| さすがのボクもこのクルマの存在をまったく知らなかった |
世にも珍しいV16エンジン搭載車、そしてもう二度と作られることがない悲運のスーパーカー
さて、ぼくの考える「もっともスーパーカーらしいスーパーカー」、チゼタ(チゼータ)V16TがRMサザビーズ開催のオークションへと登場予定(ただし、後述のとおり、ただのチゼタV16Tではない)。
このチゼータV16Tは非常に興味深い誕生秘話を持っており、まずチゼータを立ち上げたのは、ランボルギーニのテストドライバー兼開発エンジニアであったクラウディオ・ザンポッリ氏。
同氏は、1980年代にロサンゼルスに移り住み、エキゾチックカーのサービスを行うビジネスを始めて成功を収めますが、その後に独自のスーパーカーを作ることを決意します。
なぜか音楽プロデューサーがここに登場
そしてクラウディオ・ザンポッリ氏が手を組んだのが(修理工場にてクラウディオ・ザンポッリ氏と出会った)音楽プロデューサー兼作曲家のジョルジオ・モロダー氏で、「それまでに見たことのないようなマシンを作る」ために行動を開始したわけですね。
なお、このジョルジオ・モロダー氏は「ディスコミュージックの父」としても知られ、つまりは敏腕プロデューサーでもあり(アカデミー賞3回、グラミー賞4回を受賞している)、新しくスーパーカーを売り出すには「話題性」が必要だと考えることに。
そこでランボルギーニ・ミウラのエンジン・レイアウトにヒントを得て、横置きの6.0リッターV型16気筒と5速マニュアル・ギアボックスを搭載することになりますが、ボディワークは、ランボルギーニ・ミウラ/カウンタック、ランチア・ストラトスなど数多くの名車をデザインした伝説のデザイナー、マルチェロ・ガンディーニ氏。
もともとは「ディアブロ」に採用されるはずだったデザインを再現
ここで特筆すべきは、マルチェロ・ガンディーニ氏がチゼタV16Tに「ディアブロ用として用意していたデザイン」を与えたこと。
その経緯としては、当時ランボルギーニはディアブロの開発を進めており、デザインをマルチェロ・ガンディーニ氏に依頼したものの、その時期の親会社であったクライスラーは安全性そしてアメリカ市場の嗜好を理由に、マルチェロ・ガンディーニ氏が出してきたデザインを大きく修正してしまいます。
ただ、契約時に「クライスラーによるデザイン修正」もその条項に含まれていたためにマルチェロ・ガンディーニ氏はこれをしぶしぶ受け入れざるを得ず、しかしどうしてももともとのデザインを再現したかったのか、そのために「当初考えていたディアブロ用デザイン」をチゼタV16Tへと(アレンジの上で)反映させた、と言われているわけですね。
ちなみにマルチェロ・ガンディーニ氏には同様の例がほかにもあるようで、そのために一時期評判を落としたこともある、とも言われます。
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ただし両者は決別することに
ただ、クラウディオ・ザンポッリ氏とジョルジオ・モロダー氏との関係は最初のプロトタイプが完成した後、「プロジェクトの遅れ」に対する不満から解消されることになったといい、ここでジョルジオ・モロダー氏が離脱。
そして当初は「チゼタ・モロダー」というブランド名を掲げていたものの、実際に生産されたクルマに付与されたのは「チゼタ」という名称を採用している理由がここにあります(チゼタとは、クラウディオ・ザンポッリ氏のイニシャルであるCZのイタリア語読み)。
最終的には、生産上の問題や車の複雑さから非常に高価になってしまい(当時、新車価格で7000万円くらい)、9台(プロトタイプを加えて10台)の量産車が作られただけに終わりますが、バブル華やかりしころだった日本には2台が輸入されている、とも言われてますね。
車体構造は交換チューブラーフレームで、上述のとおりV16エンジンを横に置くという例を見ないレイアウトを持っており、そのために車幅はずいぶん大きくなってしまい全長4443ミリ、全幅2060ミリ、全高1242ミリへ。
エンジン出力は540馬力、0-100キロ加速は4.4秒、最高時速は328キロという「(発表された)1989年当時としては」相当に高いスペックを持っています。
今回販売されるのはチゼタV16Tの「初期プロトタイプ」
そして今回オークションにかけられるのは上述の「最初に製造されたプロトタイプ」。
