| 悩み事があるときこそウラカンだ |
今日、ランボルギーニ・ウラカンに乗って感じたこと。
それは「とりあえずウラカンに乗れば気分が晴れる」ということ。
ウラカンはそのサイズや車高、その他モロモロの事情によって、「簡単に乗るにはハードルが高い」車。
スロープや通路の幅に気を使いますし、ドアが長く厚いので乗降にはそれなりのスペースも要します。
ウラカンに乗るということはある種の障壁でもある
そういった事情もあって簡単にさっと乗って出るというのが難しい車ではありますが(ウラカンオーナーの中には他にもっとエキセントリックな車を多く所有しており、ウラカンがもっとも乗りやすい車だという例もありそうですが)、乗り出すにはある種の心理的障壁があるのも確か。
乗って行った先で渋滞に巻き込まれたらどうしよう、乗って行った先で車を置くところがなかったらどうしよう、乗って行った先で段差やスロープがきつかったらどうしよう、とかそういったことですね。
よって、ちょっと気分や体調がすぐれない時には積極的に乗ろうという気が起きないことがあり、特に心配事を抱えている時には、それ以上何かに気を使いたくない時もあって、ウラカンを敬遠してしまうことも。
ウラカンがまるで自分を元気付けてくれるかのようだ
最近は色々と頭を抱えるようなことが多く、そういった理由でウラカンに乗る機会が少なかったのですが(融雪剤が撒かれていたこともある)、それでも先日ウラカンを引っ張り出し、どこへゆくでもなくドライブへと出かけることに。
そこでぼくが感じたのは「どんなに悩みを抱えていても、ウラカンを運転すれば全部吹っ飛ぶ」ということ。
まるでウラカンが「何もかも忘れて純粋に楽しもうよ」と語りかけてくるようで、ウラカンを運転する楽しさに比べると、ぼくが頭を悩ませているようなことなどは小さなことでしかなく、そういった事柄など霧散してしまうように感じたわけですね。
実際のところウラカンを降りてガレージにしまった後でもその気持ちはずっと続いていて、「気持ちを入れ替えて頑張ろう」という心情に。
なお、自動車メーカーによっては「ドライバーに負担やなんらかの印象を与えることを避ける」ことを目的に設計を行う場合があり、そういった車は「乗ると落ち着く」ものの、気分の高揚はないかもしれません。
反面、刺激的な車は「乗ること自体」のハードルは高いかもしれませんが、その車をドライブすることで、何らかの心理的影響を車から受けることも。
どちらが良いか悪いかという問題ではなく、その時に自分の置かれる状況や心理状態にもよって選択は変わると思われ、しかし「行き詰った時こそ」スーパーカーに乗って状況を打開するだけのパワーを得るのもいい、と改めて感じた次第です。
ぼくが「地味な色のBMW i3(電気自動車)」から「派手な色のアウディTT(ターボ4WD)」に乗り換えたのも「このままi3に乗り続けると何の刺激もないカーライフになってしまう」からではありますが、ぼくは基本的に「常に刺激を求める」タイプなのかもしれません。
もちろん、こういった刺激を与えてくれる車はランボルギーニ・ウラカンだけではなく、世の中には数多くの「エキサイティングな」車が溢れていそうですね。
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