■駄文(日々考えること)

あのとき、ボクと猫とは間違いなく一つの命を分けあっていた。ボクと猫が死に捉えられたこと、そしてボクが経験した不思議な物語

あのとき、ボクと猫とは間違いなく一つの命を分けあっていた。ボクと猫が死に捉えられたこと、そしてボクが経験した不思議な物語

| 世の中には、科学では解明できない不思議な出来事があると信じている |

ボクらは、いつ死んでもいいように、その日を精一杯生きなくてはならない |

さて、今日もまた、ぼくが少し前に体験した不思議な話をしたいと思います。

これはぼくと一匹の猫の物語で、その猫はもうずっと前に死んでしまったのですが、その死の前の一年間ほど、ぼくと猫との間に不思議な交流があったわけですね。

ぼくはこれまでにもたくさんの猫と暮らしてきましたが、その猫は飛び抜けて頭がよく、そしていちばんやさしい心を持っていたこともあり、今でも思い出さない日はありません。

よく、自身の飼い猫を「うちの子は」と表現することがありますが、むしろその猫はぼくのことを自分の子どものように捉えていて、何かとぼくの世話を焼いてくれ、たとえばぼくが夜寝ていて、ふとんをはだけていれば、口で布団をくわえてひっぱり、ぼくの上に布団をかけてくれるような猫だったのです。

そして家の中で何かをなくした時、その猫に頼んでおくと、必ずそれを見つけて持ってきてくれるような賢い猫でした。

生き物である以上、必ず寿命はやってくる

その猫は14年をぼくとともに生き、しかし生まれは不明で、もともとはいじめられていたところを、ぼくが引き取ってきた捨て猫です。

猫を拾ったとき、ぼくは証券会社に務めていて、しかしその寮でこっそりと飼い続け、さらにその後6回の引っ越しを経験するも、ずっと猫とぼくは一緒に過ごしています。

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そして14歳になろうかというとき、猫の体調が優れない日が続いたいので動物病院で診てもらったところ、猫の宿命とも言える「腎臓病」が判明することに。

こうなるともうあとは死に向かって進むしかなく、しかしぼくはその事実に耐えることができなかったわけですね。

ぼくは無神論者で、神頼みはもちろん、人に何かを頼んだり頼ったりすることすらない身ではありますが、そのときばかりは神に祈ったことを思い出します。

もしこの世に神様がいるのなら、猫の命を助けてください。代わりに自分の命を捧げてもいい。

どうやら、この世には神が存在しているのかも

しかしもちろん神様はこの世に存在しないので猫は日に日に弱ってゆくのですが、ある日ふと異変が発生。

その異変とはぼくに生じたもので、食欲がなくなったり体がだるかったり体重が減ったりということで、その後(毎年受けている)健康診断を受けると腎臓に関する数値が悪化しており、つまりはぼくも腎臓病に。

ただ、あることにもふと気づき、それは猫の体調がここ最近、比較的優れている、ということ。

あいかわらず猫の体重は減り続けていますが、少し前とは異なり、元気に走ったり、食欲が旺盛になっていて、もしかするとこのまま回復するんじゃないか、と思ったほどです。

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その一方、ぼくの体調はどんどん悪化して体重は最終的に45kgまで減ることになりますが、様々な状況を鑑みるに、猫の腎臓病がぼくに転移したとも考えられるわけですね。

どう考えてもそんなことは起こり得るはずはないのですが、突如ぼくの腎臓が悪くなり、猫の体調が回復しつつあるとういのは「そういうこと」なのかもしれません。

これはどうやら神様がぼくの願いを聞き入れ、ぼくの命とひきかえに猫を助けてくれるのかもしれないという淡い期待を抱くものの、動物病院に連れて行って検査を受けてみても、やはり(猫の)腎臓に関する数値は一向に改善しておらず、どうやら猫の死を免れることは難しそう。

ただ、獣医も驚くほど猫は元気に活動していて、しかしぼくはどんどん弱っていて、やはり猫とぼくとの体調とにはなんらかの関連性があるようです。

もしかするとこのままぼくが猫の腎臓病を引き取って死んでしまうのかもれないし、あるいは猫が死んでしまうにしても、生きている間はぼくがその苦しみを肩代わりできるのかもしれない。

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ぼくは、これほどまでに死を身近に感じたことはない

ぼくが死を意識したのはこのときが生まれてはじめてですが、すこし怖くはあったものの、ぼくの命を差し出すことで猫が助かるのであれば、それも悪くないと考えたのもまた事実。

そうなるとあとは、ぼく自身、もしくは猫の限られた時間をどう過ごすかということになり、一日一日を大事に生きることに決め、いつ死んでも悔いが残らないように日々を過ごすことに。

