| 人生を変える瞬間というのは本当に存在するんだな |
人生において、ほんのちょっとしたきっかけはとても重要である
さて、ルーフ(RUF)はポルシェからドンガラのホワイトボディやパーツの供給を受け、そこに自らのオリジナルパーツ、さらには職人技によって加工されたパーツを組み付けることで完成車を製造していますが、この完成したクルマはポルシェではなく「ルーフ」というクルマであり、つまりルーフはれっきとした自動車メーカーであるわけですね(正式にドイツから認可を受けており、専用のVINもある)。
このルーフの創業者はアロイス・ルーフ(ポルシェでは”ルフ”と表記)なる人物で、今回ルーフを設立するまでの経緯、そしてポルシェに興味を持つきっかけとなった”幻のクルマ”に遭遇したこと、そしてその車両との奇跡の再会についてのストーリーが紹介されています。※現在はファッフェンハウゼン・ポルシェ・サービスセンターの社長も務めているらしい
アロイス・ルーフは14歳のときにポルシェ911のプロトタイプに出会う
アロイス・ルーフは自動車整備工場を営む家庭に生まれ、当然のごとく幼少の頃から自動車に興味を持っていたそうですが、1964年の14歳のある日、父親の運転するオペル・レコルトに乗って高速道路を走っていたところ、「轟音とともに青いクルマに抜かれた」のだそう。
その青いクルマとは発売前のポルシェ911のプロトタイプだったそうですが、14歳のアロイス・ルーフ少年は当時くまなく自動車雑誌を読んでおり、よってそのクルマが「ポルシェが開発中の新型車、ポルシェ2000(当時はそう呼ばれていたようだ)である」ということにすぐに気づいたといいます。
そのクルマを目にしたのはわずか数秒という短い間であったものの、アロイス・ルーフ少年の心を奪うには十分すぎる時間でもあり、そこからポルシェへの傾倒がはじまることとなったわけですが、そのポルシェ2000は1964年春から量産が開始され、当初は「ポルシェ901」と名乗っていたものの、その後プジョーからの申し入れによって「ポルシェ911」へと改名されたのは有名な話。
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そして時は流れて1969年になると、アロイス・ルーフの父親は、19歳となったアロイス・ルーフに”ちょっとした事故で傷んだ911”をプレゼントし、しかしこの911にもともと積まれていた6気筒エンジンは前のオーナーが抜き取っていたため、かわりに(912の)4気筒エンジンを積んで楽しんでいた、と語っています。
その後アロイス・ルーフは少年から青年へと成長し、父親の整備工場を引き継いだのちにRUFを「ポルシェが認める」自動車メーカーにまで育て上げるわけですが、「人生を変えたあの一瞬」がアロイス・ルーフを駆り立てたことは想像に難くなく、わずか数秒の出会いがその後の人生を左右したと考えてよいかと思います。
ただ、あまりにビジネスが忙しかったのか、父親からプレゼントされた911はひっそりとガレージの隅に置かれたままとなり、いつかレストアせねば・・・と思いつつも伸ばし伸ばしとなり、ようやくレストアを開始したのが2019年。
そしてレストアを開始したところで”はじめて”わかった事実がいくつかあり、まずは「その911がかなり初期のものであるということ」。
さらに量産車にはないディティールを備えており、市販前のプロトタイプということが判明したそうですが(当時のポルシェはプロトタイプを一般向けに販売していた)、このグリップも「量産前のプロトタイプのみ」に備わっていたディティールなのだそう(量産型ではサイドパネルに移設)。
なんとこのポルシェ911は「失われた」とばかり思われていた6番目の901だった
さらにはシャシーナンバー13326ということから「(82台のうちの)6番目に製造された901」ではないかと推測され、さらに5連メーターを持つこと(5番目と7番目のメーターは丸2つ)により、行方不明とされていた6番目の個体に間違いないということがこの時点で確定。
その後レストアを進めて行くうちにもっと驚かされたのは、何層にも塗り直されたペイントを剥がしてゆくと、その下からオリジナルのペイントである「エナメルブルー6403」が顔を出し、つまりはこの個体が「14歳のときに高速道路で見た、そしてアロイス・ルーフの運命を変えることになった、あの個体そのものなんじゃないか」という考えが頭をもたげます。
さらなる調査を進めるうちにどんどん事実が明らかになり、まずはこのポルシェ911(901)は1963年9月に完成し、そのボディカラーに由来して「クイック・ブルー」と呼ばれていたこと。
その後展示車として使用され、10月16日にロンドンのアールズ・コート・ショーで披露された後の1964年3月、ジュネーブ・モーターショーに出展された個体そのものであること。
さらには当初ダミーエンジンが積まれていたものの、その後量産エンジンが搭載され、フェルディナン・ピエヒ自身がしばらく使用した後、ポルシェのエンジン設計車として知られるハンス・メツガーが7,500マルクにて購入したことも明らかになっています。
ハンス・メツガーはその後2年間このポルシェ911に乗り、その後シュトゥットガルト近郊にあるバス製造業オーナーへと売却し、しかしこのオーナーはレース中のクラッシュにて「クイック・ブルー」を破損してしまいます。
そしてこのオーナーはクイック・ブルーを修理するよりも新車の911を購入することを選び、そして破損したクイック・ブルーを自動車整備工場のオーナーへと売却するのですが、その自動車整備工場のオーナーがつまりアロイス・ルーフの父親であったわけですね。
ただ、当時アロイス・ルーフはこのポルシェ911を「クイック・ブルー」だと認識できなかったと考えてよく、となるとどこかの段階で「ブルーではない」ボディカラーにペイントされていたのだと思われますが、なんと幼い頃に見て衝撃を受け、そして自分の人生を「ポルシェ一色」にしてしまったあのクルマが「そうとは知らぬ状態で」自分の手元にやってきており、そのクルマを55年も知らずに手元に置いていたというのはまさに運命の悪戯としかいいようがないのかも。
現在このポルシェ911(6番目に製造された901)は美しくレストアされ、当時のままの仕様へと復元されてアロイス・ルーフの所有車となっていますが、今でもアロイス・ルーフが考えるのは、「14歳のあの日、自分と父親をすごい勢いで抜いていったこの911を運転していたのは誰だったのか」。
しかしその答えはおおよそ見当がついており、アロイス・ルーフは「時系列的に考えると、それはポルシェ創業者であるフェルディナント・ポルシェの孫、「フェルディナント・ピエヒしかいないでしょうね」と語っています。
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参照:Christphorus