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レア度S級、ジャガーXKSSが競売に。その予想落札価格20億円、もとは「レースから撤退し、余ったD-Typeをなんとか現金に変えようと」企画されたクルマだった

2023/07/29

レア度S級、ジャガーXKSSが競売に。その予想落札価格20億円、もとは「レースから撤退し、余ったD-Typeをなんとか現金に変えようと」企画されたクルマだった

| ある意味、ル・マンでの勝利やD-Type、XKSSのようなクラシックカーがその後のジャガーを助けてくれたといっていいだろう |

世の中、一体何が起きるのかは予想ができない

さて、1950年代後半の自動車産業はアメリカの好景気に支えられていたと考えてよく、戦争で疲弊したヨーロッパ市場のかわりに、好景気によって潤沢な資金を得たアメリカの熱狂的な若いドライバーたちが高性能車を求めていたと言われます。

よって、欧州の自動車メーカーはアメリカ市場での販売を目的とした車種を多く投入しており、たとえばメルセデス・ベンツ300SL、フェラーリ250GTカリフォルニア・スパイダー、ポルシェ356スピードスターといったクルマたちもそういった例ですね(現地ディーラーからの要望によって誕生したクルマもあり、その意見を取り入れたクルマもある)。

ジャガーXKSSはある意味で「悲運のクルマ」

そしてこのジャガーXKSSもそういったアメリカの好景気を見込んだクルマのひとつなのですが、その生い立ちはライバルたちとはやや変わっていて、もともと市販車として最初から設計されたものではなく、(レーシングカーである)ジャガーDタイプから市販車へと転用されたという背景を持っています。

Jaguar-XKSS (9)

そしてレーシングカーから市販車へと転用された理由は「1956年限りでジャガーはレースから撤退し、よって工場にはDタイプの在庫が残っていた」ためで、ジャガーはこれをなんとかお金に変えるために「市販車へと転用すること」を思いついくことに。

そこでジャガーは合計25台のXKSSを生産する計画を立てますが、Dタイプからの変更内容としては大型のヘッドレストとフェアリングにテールフィン、中央のコックピット・ディバイダーを取り外し、かわりにパッセンジャー・ドア、フルサイズのウインドウシールド、サイドスクリーン、クロームメッキ仕上げのバンパレット、簡素ななフォールディング・トップを取り付けるというもの。

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当初の計画生産台数は25台に設定され、しかしブラウンズ・レーンの工場火災で25台のうち9台が焼失したため、16台のみが市場に送り出されたに留まり、結果的に希少性が高まるという皮肉な結果となっています(当時のジャガーにとっては最難であったが、現在のジャガーはこういった過去のクルマのお陰で高いブランドイメージを保っている)。

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さらにはこのXKSSが「ル・マン24時間レースでの優勝車を市販モデルにコンバートしたもの」ということが広く認識されるようになるに際してその価値は時間の経過とともに大きく上昇し、現在では「もっとも高架なジャガーのひとつ」として知られるまでとなっています。

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今回出品されるジャガーXKSSはこんな過去を持っている

そこで今回オークションに出品されるジャガーXKSSについてですが、もともとはDタイプ(XKD564)だったものがXKSS(XKSS707)へと生まれ変わって販売されたもので、当初はレッドレザー内装にクリーム外装にて仕上げられアメリカのオーナーの元へと旅立っています。

Jaguar-XKSS (2)

このクルマを新車にて購入したのは、1950年代半ばにアメリカとメキシコにてフェラーリ等を駆ってモータースポーツにて成功を収めた才能あるレーサー、ルー・ブレロ・シニア。

ただし残念なことに、このジャガーXKSSが届くよりも前に別のレーシングカーにてレースを戦っている最中に悲運の死を遂げてしまい、そのためこのXKSSはスポーツカーディーラー兼ドライバーであったサミー・ワイスが引き取ることになり、その後カリフォルニア州サクラメントのオックスフォード・モータースへ、さらに1960年にはサンフランシスコのシドニー・コルバーグへと所有権が移っています。

