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ブガッティ・ヴェイロンという“常識を超えた夢”を実現した人物──フェルディナント・ピエヒとは何者だったのか。けして限界を受け入れなかった男

ブガッティ・ヴェイロンという“常識を超えた夢”を実現した人物──フェルディナント・ピエヒとは何者だったのか。けして限界を受け入れなかった男

| 2005年当時、「1,000馬力」はまだ空想上の産物でしかなかった時代にヴェイロンを市販 |

限界を受け入れなかった男、それがフェルディナント・ピエヒである

自動車の技術が大きく進歩する時代(あるいは転換期)がこれまでにはいくつか存在し、2000年代初頭もそのひとつ。

この時期、自動車技術は大きな転換期を迎えようとしていましたが、その変革の中においても、ひとりの男の野望が世界の常識を覆すことになるとは、誰も予想できなかったかもしれません。

その男こそ、フェルディナント・カール・ピエヒ。

かつてフォルクスワーゲン・グループ会長として君臨し、自動車史に残る“究極のロードカー”、ブガッティ・ヴェイロン 16.4の誕生を導いた張本人です。

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技術への情熱に満ちた天才

1937年、(ポルシェ一族の一人として)オーストリア・ウィーンに生まれたフェルディナント・ピエヒは、幼い頃から機械に強い興味を示したとされ、チューリッヒで機械工学を学んだのち、ポルシェで伝説的な917の開発に携わり、その後アウディでは5気筒エンジン、TDI技術、クワトロ(四輪駆動)といった革新を次々に実現。

1993年にはVWのCEOに就任し、ヨーロッパ自動車業界における最も影響力のある人物のひとりとなりました。

新幹線の中で描かれた“夢”

1997年、フェルディナント。ピエヒは(日本を訪れた際に)東京から名古屋へ向かう新幹線の中で、あるアイデアを封筒の裏に描きだし、それがまさに18気筒エンジンという前代未聞の構想のルーツ。

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ブガッティがそのW16エンジンを「日本の新幹線の中で思いついた」当時から現代までを振り返る!「当時はそんな出力の市販者用エンジンの存在すら想像できなかった」
ブガッティがそのW16エンジンを「日本の新幹線の中で思いついた」当時から現代までを振り返る!「当時はそんな出力の市販車用エンジンの存在すら想像できなかった」

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これが後に、伝説のW16エンジンの原型となるわけですね。

彼のビジョンは明確で、「最高出力1,000馬力超、最高速400km/h超、それでいて優雅なグランドツアラーとしても成立するロードカー」。

この想像は、既存の車体設計では到底実現できない領域であり、ゼロからの挑戦が必要であることを意味します。

運命のブランド「ブガッティ」との出会い

当初、これを実現するブランドとしてベントレーやロールス・ロイスが候補に挙がっていましたが、1997年のイースター休暇中、息子グレゴールが「ブガッティ タイプ57 SC アトランティック」のモデルカーを欲しがったことが大きな転機に。※VW名義にてハイパーカーコンセプトを発表したこともあり、どのブランドからこれを登場させるかかなり迷っていたようだ

そこでフェルディナント・ピエヒは、ブガッティこそこのビジョンにふさわしいブランドだと直感し、そして1998年5月5日、フォルクスワーゲンは正式にブガッティの商標を取得することとなり、そこから夢の実現へと向けて具体的に動き出します。※フェルディナント・ピエヒはとにかく大排気量大パワーを好む傾向があったようで、ベントレーやランボルギーニの買収を直接指揮したのもフェルディナント・ピエヒであり’(ただしロールスロイスは買収に失敗)、上述の通りブガッティの商標取得も同氏の直接の意向である

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コンセプトモデルの連続発表

そこでフェルディナント・ピエヒは盟友ジョルジェット・ジウジアーロ(イタルデザイン)にコンセプト開発を依頼し、まず登場したのが18気筒エンジンを搭載したEB 118(1998年パリ)。

その後も以下の通り、続々とコンセプトモデルが発表されています。

  • EB 218(1999年ジュネーブ):ラグジュアリーサルーン
  • EB 18/3 シロン(1999年フランクフルト):初代「シロン」名義
  • EB 18/4 ヴェイロン(1999年東京):ついに生産型のベースが登場

このEB 18/4 ヴェイロンは、若きデザイナー、ヨゼフ・カバンが手がけ、ブガッティの未来を形にした瞬間であったと見られています。※その後、ヨゼフ・カバンはVW重役の”気に入らない”デザインを作成してしまい更迭される

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フォルクスワーゲン
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ブガッティ・ヴェイロン誕生──不可能を可能にしたクルマ

そして2000年、フェルディナント・ピエヒはついに「最高出力1,001PS、最高速400km/hを超える量産車をブガッティが造る」と正式に発表していますが、この「1,001」という半端な数字は「1,000馬力という(当時)非現実的であった数値に対し、より現実味をもたせるため」であったとも言われていますね。

ただ、このヴェイロンにおける本当の挑戦は、単なる数値の追求ではなかったとされ、フェルディナント・ピエヒが真の願ったのは「「朝にサーキットで400km/hを出し、夜は妻とオペラに出かけられる」 ──そんな優雅さと狂気の共存出会ったと言われます。

付け加えるならば、それは最新のブガッティーつまりトゥールビヨンーにもそれは受け継がれ、トゥールビヨンがディヘドラルドアを備えることにつき、ブガッティは「助手席から降りる、ドレスを着た御婦人が、変な格好になったり、氷の微笑のような状態にならないようにするためです」ともコメント。

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ブガッティ・トゥールビヨン
ブガッティ・トゥールビヨンの「上に開くドア」はデザイン的側面ではなく機能上の理由からだった。「あれは、ドレスを着た御婦人が降りるときに”変な格好”をしなくてすむようにです」

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2005年、ヴェイロン登場。そして伝説へ

かくして2005年、「ブガッティ・ヴェイロン 16.4」が驚愕のスペックをもってついに市販化され、これは当時”世界最速の市販車”であり、パフォーマンスとラグジュアリーを完璧に両立した“ハイパーカー”の原点として今なお多くの人に記憶されています。

  • 最高速度:407km/h
  • 0-100km/h加速:2.5秒
  • 出力:1,001PS

「唯一無二の存在であれ」──それがブガッティ

フェルディナント・ピエヒはこう記しています。

「ブガッティとは、“唯一無二”でなければならない。」

これはブガッティ創業者、エットーレ・ブガッティが残した言葉を反復したものですが(だからこそ前人未到のハイパーカーを発売するブランドとしてブガッティを選んだのだと思われる)、その言葉通り、ヴェイロンは技術・美学・哲学すべてを集約した究極の1台となり、彼の遺したビジョンはその後の「シロン」や「ボリード」など、すべてのブガッティに受け継がれることに。

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なお、2025年4月17日はフェルディナント・ピエヒの88回目の誕生日。彼が遺した夢と情熱は、今なお自動車業界に息づいており、ブガッティCEO、クリストフ・ピオション氏はフェルディナント・ピエヒ氏を振り返り、以下のようにコメントしています。

「限界を受け入れなかった男。ブガッティ・ヴェイロンは、その哲学の結晶である。」

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参照:Bugatti

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