ただ、毎日が「ぼくが死ぬか猫が死ぬか」という恐怖との戦いであり、朝に目が覚めると自分が生きていて、猫が生きていることを確認し、はじめて安堵するという日がしばらく続くことになります。

つまり、死はつねにぼくの傍にあり、ぼくは死を日常的に意識しながら生きていた時期があって、ぼくにとって「死」とは(今であっても)比較的身近にあるといっていいかもしれません(この経験以来、死に対する考え方が大きく変わったように思う。これ以降、自身の死や他人の死をあまり恐れなくなった。ぼくらは常に死と隣合わせに生きていて、それは日常のひとつでもあり、些細なことで死へと足を踏み入れる)。

そうやって過ごすうち、ぼくも猫もどんどん体重が減ってしまい、そしてそんなある日、猫がぼくの枕元に立って「明日、死ぬことになった」と告げるわけですね。

ぼくはびっくりして飛び起き、そして猫がまだ生きているのを見て胸をなでおろすのですが、猫の痩せさらばえた姿を見るにこれ以上「頑張れ」ということもできず、ただ抱きしめて「今までありがとう。天国に行けば、健康を取り戻して元気に暮らせるかもしれないね」と言ったのが精一杯です。

そしてその日の夜、眠りについて数時間後、すっと(これまでずっと体の中にあり、寝ていても不快だった)気持ち悪さが霧散して体が軽くなったという印象があり、そこでぼくは「猫が死んだ」と直感的に悟るのですが、果たして猫は眠るようにぼくの隣で息を引き取っていた、というのがこの不思議な話の一部始終です。

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猫がぼくに教えてくれた大事なこと

この猫がぼくに対して「我が子のように」接していたというのは上で述べたとおりですが、実際にぼくは多くのことをこの猫から学んでいます。

まずは、なにごとも見かけで判断しないこと。

この猫はいわゆる「サビ猫」と呼ばれる柄で、最も人気がない柄だと言われていますが、それが理由で子猫の頃にいじめられていたのかもしれません。

そしてぼくが猫を引き取ってしばらくしたのち、ぼくはちょっとした事件に巻き込まれて顔面に大きな損傷を負うのですが、冗談抜きでブラックジャックのようになってしまい(今は回復してほとんど傷はわからない)、そのときは多くの知り合いが気味悪がったり、見知らぬ他人でもぼくを避けていたものの、猫だけは普通に接してくれたことを覚えています。

この時思ったのは、「中身が同じでも、外観が変わってしまえば、人はその反応を大きく変えてしまうが、猫は外観で人を判断せず、中身を見ているので態度を変えない」ということ。

そういった経験をしたこともあり、ぼくはなにごとも「上辺」だけではなく、中身を見るようにしています(でないと、猫に怒られそうだから)。

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そして次は、「生き物は必ず死ぬ」ということ。

生命がある以上、その生命が尽きることはどうやっても避けることができず、動物であっても、ぼくら人間であっても必ず死んでしまうわけですね。

そして死ぬときや場所を選ぶ(知る)ことができればそれは幸運で、多くの人や動物は思いもよらぬときや、想像していなかった場所で死に捉えられるのかもしれません。

そういったとき、自分自身はもちろん、猫が突然死んでしまったとしても悔いが残らないよう、できるかぎりのことはやるようにし、あとで「あのとき、ああしておけば」とならないようにぼくは生きるようにしています(これはぼく自身が「明日をもしれぬ身」を経験したからでもある)。※単に、猫に呼ばれたらすぐに行く、という簡単なことでもいい

これはつまり、死ぬことが避けられないのならば、死ぬまでの時間をいかにたいせつに過ごすかが重要であるということを意味していて、猫が死んだとしても、悲しむよりは「ありがとう」と言えるように生きたい、ということですね(悲しいというのは、猫を失った自分自身の感情であり、猫側に立った感情ではない。猫のことを考えるのであれば、悲しむよりも先にやるべきことがあると思う)。

ぼくはあれからも何匹か猫の死を経験していますが、いずれの場合も(もちろん悲しいことは事実ですが)猫に対して「ありがとう」と言えるよう猫に接してきたと自負しており、これからもそうありたいと考えています。

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そして最後は、「もしかしたら神がいるのかもしれない」ということ。

様々な現象、たとえばぼくの体調が悪化したのは尋常ならざるストレスのせいだったのかもしれませんし、猫の体調が部分的に回復したのも、なんらかの説明がつく事象だったのかも。

今でもぼくはこの不思議な出来ごとについては半信半疑のままですが、実際どうだったのかについては、ぼくが死んでしまい、もし天国に行けたときにわかるのかもしれません。

そしてもし本当に神様がいたのだとしたら、そして目にすることができたのであれば、そのときは神様にも「ありがとう」と言いたいと思います。

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