>フェラーリ

エンツォ・フェラーリは自分宛ての手紙にすべて返信していた!エンツォの死の直前に手紙を送った当時の子供達が40年近くを経てフェラーリ本社に招かれる

2022/12/19

エンツォ・フェラーリは自分宛ての手紙にすべて返信していた!エンツォの死の直前に手紙を送った当時の子供達が40年近くを経てフェラーリ本社に招かれる

| フェラーリは排他的であり続ける一方、”ファミリー”に対しては献身的だ |

当時夢見たF1マシン、そしてフェラーリのロードカーと対面を果たす

さて、毎年このクリスマスシーズンになると各自動車メーカーが公開するのが「ほっこりするいい話」。

「親と子」「夢」「あこがれ」などをテーマにしたものが多いように思いますが、今回フェラーリが公開したのは「夢」をテーマにした心温まる話です。

フェラーリによると、フェラーリは創業以来75周年の歴史において様々なアーカイブを保有しており、写真や文献、トロフィーなどの記念品に混じって大切に保管されているのが「ファンからの手紙」。

とくにフェラーリ創業者、エンツォ・フェラーリ宛の手紙は年代別に整理されているそうですが、エンツォ・フェラーリはこれらすべての手紙に返信していたといい、伝え聞くエキセントリックな性格とは異なる一面も持っていたようです。

【動画】やるやんランボルギーニ!息子のためにアヴェンタドールのレプリカを作った父親に本物のアヴェンタドールを提供。息子は大喜び

| まさかランボルギーニがこういった対応に出るとは | さて、ランボルギーニが毎年公開するクリスマスネタ。昨年はランボルギーニを愛する少年にプレゼントをしたり、 ランボルギーニ・ウルスにてクリスマスマ ...

続きを見る

フェラーリは「ファミリー」を重要視

なお、フェラーリの世界というのはちょっと入りにくいようにも思うものの、一旦入ってしまうとフェラーリは(そういった人々を)ファミリーとして親身に扱う傾向があり、それはフェラーリのこれまでのレーシングドライバーへの対応を見てもわかるかもしれません(事故にて障害が残ったドライバーに対しても手厚い保護を行うと聞く)。

一方で「宮廷の反乱」のように、いかにエンツォ・フェラーリに近いものであっても、エンツォ・フェラーリに反旗を翻したり裏切り行為を行ったものに対しては徹底して排除を行うという態度も取ったようですが、それはそれで「愛情の裏返し」だと受け取ることもできるかもしれませんね。

実際のところ、エンツォ・フェラーリは、自身宛に送られてくる、顧客やファン、求職者からの手紙の一通一通に目を通し、その内容はときに簡素であったりしたものの、タイプライターでわずか数行を打ったものであったとしても、必ず自筆にて署名を入れていたといいます。

F (7)

ちなみにエンツォ・フェラーリが愛用していたのは常に「紫の」インクであり、これは最近フェラーリとパートナーシップ契約を結んだモンブランから5,170円にて発売されていて、フェラーリファンであれば「入手すべき」必携アイテムかもしれません。

21

フェラーリとモンブランがコラボ!第一弾はエンツォシリーズ、「情熱を語ることはできない、それを生きることしかできない」も再現されているぞ
フェラーリとモンブランがコラボ!第一弾はエンツォシリーズ、「情熱を語ることはできない、それを生きることしかできない」も再現されているぞ

| エンツォ・フェラーリは万年筆のインクに「パープル」のみを用いていたそうだ | ボールペンには誕生日やレースで優勝した日が彫り込まれるなど、フェラーリの歴史が凝縮されている さて、先日は「アパレルを ...

続きを見る

さらにエンツォ・フェラーリは、そういった人々に返信する際、写真や(フェラーリの)ステッカー、クルマのパンフレットなどを同封することもあったといいますが、これは「購入資格のないものを切り捨てる一方」、いかに「将来のフェラーリを支えるファンを育成するか」に注力していたかを示す事実だとも言えそうです(鉛筆一本からでも購入でき、フェラーリへの愛を養ってゆくというフェラーリストアの思想もここから来ているのかもしれない)。

15歳で退学し、無一文からポルシェコレクターとなった男。ポルシェに招待され工場を訪問

| ポルシェも認めたポルシェ・コレクター、マグナス・ウォーカーがポルシェを訪問 | マグナス・ウォーカー氏がはじめてポルシェのライプツィヒ工場を訪問し、ファンに囲まれて素晴らしいひとときを過ごした模様 ...

