| フェラーリ 250GT SWB カリフォルニア・スパイダーは一人の男の「あったらいいな」から始まった |
それが今では時価20億円以上の価値を誇るクラシックカーに
さて、1962年の公道レース、タルガ・フローリオで3位に入賞したという1960年製フェラーリ250GT SWB カリフォルニア・スパイダーがRMサザビーズ開催のオークションへと登場予定。
フェラーリ250GT SWB カリフォルニア・スパイダーは56台のみが製造されており(1960年生産だと18台のみ)、この個体は2016年にレストアされた後、2017年にフェラーリ70周年記念カヴァルケードクラシックに参加したという経歴を持っており、予想落札価格は出されていないものの、モータースポーツにおける入賞記録や、フェラーリ公式イベント等への参加履歴を持つということから「驚くような」価格で落札されることになりそうです。
なお、この個体はフェラーリのクラシックカー部門である「フェラーリ クラシケ」によって認定がなされ、マッチングナンバーのエンジン、ギアボックス、リアアクスルを備えるという点でも非常に望ましい一台となっており、めったに市場に出回らない250GT SWB カリフォルニア・スパイダーの価値をさらに高めることとなっています。
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フェラーリ 250GT SWB カリフォルニア・スパイダーは米国ディーラーの要望によって作られる
まずはこの「フェラーリ 250GT SWB カリフォルニア・スパイダー」について。
フェラーリは「250GT」プラットフォームにて、ツール・ド・フランスはじめモータースポーツにおける大きな成功を収めていますが、1957年、1人の男がさらにその限界を押し広げることに。
この男、ジョン・ヴォン・ニューマンは、カリフォルニアを拠点とする輸入業者、そして地元のスポーツカークラブの共同創設者であり、西海岸にてフェラーリの販売代理店を営んでいましたが、「フェラーリの伝統に従い」サーキットでレース走った後、自身で運転して自宅まで帰ることができるというデュアルユースが可能なオープンフェラーリがあれば売れるだろう、と思いつきます。
そして北米におけるフェラーリの輸入業者、ルイジ・チネッティはこのアイデアを支持し、フェラーリ本社と協議することによって生まれたのがこの250GT SWB カリフォルニア・スパイダーだというわけですが、つまり一人の男の考えた「あったらいいな」が実際に製品化されたというわけですね。
なお、同時期にはフェラーリ250GTカブリオレといったモデルも存在していたものの、こちらはややソフトな性格を持っていて、しかしこの250GT SWB カリフォルニア・スパイダーはモータースポーツに直結する250GTベルリネッタのオープン版とも言える性質を持ち、いわばこの2車は同じオープンモデルといえども「似て非なるクルマ」。
ボディワークはスカリエッティによるもので、当初フェラーリは2,600mmのホイールベースを持つロングホイールベースシャシーにて(初期の)カリフォルニアスパイダーを製造しており、1959年にセブリングでクラス優勝、その数か月後にはル・マン24時間レースを5位でフィニッシュするという素晴らしい成績を収めます。
最終的に50台のカリフォルニアスパイダーがロングホイールベースシャシーで製造された後、フェラーリは2,400 mmのショートホイールベースプラットフォームを導入することになりますが、このショートホイールベース=SWBバージョンは1960年のジュネーブサロンで発表され、幅広なトレッド、コニ製可変テレスコピックショックアブソーバー、4輪ディスクブレーキ、最新のV12エンジン等の進化を特徴としており、なによりショートホイールベースによって高い戦闘力を誇ります。
このフェラーリ 250GT SWBカリフォルニアスパイダーはすぐに人気モデルの仲間入りを果たし、ジェームズ・コバーン、ロジェ・ヴァディム、アガ・カーンなどのセレブに愛され、最終的には56台が生産されたという記録が残ります。
SWBカリフォルニアスパイダーは「1950年代のスタイリング要素と1960年代のパフォーマンスの進歩を巧みに組み合わせた、これまでに製造された最も望ましいフェラーリの1つ」だとも評価されており、一度オークションに登場すれば「とんでもない価格で」落札されることでもよく知られていますね。
そしてこの個体は「2番目に製造されたSWBカリフォルニアスパイダー」「25台の工場製ハードトップで出荷されたうちの1台」「サイドベントなしのボディを持つ3台のうちの1台」、「Tipo128 Fエンジンを搭載した2台のうちの1台」という希少性を持ち、その価値は計り知れない、ということがわかります。
