| 「エスパーダ」とは闘牛に使用する剣を意味し、2000年代には「エストーケ」として蘇るという計画も存在した |
カウンタックに記録を破られるまで、最も売れたランボルギーニでもあった
さて、ランボルギーニはV12エンジンオンリーとしては最後となる「アヴェンタドールLP780-4ウルティメ」を発売し納車をほぼ終えた状況かと思いますが、少し前よりV12エンジンを振り返るコンテンツを公開中。
先日はミウラ、そして今回はエスパーダを紹介していますが、このエスパーダはランボルギーニ初の(2+2ではなく)4人乗りとなったクルマで、長年にわたりもっとも売れたランボルギーニ(1226台)として記録されています。
ランボルギーニは「快適なGT」を目指していた
なお、ランボルギーニ創業者であるフェルッチョ・ランボルギーニは「速いだけではなく、快適でラグジュアリーなGTカー」を作ることを当初から目標として掲げており、「フェラーリのように、隣に乗った御婦人のメイクが汗で流れ落ちないようなスポーツカー」づくりを目指したと言われます。
そして創業から5年経った1968年、3月に開催されたジュネーブ・モーターショーにてこのエスパーダが発表されることになりますが、2+2レイアウトを持っていた400GTやイスレロに比較しても格段にゆとりがあり、室内には「大人4人が座ることができるシート、カーゴスペース」が用意され、レザーなどの高級素材がふんだんに使用されたほか、エアコンやパワーステアリング(1969年からオプション、1972年以降は標準装備)も用意され、さらに1974年からはオートマチック・トランスミッションも設定されることに。
ランボルギーニ・エスパーダは当時最速の4人乗りスポーツカー
このエスパーダの技術的トピックは3.5リッター(後には4リッターにまで拡大)60度V12エンジンで、当初は325馬力、最終的には350馬力にまで出力が向上しています。
ウェーバー製のサイドドラフトキャブレター6基を搭載し、圧縮比は9.5:1(シリーズII以降は10.7:1)、チェーンドライブ式オーバーヘッドカムシャフトを片バンクに2本装備。
シリンダーヘッドやクランクケース、ピストンにもアルミニウムが使用され、エンジン単体での重量は232kgにとどまっています。
なお、シャーシそのものは400GTがベースとなるものの、エンジン搭載位置は400GTに比べてやや前方に設定され、これは「室内空間を確保するため」。
ボンネットは重量配分改善のためにアルミ製が採用され、開口部を大きくとることで整備性を向上させています。
なお、ホイールベースは2650ミリなので当時の車としてはけっこう長く、サスペンションはダブルウィッシュボーンにコイルスプリング。
ちなみにハイドロニューマチックサスペンションを搭載したエスパーダ 「ランコマート」なる仕様もあったそうですが、こちらの販売はごくわずかにとどまるのだそう。
エスパーダの最高速は245km/h~260km/hだったといい、この数字は当時のミウラよりも速く、エスパーダは「世界最速の4人乗りスポーツカー」としても有名だったと言われます。
エスパーダのオーナーリストにはポール・マッカートニーの名も
このエスパーダのボディはカロッツェリア・ベルトーネによってデザインされており、全高わずか119cm(フェラーリ296GTBとほぼ同じ)という低くスタイリッシュなシルエットを持ち、しかしインテリアは広く機能性に優れ、そのためランボルギーニはエスパーダによって新しい顧客層を獲得することになったといいますが、シリーズI(エスパーダGT)は1968〜1969年にかけ176台、シリーズII(エスパーダ400GTE)は1970〜1972年に578台、シリーズIII(エスパーダ400GTS)は1972〜1978年にかけて472台が生産されることに。
参考までにエスパーダのモデルライフ中には「変わり種」も存在し、1971年にはエスパーダVIPなるモデルが12台のみ生産され、このうち最初の一台はオレンジのボディカラー、そしてオレンジとブラックのレザー内装を持っていたといい、リアサイドにはミニバーと冷蔵庫、トランスミッションの上にはテレビが搭載されていたとされ、当時のランボルギーニは現在とはずいぶん異なるクルマを作っていたということもわかります。
そしてエスパーダのオーナーの中には「ランボルギーニファン」であったポール・マッカートニーもその名を連ねていたといい、1972年に”マニュアル・トランスミッション、レッドのボディ、レッドのレザーインテリア(想像しただけでもスゴそうだ)を持つ右ハンドル仕様のエスパーダ・シリーズIIIを購入。
主に妻のリンダ・マッカートニーがこのエスパーダを運転していたそうですが、ある日パーキングブレーキをかけわすれたまま駐車してしまい、近くの池に転落してしまい、しかしその3日後には池から引き上げられ、後に新しいオーナーへと売却されたのだそう(実際に数年間乗っていたらしい)。
さらにその後、この個体はパブの装飾品として使用され、現在はオーストラリアのオーナーが所有していると見られているようです。
そのほかコメディアンにしてテレビ司会者、そしてカーコレクターであるジェイ・レノは今でも1969年製エスパーダ・シリーズIIを所有しているといい、EVOマガジン創刊者のハリー・メトカフェも1970年製エスパーダ・シリーズIIを所有しているとされ、自身のエスパーダに乗ってランボルギーニの開催するイベントに参加したこともあるようですね。
なお、ミウラほどではないものの、このエスパーダも多くの映画(約50本)に出演しており、最も有名なものは1973年のイタリア映画「フラットフット」だとされ、ここではエスパーダを用いたカーチェイスが描かれている、とのこと。
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参照:lamborghini