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シドニー・コルバーグは1973年までこのクルマを所有したそうですが、所有期間中である1960年代には西海岸のいくつかのレースに参戦したという記録が残り、1960年代後半から1970年代前半にかけては(XKSSにとって)不幸なことに「ぞんざいにクルマを扱う」コレクターのもとに預けられて(所有権はシドニー・コルバーグのまま)様々なパーツを失うことになったのだそう。

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そしてシドニー・コルバーグはこのジャガーXKSSを入手して15年経過した後、ハイパフォーマンスカーの目利きとして有名な英国のアンソニー・バンフォード(後にバンフォード卿となる)へと売却し、ここではブラックにペイントされた後に(同氏が所有する)フェラーリ250GTOやアルファロメオ8Cなどの名車とともにガレージにて保管されることに。

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ただし1975年、アンソニー・バンフォードはハンプシャーのジェフリー・E・マーシュへとこのXKSSをを譲渡し、彼の自社工場にてシャシーとボディを分解して新しい塗装と内装を与え、しかし直後にエセックスのクリス・スチュワートへ、さらに1976年にはスコットランド・グラスゴーのエンスージアスト、I.G.キャンベル・マクラーレンの手に渡ったという記録が残ります。

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I.G.キャンベル・マクラーレンはおそらく非常に貴重なナンバープレート「JAG 1 」を取得し、新しいボンネット含む外装のリフレッシュを行うこととなり、その際に現在の「いかにもジャガーらしい」メタリックブルーのボディパネルへと変更されています。

その後、このジャガーXKSSは何年にもわたりヒストリックイベントに参戦し続け、特にヨーロッパで最もよく知られたモデルのひとつとなったそうですが、1978年6月にはル・マンで開催された初のヒストリックレース(現在のル・マン・クラシック)を完走するなど、高い信頼性も見せているようですね。

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1992年になると、このXKSSはスタフォードシャーのアレン・ロイドに売却され、同氏は購入するやいなやレーシング・ジャガーの権威であるクリス・キース=ルーカスに整備を依頼し、そこで(オリジナルのシリンダーヘッドは残っていたものの)ブロック自体はおそらくアメリカでサーキットを走っていた初期に交換されていたことが判明することに。

ただ、幸運なことにナンバーズ・マッチのエンジン・ブロックが後に発見され、無事に組み込まれたことも記載されていますが、これはある種の奇跡かもしれません。

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アレン・ロイドはこのクルマを19年間維持し、2004年のミッレミリアなどの歴史的なイベントへと参戦する傍ら、時にはジャガー・ヘリテージ・ミュージアムに提供してブラウンズ・レーンで展示したりということもあったのだそう。

その後、現オーナーに車両が引き継がれ、このオーナーもまた「その時代に最も画期的なテクノロジーを取り入れたしたクルマを中心とした、最高級のパフォーマンスカーの熱狂的なコレクターで、特にコンペティション・ジャガーの愛好家でもある」と報じられています。

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クリス・キース=ルーカスがオーナーのためにまとめたレポートによると、現在の走行距離である「25,535マイル」は本当である可能性が高く、このクルマは今までのオーナーによって比較的控えめに使用されており、さらにオリジナルのシリアルナンバープレート、オリジナルのシャーシナンバーの刻印、オリジナルのギアボックス、オリジナルのブロックとヘッド、オリジナルのリアアクスルが残されていることが確認されています。

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さらに、3つある正しいキャブレターのうち2つはオリジナルで(先端のみが交換されている)、ブレーキキャリパーは4つともオリジナルのままであり、マスターシリンダーとプレッシーポンプも製造当初のまま。

オリジナルの鋼管シャーシ・フレーム、フロントとリアの主要サスペンション・コンポーネント、モノコックもオリジナルのまま残されており、ボディワークもシートバック後部のバルクヘッドを除いてオリジナルだそうです。

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出品に際し、多数の(掲載された)雑誌記事、初期の頃からの写真、I.G.キャンベル・マクラーレンとアレン・ロイド所有権時代の請求書と登録証、オリジナルのDタイプサービスハンドブック、オリジナルのXKSSメンテナンス説明書などが添付されるそうですが、このXKSSが売りに出されることはほとんどなく、今回のオークションはジャガーの歴史を手に入れるまたとないチャンスかもしれませんね。

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参照:RM Sotheby's

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