
| つまり、今の人生において、ボクは「けっこううまくやったんじゃないかな」と考えている |
思えばぼくの人生はちょっとした「錬金術師」のようなものであった
さて、よく「人生やり直せたら」とはよく言われますが、ぼくは現実主義者なので「タラレバ」の話には興味がなく、しかしふと「もう一度自分の人生を生きたとしたら、今以上にうまくやれただろうか」と考えてみることに。
その問いに正しく応えることは難しく、しかし冷静に考えて「今以上の人生を送ることは無理だったろうな」とも認識していて、つまりぼくは自分自身ではこれまでの人生を「まあまあうまくやってきた」と捉えているわけですね(まだまだこの先何があるかわからないけれど)。
人生は無数の選択肢の上に成り立っている
ぼくの人生は順風満帆ではなく、そもそもぼくは公務員の家系に生まれており、両親は修正借家住まいで受け継ぐものは何もなく(遺産と呼べるものも無いと理解しているが、そもそも相続も放棄している)、もらったものといえば父親の退職金の一部である「100万円くらい」。
それでも両親がちゃんとぼくを育ててくれたことには感謝していますし、父親譲りの忍耐力、母親譲りのありがたい特殊能力(一族ではぼくを含めて3人のみが受け継いでいる)をもってここまでやってきたわけですが、「ほぼゼロからのスタートにしては、ポルシェを5台、ランボルギーニを3台、フェラーリを4台」購入できたのは上出来だと言えるかもしれません。
とくに今までの人生において失敗といえる失敗もなく、しかしより正確にいうならば、「やるべき時に、やるべきことをやらなかった」という後悔が2つほどあるだけです。
一方、ぼくの人生にはいくつもの転機があり、勤めていた会社が潰れたり、自分で事業を興したりといった大きなものから、就職先の選択や事業内容の選択といった小さな(そう小さくはないか)ものまで。
ただ、ぼくがここまでやって来ることができたのは、「チャンスを見逃さず、それを自分のものにしようと努力してきたから」なのかもしれません。
「目の前にあるチャンス」に気づかない人が大半である
ぼく的に見るならば、世の中はチャンスに溢れており、しかしチャンスを掴む / 掴まない以前の問題が「チャンスに気づくかどうか」。
多くの人が「なんかいい儲け話がないかな」と考えていると思うのですが、ほとんどの人が「目の前にあるチャンス」に気づかずに素通りしているのではないかと考えています。
よくビジネスの例えで言われるのが、「AさんとBさんという靴のセールスマンがいて、2人が未開の地へと靴を売りに行き、Aさんは現地の人が誰も靴を履いていないのを見て”ここでは靴が売れない”と見切りをつけて帰ってきたが、Bさんは”誰も靴を履いていないから、皆に靴を売れば相当な市場になる”と考えた」というもの。
つまり、これは一つの事実であっても見方を変えれば大きなチャンスになるということを示している一例であるということに。
ごく一部の人は「錬金術」を使うことができる
そのほか、ぼくらが普段生活していても、「なんでこれはこんな風になってるんだろうな」と不便を感じることがあると思われ、ある人は不満を述べるだけで終わってしまい、しかしまたある人はその不満を解決するサービスなり製品を考え、自分の不満を「お金に変える」ことができるかもしれません。
これはいわば「錬金術」のようなもので、一部の人はこの錬金術を使うことができる、とぼくは考えています。
そしてぼくもわずかながらこの錬金術を使うことができたのではないかとも自負しており、これもやはり母親譲りの能力のおかげであるのは間違いなさそう。
そしてこの能力は完全に先天的なもので、つまり「遺伝」なのですが、その時点でぼくは「当たりくじを持って生まれてきた」と言ってよく、そして運良くその当たりくじを人生の要所要所において「換金」できたということに。
ただ、この「換金」についても、そのタイミングが合わなければ換金できなかった可能性が考えられ、逆に「まだ自分では気づいていない当たりくじ」をぼくは持っているのかもしれません。
いずれにせよ、これまでの自分の人生については、生い立ち含め「幸運であった」と考えており、「当たりくじを持って生まれてきた」ことはなによりも大きなアドバンテージであったと考えています(この当たりくじがなければ、どんなに努力を重ねたとしても、ここまではやってこれなかったであろう)。
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