーデキング氏は、敵対していたフォルクスワーゲンに対して頭を下げることでフォルクスワーゲンがポルシェを吸収することで落ち着き、この買収劇は思いもよらぬ形で収束したわけですね。

つまり、小人が巨人を飲み込もうとした結果、やはり巨人に食われてしまったということになりますが、そこにはなんらかの見えざる力が働いたのもまた事実。

そしてフォルクスワーゲンの怒りを買ったヴェンデリン・ヴィーデキング氏は解任され、その後は自身でピザのチェーン店をはじめたと言われています。

Porsche

実際はポルシェ一族の争いだった

なお、この買収劇について、実際にはポルシェ一族の争いだったと言われています。

上述のとおり、ポルシェ創業者には子孫がいて、まずは「フェリー(息子)」と「ルイーズ(娘)」がおり、それぞれ4人の子孫を残していますが、息子系には「ウルフガング・ポルシェ」、娘系には「フェルディナント・ピエヒ(娘は結婚によって姓がピエヒとなっている)」という対象的な、しかし野心を抱く息子が存在(ウォルフガングは紳士、フェルディナントは野武士だと表現される)。

この「いとこ」に相当する2人がずっと「VWとポルシェの統合」を目論んでいて、ウルフガング・ポルシェのほうは自身を「正当なポルシェの家系」と主張してフォルクスワーゲンを配下に置くことを望み、フェルディナント・ピエヒは(”ポルシェ”という名が自身につかなかったコンプレックスからか)本家と主張するウルフガング・ポルシェを自身の下につけたかったとも言われます。

そして、ウルフガング・ポルシェが、ヴェンデリン・ヴィーデキング氏を利用してフォルクスワーゲンの買収に動いたということになりますが、結果として「本家」が「分家」に吸収されるという屈辱的な結果となったわけですね。※このあたりは、吉森賢氏の論説が一番詳しいと思う

ポルシェの「第三世代」、そしていとこ同士にあたるウルフガング・ポルシェ、そしてフェルディナント・ピエヒ両名において、「ポルシェとフォルクスワーゲンの統合」という悲願は共通しつつ、しかし「統合した後はどちらが上になるか」という点においてはまったく異なる意見を持っていたということになりそうです。

ポルシェによるフォルクスワーゲン買収劇失敗を解説する動画はこちら

参照:Donut Media

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