| レクサスLFAは発売当時、「多くの人が懐疑的な意見を示した」クルマであった |
しかしその後、トップギアで絶賛されたことで流れが変わる
さて、レクサスLFAはもはや「伝説」の域にまで神格化されたスーパーカーではありますが、発売当初「販売に苦労した」というのは(今では信じられないかもしれませんが)有名な話。
レクサスLFAは車体構造、足回り、さらにはエンジンに至るまでが専用に設計された車であり、開発に莫大な費用が投じられた、トヨタのエンジニアによる「情熱の塊」のようなクルマではあったものの、2010年の発売当初には懐疑的な反応が多く、しかし今ではその評価が一転し、誰もが後継モデルの登場を待ち望むスポーツカーとして認識されています。
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レクサスLFAのアイデアは「飲みの席」から生まれる
レクサスLFA誕生のきっかけは「飲み屋での会話」がであったとされ、当時トヨタの開発センター企画部に所属していた棚橋晴彦氏が、開発センターの管理者である服部哲夫氏に「スポーツカーを作りたい」と直訴したことに端を発しているというのが通説です。
棚橋晴彦氏が「自由にできるとしたら、どんなクルマを作りたいか」と問われ、そこで「スポーツカー」という回答が出てきたのだとも言われていますが、とにかくこの「飲みの場での話」が現実に向けて動き出し、テストドライバーとして成瀬弘氏が抜擢され、そこで成瀬弘氏がある人物の名を挙げることになったのだそう。
その人物とはトヨタ自動車創業者である豊田喜一郎の孫であり、当時トヨタの中国部門を統括していた豊田章男氏その人で、成瀬弘氏は「スポーツカーに対する情熱を持っている人物」として豊田章男氏を推薦した、と言われています。
かくして棚橋晴彦氏、成瀬弘氏、豊田章男氏の3人は世界中のスポーツカーを試乗し、「なぜ人々は特定のスーパーカーに惹かれるのか」を研究したそうですが、その結果「既存のスーパーカーと同じようなクルマを作るのではなく、レクサスブランド全体にポジティブな影響を与えるクルマを作るべきだ」という結論に至ることに。
これはトヨタにとっての英断としか言いようがなく、もしフェラーリやランボルギーニと同じく「ミドシップ」スーパーカーを作っていたならば、今のような名声は得られていなかったのかもしれません。
ただしレクサスLFAの開発は一筋縄とはゆかない
しかしながら当時のトヨタ社内ではこのプロジェクトに対して厳しい反対意見が相次いだとされ、マーケティング部門もエンジニアも「コストが高すぎる」という懸念を示し、しかし豊田章男氏は入念なプレゼンテーションを準備し、100人規模の会議でこう主張したといいます。
「私はただの部門マネージャーですが、これは価値のあるプロジェクトだと思います。」
結果、トヨタ経営陣は最終的にLFAの開発を承認することとなるものの、「生産台数は500台まで」という条件が付与されたといい、レクサスLFAの「限定500台」はここに由来するということになりますね。
レクサス LFAの開発責任者は棚橋晴彦氏で、2000年の最初の企画会議では、V6エンジンを搭載したコンバーチブル(オープンカー)が検討されていたものの、比較テストの結果では「V6エンジンでは不十分であり、クローズドボディ(クーペ)が理想的である」ことが判明します。※コンセプトカーとしてはオープンモデルも作られている
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そこで棚橋晴彦氏はヤマハと協力し、V6やV8エンジンの可能性を検討したものの、そこで訪れた転機が「2002年のF1参戦計画」そしてそれに伴い当時のトヨタ幹部(技術部門副社長)であった加藤伸一氏が「F1と同じV10エンジンを採用すべきだ」と提案したこと。
こうして開発された1LR-GUE V10エンジンは以下の通りの驚異的な性能を誇り、シャシーにはカーボンファイバー強化ポリマー(CFRP)が採用され、FAのボディの実に65%がカーボン素材で構成されることに(おそらくカーボンファイバーの使用もF1を意識してのことだと思われる。これにより、当初計画されていたアルミ製シャシーに比べて劇的に軽量化された)。
- 0.6秒で9,000回転まで吹け上がる
- V8サイズでありながらV6並みの軽さ
- 560馬力を発生
- 専用のデジタルレブカウンターを開発しなければならないほどの高回転性能(アナログメーターではそのレスポンスに対応できない)
なぜレクサスLFAは売れなかったのか
その発案からおよそ10年が経過し、2010年にようやくレクサスLFAが発売されることとなりますが、いざ売り出してみると思うように売れず、その理由は単に「性能に比較して割高であったから」。
実際のところ「当時、スポーツカーの最高傑作だとされていた」フェラーリ458イタリアの価格が2800万円、レクサスLFA同じ馬力を誇るランボルギーニ・ガヤルドの価格が2500万円であったのに対し、レクサスLFAは3750万円ものプライスタグを掲げており、さらにアメリカでは当時のコルベットZR1(レクサスLFAよりも100馬力近く高出力であった)の価格が1100万円くらいであったので、レクサスLFAはどう見ても割高。
そして「高級車ブランド」であった、つまりスーパーカーの実績を持たないレクサスが発売した「はじめてのスーパーカー」に対して多くの人が疑問を抱き、つまり「実績があるフェラーリやランボルギーニではなく、それらよりも高いお金を出して、高級車ブランドが初めて作ったスーパーカー」を買う理由を見出すことが難しかったわけですね。
しかしながら、その後まもなく英国トップギアがレクサスLFAを(2010年に)紹介し、ここでリチャード・ハモンドが(その価格の高さを指摘しつつも)レクサスLFAを絶賛し、ジェレミー・クラークソンもまた「最高のサウンドを持つクルマ」「今までに運転した中で最高のスポーツカー」と評することで ”レクサスLFAを取り巻く流れ” が一気に変わり(ジェレミー・クラークソンの評価は今に至るまで変わっていない)、ここから「価格を気にせずクルマを購入できる」富裕層がレクサスLFAを購入するようになり、今では新車価格の2倍以上、ニュルブルクリンク・パッケージでは3倍をゆうに超える価格にて取引されるに至っています。
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