このフェラーリ 250GT SWBカリフォルニアスパイダーはこんな経歴を持っている
このフェラーリ 250GT SWBカリフォルニアスパイダーは1960年8月に組み立てが完了し、トリノを拠点とするディーラー、ガレージ・フォンタネッラ & Co.を通じてロバート・フジナへと納入され、その後同氏はこのクルマを1960年のトリノモーターショーにて展示するためにフェラーリに貸し出したと紹介されています。
その後まもなく、250GT SWBカリフォルニアスパイダーは2人目の所有者であるトリエステ在住のアレッサンドロ・テルニに売却され、そこでライトブルーメタリックへとリペイントされることになりますが、1962年5月のタルガ・フローリオを走るためにロバート・フジナとグイド・デ・ボニスにクルマを貸し出し、そこで3位という素晴らしい成果を収めることに。
参考までに、いずれのホイールベース(ロングまたはショート)であっても、タルガ・フローリオを走った唯一のフェラーリ 250GT カリフォルニアスパイダーがこの個体なのだそう。
そしてさらに2か月後、アレッサンドロ・テルニは250GT SWBカリフォルニアスパイダーをトリノのカルロ・モラリアに売却し、しかし彼はクルマを5か月間しか所有せず、すぐさまグイド・デ・ボニスに売却することになりますがが、1963年3月、250GT SWBカリフォルニアスパイダーは再び所有者を変え、スペインのフェリックス・マヌエル・コルミン・ビラへと売却されることに。
このように短期間で所有者を多数変えてきた250GT SWBカリフォルニアスパイダーですが、1963年末にはスイスのボブ・グロスマンの手にわたり、ボブ・グロスマンは米国へとこの250GT SWBカリフォルニアスパイダーを輸入した後にSCCAレースを戦ったという記録が残ります。
その後は1982年初頭にかけ4人のオーナーの間を渡り歩き、その過程で「ロッソ外装、タン内装」というフェラーリらしい仕様へと変更され、1983年にこの250GT SWBカリフォルニアスパイダーを購入したのがロバート・パネラ。
ロバート・パネラは、この250GT SWBカリフォルニアスパイダーをレストアし、ヘッドライトにカバーを取り付けるなどの改造を施すことになりますが、1984年8月には、カーメルバレーにあるランチョカニャーダゴルフクラブにて開催されたフェラーリオーナーズクラブコンクールデレガンスへと出展し、その10年後にもFCAインターナショナルコンクールデレガンスにて公開しています。
1996年7月、250GT SWBカリフォルニアスパイダーはブラジル在住のカルロス・モンテヴェルデに渡り、1年後にはアーティスト兼コレクターのエヴェレット・アントン "トニー" シンガーへと売却。
エヴェレット・アントン "トニー" シンガーは(それまで紛失されていた)オリジナルのハードトップを入手して1999年6月にはグリニッジコンクールデレガンスへと出品することになりますが、そこでは「最高のイタリアのスポーツカー」なる賞を受賞します。
2002年2月はスイスのコレクターがこのクルマを入手し、ルガーノ-アグノ空港で開催されたロリス・ケッセル・フェラーリ・デイズで車を展示するなどしつつその後9年間所有することになり、2012年1月には現オーナーへと売却することに。
現オーナーはその1年後にフェラーリクラシケの認定を取得するため手続きを開始することになり、その際にはカロッツェリア・エジディオ・ブランドリとザナシ・アンド・カンパニーにフルレストア(ヘッドライトを元の状態に戻し、ボディカラーとインテリアをもとに戻すをネロとベージュに更新)を依頼し、ロンドンのジョー・マカリにすべてのメカニカル部分のリビルドを任せます。
レストアが完成したのはその3年後の2016年で、この際にはフェラーリクラシケに認定され、腫れてレッドブックを取得していますが、その後2017年5月にトスカーナで開催されたフェラーリ70周年カヴァルケードクラシック、2019年にローマで開催されたフェラーリ・カヴァルケードクラシックなど、いくつかのヨーロッパのイベントへと顔を出しています。※このほか、2018年6月にシャトーコッペで開催されたスイスコンクールデレガンス、2023年のレトロモビルにも出品されている
現在の状態は1962年のタルガ・フローリオで3位に入賞したという、その歴史における「最も輝かしい瞬間」を再現しており、ライトブルーメタリックのボディにロッソのインテリア、そしてボルトオンロールバー、レースナンバー「82」のペイントも。
そのほか15インチのボラーニ製ワイヤーホイール、純正ソフトトップとハードトップがそれぞれ別々のケースに収納され車両に付属する、とのこと。
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