■駄文(日々考えること)

実はボクは「急須とやかん」との区別がつかず、「右と左」の区別がつきにくい。おそらくは先天的な問題だと思われるが今のところ原因はわからない

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| ただ、生活には何ら支障はなく、ボク自身は笑い話程度にしか考えていない |

もしかするとアスペルガー症候群、自閉スペクトラム症の疑いがあるようだ

ぼくはいくつかの点において一般的な人々と違うところがあり、今日はそれについて2点ほど述べてみたいと思います。

まずひとつは「急須とやかんの区別がつかない」ということですが、これに気づいたのは中学校3年くらいのとき。

当時母親が脳溢血で倒れて入院し、その際に「家から急須を持ってきて」と言われ、そのときにぼくが持っていったのが「やかん」です。

当時母親はぼくの行動につきひどく落胆したと見え、3年ほどまでに亡くなる最後まで「自分の息子は急須とやかんの区別がつかない」と周囲に話していたようなので、当時は相当にショックを受けていたのかもしれません。※ぼくは炊事や掃除、洗濯など家事につき、どちらかというと得意な方である

ボクは急須とやかんとの差異がわからない

ぼくとしては急須もやかんも似たような形をしているので「どっちでもいいだろう」と考えたのですが、どうやら世間一般では両者の間に明確な差異があると見え、しかし今でもぼくにはその両者の差異がわからないまま。

なお、ぼくはそれまで急須を使ったことがなく(さらに、今に至るまで一度も使ったことがない)、よって急須が何に使用するものなのかよくわかっていなかったということもあるのですが、ぼくの人生にとって、急須がさほど重要なポジションに位置するわけではないという事実がそのときに明らかになったわけですね。

ただ、両者の区別がつかないのは「用途を知らなかった」からだけではなく、用途を知った今でもあまり区別がつかないので、おそらくはぼくの認知能力に問題があるのかもしれません。

こういった「急須とやかんとの区別がつかない」ということは一般には理解し難いかもしれませんが、これは確固たる事実であり、少し似たような(いやちょっと違うか)事例は動物の世界にもあるもよう。

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たとえば猫さんだと、いつもと同じカリカリを、違う器に入れて出すと「それがカリカリである」と認識できない場合があり、さらにはいつもと同じ器にカリカリを入れて出したとしても、違う場所にそれを置くと「それがカリカリである」と認識できないことも。

つまり猫さんはカリカリを「カリカリそのもの」として認識しているわけではなく、器もしくはそれが置かれる位置によって「カリカリである」と認識していると考えてよく、よってぼくの場合も「急須とやかんにつき、その形状によって認識しており、その用途は考慮していない」ということなのかもしれません。

もしかするとほかにも認識できないものがあるかもしれませんが、今のところ「明確にわからない」のは急須とやかんだけです(一部のメルセデス・ベンツのセダンの区別もできないが、これは他の人でも同じだろう)。

ボクは左右がいまひとつわからない

そしてもうひとつ、ぼくがよくわからないのが「左右」。

これについては、コンピューターが普及しだして少しした頃、「右クリック」と言われて何のことかよくわからなかったことがあるわけですね。

もちろんそれまでにもコンピューターを使用しており、右クリックを普通に操作していて、その操作の意味を理解していたのですが(つまり用語がわからないとか、操作がわからないということではない)、「右手で操作しているマウスを右クリック」という観念が理解出来ず、正直これは今でもよくわからないままです(繰り返すが、PC操作には長けている方で、右クリックという言葉とその操作とを結び付けられないだけであり、右クリックの意味と操作は理解している)。

さらにいうと「短」「額」といった、左右別々の部位によって構成されている漢字についてもいまひとつ認識ができず、「短」だと「矢」が右なのか左に位置するのかが(今でも)よく理解できていない状態です。※よって、これらの漢字についてはひらがなで書くようにしている

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ただ、これが「窮」といったように、左右の部位の上にもうひとつ何かが乗ると問題なく理解でき、かつ「沙」のように左右の部位のボリュームが明らかに異なる場合も問題なし。

加えて、読みについては困ることがなく、しかし「書く」となると「どっちが左だったかな」となるわけですね。

もうちょっと踏み込んでみると、「右折」「左折」といった方向についても問題はなく、「自分の右側の人」「自分の左側の人」も識別可能。

つまるところ、右手もしくは左手という、体の末端で操作する「左右」がわからない、ということなのかもしれません。

なお、左右の認識が困難な症状(?)として左右識別困難症(左右盲、左右失認)というものがあるそうですが、ぼくの例がこれに該当するのかどうかは不明です。

ちなみにですが、これら(急須とやかん、左右失認)については発覚後「良くも悪くも」ならないため、おそらくは先天的なものであり、そしてアスペルガー症候群含む自閉スペクトラム障害の症状のひとつだという指摘も受けていて、機会があれば一度診断を受けてみようとも考えています(ぼく自身はこれらについて全く気にしていないし、どんな診断結果が出ようとも一向に構わないが、医学上でなんらかの説明がつくと面白い、とも考えている)。

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