| ボクは多くの人とは馴染めず、距離を置いて生きてきた。きっとこれからもそうなるだろう |
ただし長い人生を過ごすうち、わずかながらも同じような考え方をする人と知り合うこともできたのは嬉しいことだ
さて、人間にはいろいろなタイプの人がいて、ある人は「人と同じ時に同じことをしないと、自分が世間から疎外されているようだ」と感じるかもしれません。
そしてまたある人は「人と同じ時に、同じことをするのが一番嫌だ」と考えるかもしれません。
もちろんぼくは、そしてここを見に来てくれている人の多くは後者だと思います。
なお、ぼくは「人はそれぞれの考え方を持って生きている」と認識しているので、その人が楽しければ、そしてその人がそれでよければそれで問題はないと考えているので、自分の考え方を声高に主張する気も、人に押し付ける気もないのですが、ときどき、自分の考え方以外は許容できない、という人がいるのもまた事実です。
ボクはただ単に、自分の好きなように生きたい
ぼくは好き好んで人と違うことをしたいというわけではないのですが、どうやら自分が好きなことをしていると、それは人とは異なる方法であることが多いもよう。
そして一部の人々は(子供の頃から)ぼくに他の人と同じであることを求め続けていて、それは学校の先生であったり、付き合っていた女性であったり、会社の上司だったことも。
たとえば学校だと、「20×18」を計算するとき、20に18を掛けてもいいのですが、20に20を掛けてそこから10%を差し引いてもいいんじゃないかと思うんですよね。
結果は同じ360ですが、ぼくは後者の考え方をすることが多く、しかし学校では「過程」を重視するので、ぼくの考え方は受け入れられないということに。
付き合ってきた女性の場合だと、「ナントカちゃんの彼氏はこういったことをしてくれるのに、なんでできないの・・・」ということになったりするのですが、ぼくはナントカちゃんの彼氏ではないので、当然そんなことはできないわけですね。
会社であれば、結果よりも過程を重視する人もいたりして、同じ結果を出すのに、ぼくがそれまでにない、新しい方法を考えて動いたりすると「NG」となったりします。
ある種の人は、自分と他人と違うということが理解できない
そこでぼくが思ったのが、「ある種の人は、他人と自分とが違うということができず、同じだと考えている」という結論に達していますが、そういった人々は、たとえばお酒が好きだったりすると、お酒が飲めないぼくに「いいから飲んでみろよ。美味しいから。飲み慣れてないだけだよ」と言ったりするわけですね。
これはたとえばアレルギーの人に「食わず嫌い」だと言っているのと同じことであり、単に好き嫌いのみで語ることはできません。
しかしそれでも、そういった人々は「自分が正しい」と信じて疑わず、自分と異なる考え方を持つ人間を許容できず、さらには自分と同じ行動へと従わせようとしたりします。
当然ながらぼくはこういった行動が非常に苦手であり、そしてこういった人には何を言っても「無駄」だと理解しているので、相手にしない、もしくはその場を離れることになるのですが、そういった行動がぼく自身の孤立を深めることはじゅうじゅう承知。
ただ、ぼくは「人と同じ時に、人と同じことをするのが嫌い」なので孤立していてもまったく問題はないとも考えており、それもまた多くの人が理解できない事実であるもよう。
つまりは「一人でいて寂しくないの?」「友達と一緒にいたほうが楽しいのに」とぼくに言うような人々も少なくはなく、なぜ、こういった人たちは「自分が好きなことと、自分が嫌なことを、他人も同じように感じるはずだ」と思えるのか、むしろそのほうが不思議です。※すべての人々が同じ嗜好を持っていたとすると、そもそも世の中が成り立たない
もちろんぼくは様々なことについて、「事情があるから」そうしているわけですが、ほとんどの人は事情を考慮せずに、自分だけのモノサシで「こうしたらいいのに」と自分の価値観を押し付けたりすることも多く、しかしそれは、その人がいかに「自分の経験が少なく、考え方が狭量であるか」を示している事例なのかも。
逆にぼくは「すべての人は、ぼくとは異なるし、他のすべての人とも異なる独立した人格であり、よって他人の考え方や行動についてとやかく言いたくはなく、ここの考え方、そして多様性について尊重したいと考えています。
そして重要なのは、ぼくは自分が正しいと考えているわけではなく、「多くの人から見ると間違ったことをしている」ことを認識していて、しかしぼくという人間が存続するためには他人と同調することはできず、それがぼくの存在意義なのだということに。
加えて、他人の意見を聞いたとして、それで失敗しても他人が責任を取ってくれるわけではなく、であれば最初から自分の思い通りにやったほうが失敗したときにも納得でき、成功したときには自信につながるのかもしれません。
つまり、結局人間は最終的には「自分だけが頼りである」と考えているわけですね(もちろんこれに異論があることも承知している)。
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