| スーパーカーは、行き場のない現実の世界からボクを連れ出してくれる魔法の乗り物でもある |
人はすべからく、何かにすがって生きていると言ってもいい
さて、ぼくはフェラーリ296GTBの購入を検討していますが、ひとまず「買おう」と決意することに。
ただ、今は買おうと決めたという段階であり、それがいつになるのかは決めておらず、明日注文するかもしれないし、1年後になるかもしれない、といったところです。
この「発注時期を決めかねている」のには理由があり、それは296GTBの納車までの期間が2年もあり、「あまりに長いから」。
そしてこの2年の間には、ランボルギーニ・アヴェンタドール後継モデルの発表、そしてウラカン後継モデルの発表も控えており、どのタイミングでどのクルマを発注し、どう入れ替えるか、と考えているわけですね。
フェラーリは買い時が難しい
たとえば、近日中にフェラーリ296GTBを発注したとすると2024年前半にやってくることになりますが、2024年にはウラカン後継モデルが発表されているので、296GTB納車直後にウラカン後継モデルを発注する可能性も(もしかするとアヴェンタドール後継モデルかもしれない)。
そして1年後くらいにウラカン後継モデルがやってきた段階でフェラーリ296GTBを売りに出すことになりそうですが、その時点でもう「2025年」。
自身のガレージの中身をどうやって組み立てるかを考えあぐねており、ランボルギーニのニューモデルの発表時期やその内容についてある程度明らかになった時点で296GTBを注文するべきか、とも考えています。
ただ、今までずっとそうやって、結局フェラーリを発注するタイミングを逸し続けてきたのもまた事実であり、というのもフェラーリのニューモデルが発表されて2年後くらいに発注したとすると、納車される頃にはもう後継モデルが発表されているため、「じゃあ後継モデルを待つか・・・」という感じで今までズルズルと(フェラーリを注文できずに)来ているわけですね。
そういったサイクルにも終止符を打たねばならない
しかしながらずっとそうやっていると「いつまでたってもフェラーリを購入することができない」状況はなにひとつ変わらず、しかしどこかでこの連鎖を断ち切る必要がある、と考えています。
かくして今回ぼくが考えたのが「時期はともかく、フェラーリ296GTBを注文してみよう」という決断を下すこと。
株価と暗号資産の暴落によってフェラーリ296GTB一台分くらいの資産が目減りしてしまってちょっと凹んでいる状態ではありますが、そう決めたことでぼくの中で何かがちょっと変わったようでもあり、そしてこれは自分自身でも予期してもおらず、かつ期待もしていなかったことなので、ちょっと驚いている自分もいます。
そこでいったい何が変わったのかというと、「フェラーリを買おうと決めた日の夜、ものすごくよく眠れた」ということ。
これはぼくにとっては非常に珍しく、夜中に一度も目が覚めることなく、しかも翌日の朝もけっこう遅い時間までぐっすり眠ることになり、こんなに寝たのは何年ぶりだろうな、というくらい。
ボクは常にストレスにさらされている
正直いうと、ぼくは日常生活において常に強いストレスにさらされていて、その理由は「他人と仕事を一緒に進めるのが苦手だから(それでも他人とともに仕事をしなくてはならない)」。
たとえば、ぼくが何かを考えたとして、その多くはあまりに他人の思考とかけはなれているので、多くの場合は批判にさらされることになり、様々な調整が行われた結果、当初ぼくが考えたのと全く異なる形で(そのピュアさを失った形で)実施されてしまうことになります。
そしてぼくはその段階において、違うそうじゃない、それだと間違いなく失敗すると言うのですが、多くの人々はそれに耳を貸さず、もともとのぼくの思惑とはかけ離れた形で運用され、そして案の定失敗し、そしてそれはぼくのせいになってしまうわけですね。
とにかくぼくは、常人とは様々な意味で異なる思考を持っていて、しかしそれをいかに説明したとしても常人にそれを理解させることは難しく(多くの人は自身の想像を超えること、体験したことがないことは理解できない)、結果的に「愚者」のレッテルを貼られてしまうことも。
であれば、もう最初から口を閉ざしたほうがいい、というのがぼくの導き出したひとつの結論です。
ただ、それでもぼくは「何もせずにいることができず」「ゆっくり動くこともできず」、回遊魚のように、その動きを止めるとどこかで(精神的な)死に至る可能性があり、そのはけ口としてはじめたのが個人的なビジネス。
そして誰にも干渉されず、自分が考えたことをピュアな形のままで実行することによって多くのお金を稼ぐことができるようになり、「今まで他人に邪魔されていたのは何だったんだ・・・」とも考えているわけですが(自分の正しさも同時に証明された)、様々な事情があって他人とのビジネスをいまだ完全に断ち切ることができず、それがぼくに苦痛を与え続けている、ということになります。
そしてそういった苦痛は、体一つで海に投げ出されたぼくを深い底へと引きずりこもうとするかのごとくぼくの足を引っ張ることになり、しかしぼくにとっての浮き輪のような、あるいは救命ボートのような、命をつなぎとめてくれる存在がスーパーカーだとも捉えています。
よって今のぼくは、ランボルギーニに乗ることによってかろうじて正気を保っていて、海の底に引っ張り込まれずにすんでいるということになりますが(こういった理由で、ぼくはランボルギーニに対しては感謝しているし、離れることはできない)、ここにフェラーリという新たなる「救命ボート」が助け舟を出したことによって、ぼくの魂がさらに救われた(新たなる”正気を保つ手段”を確保した)ということなのかもしれません。
上述の通り、ぼくはこういった結果を予期しても、期待してもいなかったわけですが、今考えると「結果的にそうだったんだろうな」と考えざるをえず、つまりぼくは、ランボルギーニによって救われ、そしてまたフェラーリによって救われるということにもなりそうですが(最初に救われたのは、はじめてのポルシェを発注したときだった)、少なくともスーパーカーのステアリングホイールを握っている間だけは雑念を感じることはなく、目の前にある世界だけに集中することができるのです。
そして、ポルシェ、ランボルギーニ、フェラーリは、それに乗る人の人生を変えてくれる「何か」を持っているクルマだとも考えています。
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