続きを見る

年現代のフェラーリは「当時、手紙を送ってくれた子どもたち」へと連絡を取る

そして今回、フェラーリはエンツォ・フェラーリが亡くなる3年前の1985年に送られてきた手紙2,000通を一通づつ確認し、その中から「夢を追い求めてエンツォ・フェラーリに手紙を書いた子どもたち」を探し出し、そしてフェラーリはそれら子どもたちに連絡を取り、「返信をもらえるよう」に依頼することに。

ただし連絡を取ると言っても当時の手紙に記された住所に書面を送る以外に方法はなく、しかしそのうち3名のみと連絡を取ることができたいといい、そうやって今回その3名がフェラーリ本社へと招待されています。

F (12)

そしてその3名は工場を見学したり・・・。

F (11)

様々な説明を受けたり・・・。

F (10)

ヒストリックカーも見学。

F (9)

そしてエンツォ・フェラーリっぽい出で立ちのピエロ・フェラーリ(エンツォ・フェラーリの息子)も登場!

F (8)

JUN
JUN
これは絶対意識してやってるな!

さらには当時、自身がエンツォ・フェラーリへと宛てた手紙と再開することに。

F (6)

いくつになっても夢は忘れてはならない

そこでそれぞれが子供の頃(おおよそ10歳未満)のころに書いた手紙を37年ぶりに目にすることになるわけですが・・・。

F (4)

いずれも劣らぬフェラーリへの情熱が語られています。

なお、この手紙の主は、自身が応援していた当時の「カーナンバー27」をつけたF1マシンと直接の対面を果たしています。

F (5)

今もこの3人が変わらぬ情熱を持ち続けているのか、それともどこかで失ってしまったのかはちょっと気になるところ。

F (2)

ただ、まばゆいばかりの子供の頃の自分と再開することで、なんらかの感情が湧き上がってきたことは間違いないものと思われます。

F (3)

その後はフェラーリのスタッフが運転するフェラーリ各モデルに乗ってドライブ。

F (13)

3名それぞれの笑顔が印象的ですが、手紙を書いたとき、まさか将来自分がフェラーリに招待してもらえるとは思っていなかったはずで、まさに「事実は小説より奇なり」。

F (14)

そしてフェラーリが最後に贈る言葉は「Keep On Dreaming」。

夢を追い続ければ、必ずそこにたどり着くという強いメッセージを感じるコンテンツだと思います。

F (1)

フェラーリが「37年前にエンツォ・フェラーリに手紙を送った」少年たちを探し出し、マラネロに招待する動画はこちら

あわせて読みたい、フェラーリ関連投稿

フェラーリがピニンファリーナ・デザインを振り返る。1951年から60年以上にわたる協業の歴史の中でとくに印象に残るモデル7選
フェラーリがピニンファリーナ・デザインを振り返る。1951年から60年以上にわたる協業の歴史の中でとくに印象に残るモデル7選

| すでにパートナーシップは解除されているといえど、現代のフェラーリが持つ要素の多くはピニンファリーナが作り上げたものだった | ときどき、フェラーリのデザインがピニンファリーナでなかったら、と考える ...

続きを見る

フェラーリ伝統の命名「ベルリネッタ」とは何なのか?初代ベルリネッタは1956年の250GTベルリネッタ、その後のベルリネッタを見てみよう
フェラーリ伝統の命名「ベルリネッタ」とは何なのか?初代ベルリネッタは1956年の250GTベルリネッタ、その後のベルリネッタを見てみよう

| 「ベルリネッタ」とはフェラーリが最初に使用した名称ではないが、今やベルリネッタ=フェラーリでもある | 一部例外を除く「ベルリネッタ」単体、もしくは「GTB」として使用されることが多い さて、フェ ...

続きを見る

フェラーリ
なぜV12エンジンはフェラーリにとってDNAそのものなのか?V12エンジンのルーツ、変遷、F1での終焉、そして現在、さらにはその未来

| やはりV12エンジン搭載フェラーリはどこかで手に入れておかねばならないだろう | ひとくちにフェラーリのV12といえど、様々な世代や形式がある さて、フェラーリがそのDNAともいえる「V12」エン ...

続きを見る

参照:The Official Ferrari Magazine, Ferrari(Facebook)

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

->フェラーリ
-, , ,