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ランボルギーニが「失われたと考えられていた」現存する最古のカウンタックを展示。隣に並ぶのは日本人エンスージアストが所有する「レストア中のエスパーダ」

ランボルギーニが「失われたと考えられていた」現存する最古のカウンタックを展示。隣に並ぶのは日本人エンスージアストが所有する「レストア中のエスパーダ」

| 過去のランボルギーニには色々な「逸話」があって面白い |

おそらくはこれからも驚きの発見が出てくることだろう

さて、ランボルギーニが今回で40回目を迎えるクラシックカーショー、オート・エ・モト・デポーカ(Auto e Moto d'Epoca)に出展すると発表。

ここでの展示を担当するのはもちろんランボルギーニのクラシックカー部門「ポロストリコ」で、出展内容はレストア中のエスパーダ、そして現存する最後のカウンタック。

このカウンタックLP400はシャシーナンバー1120001だといい、つまりはこれまでに生産された市販スペックのカウンタックの中でも「最古」ということになるもよう。

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なお、この「ポロストリコ」は2015年に発足し、ランボルギーニのヘリテージを統括する部門として機能していますが、特にランボルギーニのアーカイブの管理と研究、クラシックカーのレストア、ディアブロ世代までのクラシック・ランボルギーニの真正認定、ランボルギーニ・コレクターのためのイベントの開催などを通じ、ランボルギーニとそのクルマの歴史を保存する役割を担っています。

現存する最古のカウンタックには「知られざるストーリー」があった

そこでまずこの「最初の」カウンタックLP400について紹介すると、これはランボルギーニ本社併設のランボルギーニ博物館(MUDETEC)に”常設”として展示されているグリーンの個体であり、プロトタイプとして生産され、ジュネーブ・モーターショーに展示された(イエローの)カウンタックLP500とは全く別のクルマ。

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このカウンタックLP400はランボルギーニの工場にて(1973年に)製造された際にはレッドにペイントされていたといい、その後は同年のジュネーブ・モーターショーへの展示、さらには1974年のカウンタック量産に向けて様々なテストに供されることになったと紹介されており、つまりは現代でいう「プリプロダクションモデル」だと考えていいのかも。

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実際のところ、量産バージョンのカウンタックLP400とは細部に相違があるといい、この生産番号「1」のカウンタックが経験した試験結果等によって後のスペックが決定されたということになりそうです。

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ざっと見たところ、サイドのNACAダクトやウインドウモール、フロントグリルなどに(量産モデルとの)相違があるもよう。

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ダッシュボードもやや量産モデルとは異なるようですね。

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そしてこのカウンタック1号車は英国でもっとも有名な雑誌(ランボルギーニは名前を伏せている)の表紙を飾るなど華々しくメディアデビューを飾り、撮影終了後にはランボルギーニのテストドライバー、ボブ・ウォレスがランボルギーニまでドライブして戻ったという記録が残るものの、1793年には忽然と姿を消してしまったと言われます。

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その後、1号車の代わりに登場したのが「グリーンに塗られた」2号車で、しかしその後この2号車も行方が分からなくなり、ずっと後の2003年になってこの2号車がスイスで発見され、ランボルギーニが本社に持ち帰って慎重に修復作業を行っていたところ、この2号車がなんと「実は1号車のボディカラーを塗り替えたもの」であったことが判明します。

まさに事実は小説よりも奇なりといったところですが、こういった「実はぜんぜん違うクルマだと思っていたものが、同一の、そのクルマそのものだった」という例は過去にもいくつかあり・・・。

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かくしてこのランボルギーニ・カウンタックLP400「001」はランボルギーニ博物館に安住の地を見出すことになったそうで、なかなかに興味深い話だと思います。

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レストア中のランボルギーニ・エスパーダは「日本人が所有」

そして今回展示されている「もう一台」のランボルギーニ・エスパーダにつき、こちらは日本人のコレクターが所有している個体だと紹介されていて、1972年から1978年まで生産された「シリーズ3」のうちの一台。

エスパーダはフロントにV12エンジンを積むクルマですが、ランボルギーニ初の4人乗りスーパーカーでもあり、当時「もっとも売れた」ランボルギーニとして知られています。

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もともとのボディカラーはブロンズ、インテリアカラーはマスタードというエレガントなカラーリングを持ち、1972年9月11日にランボルギーニの工場にて完成した後、9月28日にミラノのディーラーに納車されたという記録が残ります。

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参照:Lamborghini

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