| 動画をインスタグラムに投稿したのはランボルギーニのチーフデザイナー |
世界に一台のみが存在する、ランボルギーニ・ミウラ”イオタ”SVR。
今回そのミウラ・イオタSVRがペブルビーチ・コンクール・デレガンスに登場してそのサウンドを披露しています。
なお、このミウラは、ランボルギーニが「5台の特別なミウラを展示する」としていたうちの一台で、日本人が所有している個体。
もともとは1968年に通常の「ミウラS」として、そしてグリーンにペイントされていた個体ではあるものの、1974年にドイツ人のハインツ・シュトラーバー氏がこれを購入し、ランボルギーニへと持ち込んで「イオタ仕様」へとコンバートしたもの。
ランボルギーニ「イオタ」とは?
なお、(今回のミウラ・イオタSVRとは異なる)ランボルギーニ・イオタとは、1969年にランボルギーニが”一台だけ”製造した、レース参加を目的としたクルマ。
当時のランボルギーニは、創業者であるフェルッチョ・ランボルギーニによって「社としてレースに参加してはならぬ」というお達しが出ており、しかしランボルギーニのテストドライバー、ボブ・ウォレスは、フェルッチョ・ランボルギーニの目をごまかすため、「ミウラの外観を持ったレーシングカー」を作ってしまい、これが「イオタ」。
ミウラの外観を装っていたために「ミウラがベースの改造車」と思われがちですが、実はミウラとは基本的に異なる構造を持った、「イオタ」という独立した車種となります。
そして「イオタ」の由来ですが、FIAT定めるプロトタイプ・スポーツカークラスに出場するための競技規定における付則J項になぞらえてコードネーム「J」と命名され、このラテン語風発音が「イオタ(Jota)」だとされています。
そして悲しいことに1972年、このイオタはテスト中の事故によって廃車となりますが、 そのエンジン(ナンバー20744)はドライサンプからウェットサンプに変更され、別のミウラ(シャシーナンバー4878に)に搭載されている、と言われていますね。
そして当時、「イオタ」のウワサを聞きつけた人々がランボルギーニにイオタ同様のモディファイを依頼し、それをランボルギーニが引き受けて製造したものが数台存在。
これらは「イオタのレプリカ」ということになりますが、ランボルギーニが正式に作ったものなので、日本的に考えられる「レプリカ=ニセモノ」とはちょっとニュアンスが異なるようです。
そして、ランボルギーニが公式に「イオタスペック」にコンバートしたミウラには「SVJ」の呼称が与えられ、全部で10台程度が作られた、という話も。
それでもこのミウラが特別な理由とは?
今回の「ミウラ・イオタSVR(シャシーナンバー3781)」もそういった「イオタの公認レプリカ」ということになりますが、当時ミウラSから「イオタへのコンバート」を依頼した ハインツ・シュトラーバー氏は、ランボルギーニに対し”イオタと完全に同じ仕様にすること”を要求しています。
ただ、その際にランボルギーニはこれを拒否。
しかしながらハインツ・シュトラーバー氏はこれにめげず、ポルシェ917のブレーキシステム、コニ製サスペンション、BBS製ホイールなどを揃え、「多額の資金」とともにランボルギーニを再訪問してランボルギーニを説得し、8ヶ月をかけてこの「ミウラ・イオタSVR」が完成した、とのこと。
そしてこのミウラ・イオタSVRは、最近ランボルギーニのクラシック部門「ポロストリコ」にてレストアを受けており、日本へと凱旋した後、今回ペブルビーチへ。
なお、会場では「ランボルギーニの生きる伝説」バレンチノ・バルボーニ氏、そしてランボルギーニの新しいデザイナー、ミッチャ・ボルカート氏もこのミウラ・イオタSVRのサウンドに心を奪われていた模様。
バレンチノ・バルボーニ氏はボブ・ウォレス氏のもとで働いており、ランボルギーニが送り出すクルマのほとんどをテストしていたと言われるので、もしかするとこのミウラ・イオタSVRも「当時」テストを担当していたのかもしれませんね。
During Monterey Car Week, the car was showcased in all its glory, and in this video from Lamborghini head of design Mitja Borkert, even Valentino Balboni seems impressed by it. High praise indeed, coming from the legendary tester himself.
VIA:mitjaborkert, Road and Track