つまりシャシーナンバー001、そして「チゼタ・モロダー」のエンブレムがつく唯一の個体であり、1988年12月5日にロサンゼルスで開催されたイベントにて初めて公開された車両そのものです。
なお、このイベントではジェイ・レノが司会を務め、ジョルジオ・モロダーはこのイベントのために "A Car is Born "というタイトルのオリジナルソングを作曲したほど。
さらにこの「シャシーナンバー001」は1989年のロサンゼルスモーターショーとジュネーブモーターショーに出展されるなど相次ぎ大舞台に登場し、その名を世界に知らしめることになるものの、上で述べたとおり両者はこのあと袂を分かってしまいます。
この”プロトタイプ”チゼタ・モロダーV16Tのボディカラーはパールホワイト、インテリアはレッドレザーという豪華な仕様を持ち、完全に機能するコンポーネントを保有。
一方で市販モデルのチゼタV16Tとは微妙な違いがあり、エクステリアでは、サイドのエアインテークが大幅に拡大されてストレーキが採用されているほか、ボディ下部の斜めのラインがリアバンパーのデザインにつながり、ウインカーやフォグランプ、サイドミラーが異なるといった点も見られます。
”チゼタ・モロダー”プロトタイプのインテリアは市販モデルとは完全に異なる
一方でこのチゼタ・モロダーV16Tのインテリアは市販モデルとは全く異なるといい、ダッシュボード、センタートンネル、ステアリングホイール、ドアパネル、シートなどが市販のV16Tとは「別モノ」。
このプロトタイプでは直線が多く用いられているようですが、市販モデルのチゼタV16Tではもっと「曲線」が用いられているようにも思います。
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インテリアにはジョルジオ・モロダー氏、クラウディオ・ザンポッリ氏両者のサイン、そして発表年、さらにはシリアル001。
1番目の車体という希少性のみならず、二度と実現しなかった両者のサイン、そして数々のイベントに登場した個体ということを鑑みるに、この個体の価値は「計り知れない」ということにもなりそうですね。
メーターは300キロスケール(実際にはもっと出そうには思う)。
その後チゼタ・モロダーV16Tはレストアされ現在に至る
ジョルジオ・モロダー氏は、ショーでの使用が終わった後もこの車を所有し保管していたものの、その後ジェイ・レノの推薦により、シャーシ001はカリフォルニア州スコッツバレーのブルース・カネパのもとに送られ、フルレストアが実施されることになりますが、カネパでは(このクルマが実際に走行できる)機能的なプロトタイプであるにもかかわらず、走行に際しては改善すべき点があることを発見し、燃料タンクの周りに遮熱材を追加したり、各部のメカニズムの調整を行ったといいます。
その後はカネパのチームによって路上でのテストが行われ、レストアによって当時よりも信頼性が高いクルマへと生まれ変わったということになりますね。
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チゼタV16Tはめったに見ることができない希少なクルマであり、戦後に生産された数少ない16気筒車の一つで、驚異的なパフォーマンス、美しいデザイン、魅力的な歴史、そして最高のエクスクルーシブ性を備えるというスーパーカー史上ほかに例を見ない例でもあり、しかもこのチゼタ・モロダーV16Tは「もっとも希少で価値のあるチゼタV16T」。
しかもこれまでの所有者は「プロジェクトの初期参画者」であるジョルジオ・モロダー氏であり、レーシングカーのスペシャリスト、カネパによって機能が担保されているというこれ以上ないコレクターズアイテムだといえそうです。
参考までに、もうひとりのプロジェクト初期メンバーであるクラウディオ・ザンポッリ氏は昨年なくなっていますが、拠点をカリフォルニア州ファウンテンバレーに移し、数年前には「オーダーがあれば今でも新車のチゼタV16Tを作ることができる」と語っていたばかり。
残念ながらビジネスとしてはチゼタは失敗だったかもしれませんが、「自分が設計した高級スーパーカーを作る」というクラウディオ・ザンポッリ氏の夢を達成したという意味において、このチゼタV16Tは成功の証であったと考えて良さそうですね。
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